薄情話、続き。
あまさんが、薄情???
と驚く人もいて。
あまさんは、薄情!!!
と手を叩く人もいる。
面白いもんです。
「熱いようで冷めている」と表現してくれた方もいたけれど。
これ、いい意味でね!笑
どういうことかなぁって自分なりに考えてみた。
結局のところ、なんだけど、
人は一人ひとり違う、ということ。
そこには、揺るがない思いがある、というかな。
相手をわかってあげている、理解している、なんてことは、全くなくて。
理解したいとは思うし、理解されたいと相手が望んでる場合においては、こちらも努力はする。
でも、人は違うから、わかるなんてことはないわけだし、わからないからこそ、勝手に相手の立場に立ったり、相手の柵を乗り越えたり、しない。
相手のことを想像することは、ある。こういう気持ちなのかな?と。
でも、それとて、「自分の考える範疇の相手のこと」だということに、自覚的であるということ。
そもそも、一人ひとり、考え方は違うんだってこと。こういう考えだと思ったのに、と残念がられる経験を私は何度も何度もしているけれど、そもそも、違うことは、当たり前なのです。
違うんだ、というそれだけ。
相手はそう考えるんだな、というそれだけ。良い悪いではない。
よく、議論になる。
人と、議論になる。
あるとき、別の方の提示されたことに対し、私はこう思いますがどうですか、とある意味、反論のような意見を言った。
そのとき、相手の方が、こういう意図でこの発言をしました、と返してくださった。
それを聞いてわたしは、そういう意図だと思わなかったので、そっちでお願いします!と自分の意見は即座に取り下げた。
これ、全然、何でもないことなのだけれど。
けれど、そのとき、とても驚かれた。そんな簡単に取り下げちゃうの?って。
取り下げちゃうよ。
わたしが勘違いしていた部分があっただけ。
意図を聞いて、相手の方の主張のほうが、良い!と思ったから。
こう思います、は、言う。
でも、自分に間違えはいっぱいある。
だから、間違えに気付いたとき、
相手の言うことの方が良い!と思ったときは、すぐに取り下げる。
これ↑は、活動の話だけれど、
家庭内でも毎日、毎日、こんな感じ。
ママはこう思う!
でも、僕はこう思ったんだー!
うわぁ、そうだったのかー!気付かず、ごめーーーん!!!
取り消しー!
こんなの、ばっかり。
相手の意図なんて、それが我が子であったって、言ってもらわないとわからないことばかり。夫なんて、まして!
わたしも、言う。
主張を貫き通すためにじゃなくて、
ましてや言い負かすためなんかじゃなく、自分はこう思ってるよ、こう思ったからこうしたんだよ、をただ、ただ、伝えるために。
そして、相手にも言ってもらう。
しょっちゅうしょっちゅう、起きているすれ違い。
相手のことを理解できているなんて、全然思わない。
我が子のことだって、わかってないことばっかり。
だからこそ、聴くし、伝えるのです。
別の活動されている方に、本当に人の役に立ってるのかなあって相談されたことがあって、こんな風に話しました。↓
人の役に立ってると思うなんて、思い上がりではないかと。
人の役に立つと考えるなんて、難しすぎるよ。
役に立ってるからやってるんじゃなくて、自分がやりたいからやっている。
ある種の自己満足なんだということには、自覚的でいたいと思う。
自己実現のためにやっているわけでは全然ないけれど、
単なる自己満足であることには、
自覚的でいたい。
結果的に、世の中のためになれば、は、おまけというかな、
そこはあくまで結果的に。
知ることで安心すると思っているのだって、“自分は”、なのだ。
知ることが怖い人だっている。
それは、ちっとも悪いことじゃないし。
肩をつかんで、こっちを向かせ、知ると安心するよ、と説得することでは、決してない。
知りたいよ!そう思ったときに、
わかりやすく確かなものが目の前にあるように。
そう思って、情報とかも出しているつもりです。
冷めてるってもしかして、こういうとこかな?って思ったので、書きました。
またこのことについても、書こうっと。

