週4でお勤めをして

残りの平日1日に短大の非常勤講師や大学での講義、セミナー講師を入れる。


土日は月に1〜2度くらいシンポジウムなどの講師仕事が入る。


とてもいい感じでまわっている。


地域活動はできなくなった。しなくなった。

でも20年近くやってきたから、もう十分ってところもあるし、今日みたいに時折呼ばれて、駆けつける、ということもある。すごく少ないけれど。


金銭面が落ち着いたのだけれど、私のなんとなく、の不安感も落ち着いた。


いま、ふたりが私立で、3人目もどうやら私立の、見込み。


ふたりがまもなく大学、となる。


夫ももちろん頑張って働いているけれど、自分の働きが学費にそのまま直結しているような働き方、お給料は使う分を除いたらそのままそっくり学費へと回すんだけれど


それがこんなに気持ちの良いものだとは知らなかった。


子どものやりたいことに対してお金がかかり、それを自分が夫ほどではないにしても、自分の働きが支えているということは、なんとも私にとっては、嬉しいことなのだ。


この感覚は、知らなかったな〜


3人ともやりたいことがたくさんあって、存分に迷っている。上の子はだいぶ絞られてきたけれど、下二人はまだまだこれから。


どんな道を選んでも、母さんは全力で働いてるからどんと来いだよ、と言えることの爽快さ。


と言えるほど、稼いでないんだけど!でもね、今までとこれは全然違うんだよなぁ。


自分のボランティア活動すら、夫の収入のもとに成り立っているような日々を約15年以上送ってしまった。


ほんと、今から思うと、とっくに外に働きに行けばよかったんだけど、わからなかったな〜


地域活動では、無償の方を対象にしたプロジェクトを始めていたのもあって、その本人からお金がもらえず、となると助成金が頼みで、ひとつヒアリングに行くとしても、それすらもらうことに引け目を感じていた。請求しにくいっていうかね。


助成金、自分で申請したものだからこそ、使うのも尚更シビアに見ていたのもあって。(何年もそのお金できちっと回さないといけない)


今は、私自身は無償の仕事は受けていない。相談は相変わらずあるし、それはまぁ無償でやっているのだけれど、昨日もあれこれいただきものが届く。


昨日息子と文房具屋さんへ行って帰ってきたこの30分くらいの道のりで、あちこちからいただきもの、おまけ、などを受け取っていると、息子が面白い、不思議だ、と笑う。


東京でこんな人珍しくない?と笑いながら

それだけ母ちゃんがみんなにいろいろしてるってことだ、と言ってくれる。


ほとんど物はあげてないのだけれど、たくさん食べ物などが届く。


その後一人で向かったいつもの区民プールでは、インターの学生さんたちが25メートルプールを団体利用されていて100人位で来ていた。わたしは一般開放されている50メートルプールで泳いでいたのだけれど


プールサイドを走ったり飛び込んだり毎時10分間の休憩時間に入ってしまったりと様々にルールの多い中で、先生方もあまり日本語が上手ではなくうまく伝わってなさそうだったので


監視員さんとの間に入ってあれやこれやと説明した。


監視員さんといえば、長男も(別の)区民プールの監視員に。今度のバイトは、楽しくやれているようだ。

よかった。


大学に入ったときに「苦手なことをやってみる」と言っていた。マルチタスクの、いっそがしい飲食店を経験して、ほんっとに向いてないことがわかった!と嬉々として言う。


苦手なことを経験することも必要なことだと思っている大きさが私の学生時代とは異なる。


面白い。


下ふたりは進路で悩む。


やりたいことと、学校名の狭間だったり、


得意な科目と、楽な入学の狭間だったり、


大いに悩んで人と対話してもちろん最後は自分と対話して、決断してくれたら嬉しい。


みんなを見ていると、私はもうあまり悩むことはなくなった。


今できることを全力でやりつつ


待たなければ進まない仕事はしっかり待って


その時が来たら逃さずに


やっていく。


本当に夢みたいに、やりたいことができているな〜。