
ང་འབྲུག་སྤ་གྲོ་ལུ་ཐང་སྟོན་རྒྱལ་པོའི་ལྕག་ཟམ་པར་ འཕྲེད་དུ་ (ཕ་རོལ་དུ་)ཕྱིན་པ་ཡིན་(ཨིན་)ནས་ངུ་སྐད་རྒྱག་པ་ཡིན་(ཨིན)།
ブータンのパロにある「タントン・ギャルポཐང་སྟོང་རྒྱལ་པོ་の橋」を渡って泣きました。ポロポロ涙が出て止まりませんでした。息子「そんなに怖かったの?」と言いましたが、怖いより嬉しすぎて、そして、渡るということは、彼岸に行くことも意味しています。(日本式の「あの世」ではなく、般若波羅蜜多、川という煩悩を超えて悟りに向かう)
今回ブータンに行った目的は、
この橋を渡り、この橋のお寺へ詣ることでした。25年間の夢でした。
なぜ、この橋か。
タントン・ギャルポという伝説的な高僧が建てた橋だからです。
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タントン・ギャルポཐང་སྟོན་རྒྱལ་པོ་とは、誰かというと、チベット仏教の弘法大師といつも私は説明しています。いえ、人によっては、「なるほど、弘法大師みたいなお坊さんですね」と先に言って下さったりします。今回は、簡単に説明します。16世紀にチベット、ブータン、インド、中国の多くの川に橋を架ける工事をさせ、作らせました。それによって多くの人々に恩恵を齎しました。インフラ整備、行商、牧畜、災害対策。製鉄技術の向上、いわば環境設計をあちこちで行ったのです。そして、その資金調達のため、少女歌劇団を作り、チャリティーコンサートをも各地で興行しました。色々な土地での伝説を仏教説話と混ぜて演目とし、色々な土地の民間歌舞を吸収し、また少女たちが年頃となり、地方の少年歌劇団と合併させ、結婚させました。その子孫はロカ地方に定住して、夏のオペラシーズンに巡業を続けて今に至って…おっと、今も続いているのですが、中国占領後は公務員型と民間型になりましたが、一応変わっていません。で、オペラの話はいずれ論文なり書籍にしたいので、ここで止めます。タントン・ギャルポに戻しますが、建設と芸能の両面でチベット文化を育んだ高僧とチベット仏教信者の誰もが知っています。これらの業績によって悟りを開いた大成就者と言われています。画像ですが、暗闇撮影なんで、ズレていますが、手に鎖を持っています。橋の鎖です。音楽も思うとヘビメタ坊主みたいですので、ご記憶しやすいと思います。彼は128歳まで生きたと伝えられています。彼が回った土地の伝説の数を考えれば妥当な寿命でしょう。
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今回ブータンで知ったのは、大成就者で彼を仏として考えている寺院があるということでした。
これは、私の気持ちと同じです。
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私がタントン・ギャルポを知ったのは、院生1年のとき。金子英一先生というネパールのチベット寺院で修業された方で、彼からタントン・ギャルポの伝記をすすめられました。
仏教そのものの表現やカギュ派独特の表現や民間の綴りが混ざっていて、かなり難しかったんです。今思うと貧しい生活で公定料金が高くていつまでも国境を越えられなかった間、時に読んでいたりして、それはそれで、タントン・ギャルポに「勉強してからおいで」と言われていたのかもしれません。
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この橋のお寺で「お待ちしておりました。外国からタントン・ギャルポの弟子がくるという夢を見ました」と言われてドキドキしました。私は私で25年の夢・・・が叶った!
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しかし、この橋のお寺は、日本の2011.3.11震災の半年後に、広範囲な大きな震災によって壁画の仏画が破壊され、修復をすすめる必要があります。
何か活動をしなくては!
✴︎北インド大震災の様子は過去ブログに書いた事があります。
☆北インド・ブータン・ネパール・チベット大地震
http://ameblo.jp/amalags/entry-11022197087.html
2011-09-19 00:24:33
☆【非常事態】シッキム震源大地震/FBで応援ページを作りたい☆
http://ameblo.jp/amalags/entry-11022466099.html
2011-09-19 10:52:41
☆シッキム震源広域大地震/各国と州の事情が見える
2011-09-19 21:40:53
http://ameblo.jp/amalags/entry-11023088373.html
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タントン・ギャルポは、また来いよ、と私に宿題を出したのでしょう。
帰路の空港に向かう途中だったかと思いますが、
遠方の橋を見て私は再びとめどなく涙を溢していました。
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མདོ་ཁམས་ལ་གདུལ་བྱ་ལ་བརྫང་བའི་སྐབས།
མོན་པ་གྲོ་ནས་ཚོང་པ་རྣམས་ཀྱིས་དོམ་ལྤགས་སྡེར་བཞི་ཚང་བ་ཞིག་ཕུལ། ཁྱེད་རྣམས་ལ་ཆོས་སྐྱོང་པ་འགོ་བར་ཡོང་བས། དོན་ཆེན་པོ་གྲུབ་གསུང་། དོམ་ལྤགས་དང་ཤ་ལག་གཅིག་གནང་ནས། ཟལ་མོ་སྒང་གི་མཆོད་རྟེན་བཞེངས་པ་དང་།
རྫ་ཆུ། འངྲི་ཆུ། ཉག་ཆུ། གསུམ་ལ་ལྕག་ཟམ་འཛུགས་པ་བརྫངས།།
༄༄༼དཔལ་གྲུབ་པའི་དབང་ཕྱུག་བརྩོན་འགྲསབཟང་པོའི་རྣམ་པར་ཐར་པ་ཀུན་གསལ་ནོར་བུའི་མེ་ལོང་ཞེས་བྱ་བཞུགས་སོ།༽