帰りの飛行機。
中國国際航空 Air Chinaに乗りました。
バンコク→北京 北京→羽田
バンコク→北京間は非常に楽しく機内で過ごせました。
息子の隣の席に南アジアのイスラム国の男性が座ったので、
彼らふたりでおしゃべりを楽しんでいました。
その男性は、日本に来たことがあり、
「Nobody ask "Where are you from?" Never!! Nice country people」
と言いました。そうなんです。彼は自分の国の名前を知られたくなかったのです。
たくさんのテロがある国なので、警戒されることがイヤなようです。
すぐ後部の座席にいるのは、
兄貴と従兄弟なんだ、みんなで韓国に行くところなんだそうです。
親族の絆が固いんだなぁと思いました。
CAさんが来て、パスポートなどのチェックをはじめました。
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のちほど機内食を配っているとき、彼らにハラルのカレーを
「Special meal」と言って提供していました。
…ああ、おいしそう!! 中華料理よりこっちのがいい。
今度乗るときは、イスラムだとウソをつこうかしら。
…まあ楽しく快適だったんで、「今度乗るとき」…なんて思ったんですがね、
このときは。
ちなみに、機内食。私はfish、息子はチキンを選択。
私のは、酢豚の豚のかわりに白身魚という感じのものでした。
行きも中国系の航空会社で、そのときは、苦手な香辛料が入っているとイヤだったんで、
チキンを選びました。
そのとき入っていなかったんで、帰路は安心して魚にしました。
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で、息子の隣の席の某国の人がどこから来たのかは、
さきほどのCAさんとのやりとりでわかっていたので、
彼がトイレに立ったとき、息子に「P国の人だよ(以下解説しました省略)」
すごくSensibleなことを抱えているのがわかります。
奥さんは「外国」の人なんだそうで、
その国の中でけっこう辛い思いもあるのだろうなと想像するに難くありません。
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飛行機を降りて北京空港。
久しぶり。1995年以来。
行きで乗り継ぎした上海の浦東プードンPVG空港のほうが外国人にはいい感じでした。
意外に??
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息子に言いました。
「いい、一回南アジアに触れるとこういう出会いだらけになるんだよ」
「そうだね」
・・・で、息子加えて
「誰もどこから来たのって訊かないのは日本人の英語力の問題じゃないのか??」
「…
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北京空港到着。
で、両替。ネームプレートで担当者の女の子は日本人とのハーフのようでした。
「帰るのになんで人民幣がいるの?」(英語・中国語)
「空港の中でご飯食べたり飲み物買ったりするのに必要なんで」(息子・中国語)
気が利く子なんで息子に中国語、私に英語。
で、本人が日本語で話したい感じがあったので、
日本語も使うようにしてコミュニケーション取りました。
お年玉袋みたいな袋に…紅い袋に金の午年のイラスト入り…入れてもらいました。
これは、勤務校でお世話になっている社会科の先生のお土産となりました。
…袋のみじゃなくて…中にブータン紙幣入れて…ちぐはぐだけど・・・
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北京空港で寒い一夜を過ごしました。
しかも、お店はあいていないし…てか、こういう時間に飛行機が来るのに…。
さらにあいているはずのスタバは店員が居眠りしていた。
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で…途中省略。
朝になって、いろいろなお店があきました。
実母のお土産として月餅を買いました。
日本で思われている反日感情はここでは存在しませんでした。
ヘタクソな日本語で一生懸命対応していました。
しかし、これって日本人が中国語も英語もできないから??
それもありそうだと思ったので、私が(わざと)英語で話すと、
店員さんたちの英語も大したことなかった。
私の特殊な訛り方が聞き取れないというだけではないと思います。
息子は中国語で話したかったのだろうけれど、
彼も気遣って中国語を使いませんでした。
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上海・北京の空港では、
日本で言われている反日感情どころか、
日本製品の広告・合弁会社の自動車などの広告やトイレTOTO、その他、
日本に対して、いや日本のモノに対してラグジュアリーなイメージがあることを
醸し出しているビジュアル。
…飛行機が降りるのがわかっていながら店があいていない・居眠り店員、
そして、高級なモノに対する憧憬的なまなざし・・・。
このギャップは、すごく懐かしい!!んです。
…でもいい意味でない懐かしさだったりするので…。
そう!!中国は表面的な発展として変わっているけれど、
本質的なところは、いいところも…て…一応言いますが、
悪いところも…
まったく変っていなかった!!
…そして、夜が明けて日本に向かう飛行機が出発することに…。
私が機内で経験したことは、
まったく変っていなかった!!中国☆
表面変わっていても、まったく変っていなかった!!
そんな中国を実感。
私にとっては単なる経由地だったはずの中国
最後の異文化観測地点になろうとは思いもよりませんでした。

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…すみません、この画像についての説明は次回。