地域のお子さんにかかわる機会を多く持っている。
ずっと息子の友達や同じ学校の子どまりだったが、ここ数年は仕事としての関わりがあるのて、もう少し広範囲で。
サポーターさんにも関わることは多い。
困ったことが起きたときに、仲介に入ることもある。
そんなときに聞いた言葉で、ドキッとするものがあった。
それは、
どうせやらないから
どうせ嘘つくから
どうせ○○だから
そんなふうに思ったことは一度もなかった。
我が子でももちろん
我が家にいつも片付けない子が1名いる。だいぶ大きい子だ。
だけど、この子はどうせ片付けないから、とは思わない。
片付けて。と繰り返す。
どうやったら片付けられるようになるか、の工夫はする。でも、やっぱりできないことも多い。だけど、どうせやらないから、とは一切、思わない。
できるようになると思って、言い続ける。淡々と。
地域活動でも、嘘をつく子がいる。
大した嘘ではなく、やってない宿題をやった、と言う。
だけど、どうせ嘘をつくから、聞かない。とかどうせ嘘をつくから言ったって無駄。とか思わない。
嘘はつくかもしれない。だから確認はするけど、でも今日は、本当のことを言ってるかもしれない。だからどうせこうだから、と決めてかからない。
どうせ○○だから、と思わない。
どうせ○○だから、と思いながら、サポートされることがあるとは思っていなかった。
そう思わずにいられることのほうが、すごいんですよ。と言われた。
どうせできない、と思われていることは、想定していなかった。
今できなくても、できるようになることもいっぱいあるのに。
できるようになると思って関わってもらえてない、ということは、相当、想定の外だった。
何でもそうなのだけれど、そうなる、そうできる、と思って、関わっている。お子さんのことだけでなく、社会の仕組みも。
そうして、実際にそうなってきた。
だからどうせやらないでしょ、どうせできないでしょ、それなら聞いたって仕方ない、言ったって意味ない、というのは、逆の意味で目から鱗でそんな関わりがあるなんて、想像もしてなかったのです。