ブログネタ:あなたの人生、歌でいうとなに?
参加中
本文はここから
私は、子供のころは親の言うことを聞く良い子だったと思っている。
けれども、次第に自分の考えで行動するようになったと思っている。
現在はもちろん自分の考えでほとんど行動している。
だから現在の私はマイウエイ。
だからといって、人の意見など聞かないというわけではない。
人の話はたいてい最後まで聞く。
最後まで聞かないのは勧誘の電話だけだ。
すぐに切ってしまう。
なぜなら、勧誘の電話などは、私が何か言おうとすると、必ずオッかぶせてものをいう。
私にしゃべらせないようにする。
そんなもの会話ではない。演説だ。
私は演説は聞かない。
けれども会話なら、最後まで聞くし、疑問点があればその都度質問する。
質問に答えてくれないようならそれでその会話は打ち切る。
疑問に答えられないような話なら、その話は大したことはないか、その人自身が話の内容を理解していないということになるから、聞くだけ時間の無駄になるからだ。
でもそうでない話なら、私は必ず最後まで聞く。
新しい知識や情報を手に入れるチャンスでもあるからだ。
では私は聞くだけかというとそうでもない。自分から話すこともある。
けれども、どういうわけか、五十歳を超えた人というのは、人の話を聞きたがらない。
私が何か言おうとすると、話の途中で「それは違う。間違っているよ」と私の話を遮る人が多い。でも私は根拠のない話しはしない。私は科学大好きだから、私の話には、たいてい科学的根拠がある。最後まで聞いてもらえば、私が思いつきで言っているのではないことがわかるはずだが、それを聞こうとしないのだ。自分は十分人生経験がある。だから最後まで聞くまでもなく、俺の方が正しいに決まっていると思っているようだ。
そういう人には私は話を止めてしまうし、何か情報があってもその人には言わない。どうせまた「それは違う。間違っているよ」と言われそうだから。
だから私の評価は二つに分かれる。若い人の間ではお喋り。年寄りの間では無口。
私は歳を重ねるということは、多くの知識、多くの考え方に接することだと思っている。
様々な知識、様々な考え方を取り入れた上で、自分で決める。
それが私のマイウエイだ。
けれども、フランクシナトラのマイウエイにはまだほど遠い。
あの歌詞を見ると、人生を振り返る、まさしく晩年の歌だ。
カラオケなどで若い人が歌っているのを見ると、「まだまだこれからだというのに、かわいそう」と思ってしまう。だって、死の準備をしているような歌詞だから。
だから私にはまだ早い。
けれども、何十年か先には、この歌が似合うようになっていると思う。