こんなむちゃくちゃな更新なのに、読んでくださる方がいて嬉しい。ありがたいことです。
なんでそんなに軽々と乗り越えているのか、どんな風にできなくなっちゃったことと向き合っていたのか、と
メッセージいただいたので、書きますね。
今も運動は解禁されていなくて、数値も良くなったとは言っても、下から2つ目の括り・・・
そんな悪い感じはないのだけれど(出た、また自覚症状ゼロ野郎)たぶん、結構、ある程度、悪いらしい。
でも日常生活は問題なく送れているし、咳き込むと今日もすごいのが止まらなくなってしまって
周りに申し訳ないくらい心配されてしまったけれど
咳き込みさえしなければ、まったくなんてことない。
脳梗塞や脳出血になってしまった先輩からそれぞれ50代は要注意と言われていたので、それと比べると
ずっと軽いかなと思う。
(実母のように、ガタっと来るのは80歳になってから、なんて人もいるから一概には言えないけれど)
ひとつ質問されて、これは違うと思ったのは、
年齢であきらめる、というのは、まったくない。
というかその言葉はまるで辞書にはない。苦笑
というかその考えはまるでない。
いくつになったから、何かをあきらめるという考えは、ない。
やりたきゃいくつだってやったらいいと思う。
身体のことを思うと、スケジュールに余白は必要かなと思う。
とにかくどんどん詰め込んで、限界までガンガンやる、みたいのは20~30代で
卒業するのがいいかもしれない。
ま、それも50代でやりたきゃやればいいんだけれど。
あ、別に20~30代だってやりたくなかったらそんなのやらなくていいよね。
息子が毎日片道1時間自転車で通学していて、この間発表があった前日、22時に帰ってきて
終わってないからと朝の3時に出かけて行ったんだけれど
(研究室は24時間出入り自由)そんなのはもうできないし、やりたいとは思わない。
もう一人の息子もバイトから夜、帰ってきて、夜中に遊びに出かける、とかね。
そういうのも、無理だし、ちっともやりたくない。
整える、っていうと昨今なんか変な響きになっちゃってるけれど、
たぶんこの言葉が一番合っていて、
家のこと、身体の調子、いろいろ諸々整える時間が必要で
それらがある程度できていると、とても気分がいい
私の場合、ゆっくりお茶を飲んで、本を読んで、軽く身体を動かして、
音楽を聞いてたまに映画を見る。そんな日常が送れていると、やる気がみなぎってくる。
今月はかつてないくらい(笑)、自分の仕事を順調に進められている、と思う。
今まで何してたんだって話だよね。
できなくなったことも確かに今はあるんだけれど、それよりもできるようになったことが
嬉しすぎる。
そのできるようになったことは、まじで大したことではないんだけれど、
自分がずっとできるようになったらいいなと願ってきたことなので、
すごくプラスに思える。
そしてお腹の底から自分をめっちゃできているできていると思えるということは、
それがどれだけ自分にとってプラスに働くのだろうか、と思う。
逆に言うと、できているできていると芯からは思えていなかった、のかもしれないね。
そんなことはできていると思っていたし、
すっかり手放せたと思っていたのだけれどね。
結構、根深いんだなあ。

