さて、書きたかったこと。

いっきまーす!



    

 1、きょうだい児問題は不登校でも同じ


2、ズルイの声は、チャンスと捉える


3、コントロールは管理ではなく支配


4、同じようにしなくて大丈夫




病気や障害のある兄弟姉妹がいる「きょうだい児」は、様々に犠牲になってしまうことがあり、きょうだい児問題として、知られています。

 


 


不登校のお子さんがいるご家庭も同じで、どうしても学校へ通っていないお子さんの様々な問題に保護者が向き合うことが増え、その他のきょうだいは、我慢を強いられるケースがあります。

今回はそのようなケースでのご相談でした。

きょうだいのお子さんが、「なぜ自分たちは学校に行っているのに◯◯だけは学校に行かなくていいの?ズルイ!!!」

と親へ不満を募らせ、その怒りはきょうだいへも向かっていっている様子でした。  
現在の学校もなのですが、過去の、小学生のとき、自分には行け行け、と親は言った。ちっとも休ませてなどくれなかった、という不満です。

これは2のお話に繋がる話なのですが、ズルイ、羨ましい、と出てきたときには、その子のなかにも、何らかの我慢や頑張りがあって、そこを認めてほしい。  

まずは毎日学校へ行っていることをたっぷりと労います。
その(きょうだいの)子が毎日当たり前のように学校へ行ってくれていることが、不登校児を抱える親にとって、どれほど救いとなるか。

日常いろんなトラブル、悲しいことも嫌なこともどうしたってある中で、よく通えている、それはちっとも当たり前のことではなくて、よく頑張っている、そこを認めます。

そのうえでどうしてもしんどいときは、あなただって休んだっていい、そんなときは話してね、と伝えます。

そんな事を言うと、2人とも不登校になってしまう、と恐れない。何日も続いてしまうのではないか、と恐れない。

大事なことはいつだって存在を信じること。
行動を信じるのではなく、行動は親子であっても別の存在ですから、読めませんからね、行動を信じるのは、期待になります。期待は負担になります。

そうでなく、存在を信じます。

疲れているな、きょうだいを羨ましがっているな、そんなときには、親子ふたりでお茶に出かけたり、ふたりだけでゲーム、ふたりの特別な時間を作るといいと思います。

その子だけにあげるその子の好きなおやつ、こっそり手渡すジュース、2人だけでやるトランプ、ゲーム、散歩、どんなものでもいいです。

あー、親がわかってくれているな、親は自分を見てくれているな、それがわかれば、ズルイはなくなります。ズルイ、にあらわれる子どもの気持ちを見落とさない。

すべて平等、にしなくていい。
それぞれに特別、があっていい。

それはお家の中だけでなく、学校でも同じで、個々にそれぞれ、その子用にカスタマイズ、でいいんですが、なかなかそのあたりは平等にすることが良いものだ、と思っている先生は多くいるかもしれません。
そういう教育があったかもしれないですね。

ズルイはチャンス、のお話も含めました。
平等でなくていい(同じにしなくていい)のお話も含めました。
あとは、管理ではなく支配、のお話をしたいと思います。


息子が修学旅行で、シンガポールへ。
無事に行くことができてよかったです。