存在意義と公益性 | 天下ルヒトの公害 ≪天下り被害ブログ≫

存在意義と公益性

唐突ですがよく思うのが、

“この団体の存在意義って・・・”

という根本的な疑問。

数多く存在する公益法人、一般的には目的のわかりにくいものが多いように思います。


うちは、業界団体だけど、消費者からの相談が多い。

グレーながらも公的機関なのかしら?的なイメージがあるのかも。

その際、よく耳にするのが

「じゃあ、おたくの団体は何のためにあるの?」

ハッキリ言えば、消費者のためではない。

・・・さすがに言えないけど。

正確には消費者対策も目的に打ついに入っているけれど、

まあ後付けであり、基本は業者第一なのだ。

という訳で、消費者様の要望に添えられないことが多い。

元々が業者の集まりなので、当然といえば当然。


しかし!

近年、精一杯の存在意義である“業者のための団体”という意味合いすらも違ってきている。

どうなってきているのかというと、“一部の業者のための団体”

理事会などでうるさく吠える理事の利益に傾いてしまってきている。

広い公益性なんてあったもんじゃない。

昔はそうではなかったらしいが、ここ2、3年でその傾向が強くなってきている。


何故か??

それはアマクダラが交通整理を全くしないから。

数年前、事務局(アマクダラの働き)にモノ申す理事が居たが、退任してしまった。

すると、注意する理事が居なくなったので、アマクダラはますます働くなった。

その結果、事務局のフィルター機能が停止したというわけ。


事務局でのフィルター。これは意外と重要だったりする。

20近くの委員会やらグループがある中、それら全てがマトモな議案を出してくるとは限らない。

今までの協会活動をぶっ壊すものや、憲法とも言える規定の改正案・・・

議論が必要なものはまだいい。

理事会などで議論する価値も無いような非常にミクロな問題もある。

フィルター機能が停止していると、ゴミ議案だろうが危険思想だろうが、

すべて理事会での議題にあがってしまうのだ!

本来ならば、事務局側として出席しているアマクダラがきちんと発言し、

おかしな議案を出してこないようにするのも仕事のはずなのに。

(ちなみに、理事会に上げる議案を検討する委員会があるものの、

すべてスルーになる。却下された議案はお目にかかったことが無い)


昔はそうではなかった、と古い職員は言う。

それに、協会での理事という立場を通して自らの利益を考えるような理事は少数だった、とも。

交通費や日当を出さなくとも、協会活動が成り立っていたけれど、今はどうだろう?

自腹で東京まで来てまで理事を、という奇特なシャチョーは皆無だと思う。

地域格差が出るという問題があるけれど、手弁当でいいんじゃないか?


そして、更に悪いことに、うちの理事会というのは物理的に声の大きい意見が通る

あんたら動物の集まりか??

まっこと、モラルの低い集まりなんです。恥ずかしながら。


理事会が営業の場みたいになったら公益法人もオワリだな、と思います。

ごく少数の業者のために存在しているくせに、広い公益性を気取るくらいなら

NPOかなんかにしてもらったほうが社会のためじゃないかと思ったりして。