豊風と僕~その①~⑤ | * 僕は駆け出し作家 *

豊風と僕~その①~⑤

『豊風と僕』


* 1 *


「…五年後や」
僕は男がそう言うのをおぼろげに聞いていた。
長い眠りから、ようやく覚めた気分だった。頭がぼーーっとしている。そんな感覚さえ懐かしいほどの長く深い眠りだったように感じる
ん? なんやったっけ? 俺は何してたんやっけ? いくら考えども何も思い出せない。ほんの一秒前に自分がなにを考えていたのかさえ、思い出せない。
えっと…とりあえず何を考えたらいいんや? 思考が定まらない。
「おいおい、聞いてんか?」
男はさきほどより幾分口調を強めて、おそらく僕に対し、言った。
僕はぼんやりしたまま男を見る。んっと…そもそもこいつは誰や? あかん。なーんも分からん。寝よ。
男は僕の様子を伺うと、わざとらしいくらいの大きなため息をつき、僕の目の前で手を広げ、そのまま左右にブンブン振りながら言った。「おーい。もう、めぇ覚めてんやろー! あっさでっすよー」
寝起きの悪い僕にとって、目覚め一発目に最も的さない男だった。だが、お陰で先ほどまでグルグルしていた考えが一つのとこに落ち着いた。とりあえず、こいつは誰なのか。
その考えはそのまま口から飛びだした。『自分、誰やねん?(注:大阪では相手のことを、自分と呼ぶ場合がある)』
男はがっくりといった表情で、「またかいな」と肩をすくめた。
『また?』ますます意味が分からない。
男は、レンズの大きい黒のサングラスをかけ、白いTシャツにジーンズという、数十年前に流行ったような恰好をしていた。なんというか、つまり尾崎豊風だ。吉田栄作風だ。山根康弘風だ。新加勢大周…ってもういいか。足元はというと、なぜか靴は履いておらず、白いソックス姿だ。外なのに。。
ん? 外? へっ? なんで俺は外で寝てんや?
豊風の男は小さく二度頷くと、「よっしゃ分かった。はじめから話したるから、よー聞いとけよ」と僕を指した。


これが僕の第二の人生の始まり…の、少し前の出来事だった。


* 2 *


「とりあえずそやな、分かり易いように結論からいこか。まずな、お前はもうこっち側の世界にきてもうてん」豊風はこっちこっちと大袈裟に両手を振った。

「分かるな?」
僕が『全っ然分からん』と言うと、豊風は「どうせそう言う思たわ」と勝ち誇った顔をする。なんだか腹立たしい。
「よっしゃ、ほなもっと分かり易く言うたる」
僕ははじめからそうしろよと思う。
「要はな、死んだんや。お前は」
『死んだ?』
「そや。よー思い出してみぃや」
『はぁ!? 何を言うてんねんな。じゃあここにおる俺はどっから…』そこで僕はハッとする。
「おっ、思い出したか」
『あっ、いや…』そう言えば、僕はさっき車に跳ねられて。そして…どうなったんだ?
「そんで死んでもうたんや」豊風は僕の心を見透かしたように言う。
「でもな、死んだ言うてもただこっち側に来ただけや、みんな―」僕は豊風の言葉を遮る。『死んだって、あの事故で?』
「まだ言うてんかいな、話進まんがな。そやそや、その事故でや。病院運ばれたけど、そのままお陀仏や。まぁどうせそんな感じやろ」
『そんな感じって…。ていうか、そもそもはじめから気になってたけど、自分なにもんや?』
「俺の自己紹介は今度でええやろ。まぁな、言うてしまえば、あっち側と向こう側をこっち側で繋ぐ役目や。俺は素行の悪い奴やったからようさん繋がな向こういかれへん」
あっち? こっち? 繋ぐ? 何言ってんだ? 混乱する僕を構わず豊風は続ける。「お前が死んだ理由は知らへん。でもな、向こう側行く前に一回だけあっちに戻れるんや。なんかやり残したことあるか?」

これは夢か? 僕はさっき跳ねられて、気を失って、いま夢を見ている。

『なんや、夢か』
「はいベター。お前ベッタベター」豊風は鋭く僕を指差す。
「まぁはじめはそう思うわ。俺も思たもん。でもな、永遠にその夢…覚めへんで。まぁ、しばらくほっといたるわ。いつか分かるわ。でも別に悲しまんでええからな、向こう側行ったらまた始まるから」
『始まるって何が?』
「いわゆる第二の人生ってやつや」豊風はイェーイと親指をたて、僕の肩を叩くと、その勢いで空高くにフワリと舞い上がった。
『えっ、ちょっ―』
豊風は驚き眼の僕を尻目に「ほなまた来るわ」と言い残し、そのまま空の彼方へ消えていった。
『えぇ…、どうなってるんよ?』
僕は何も理解出来ず、ただただ呆然としたまま、果てしなく広がる空をずっと見ていることくらいしか出来なかった。
死んだ? 俺が? なんで? まさか。




* 3 *



青い空は、徐々に赤紫色に染まっていった。夕暮れはアスファルトに細長い影をおとす。たったひとつ、僕を除いて。
そう、僕は死んだ。それを理解したのは案外早かったのかもしれない。なんて勝ち誇っても仕方のないことだけど、僕が今の豊風みたく、繋ぎの役目をした時は、死を理解出来ない奴らばっかでうんざりさせられた。と、その話は今はおいといて。


豊風が去った後、しばらく呆然と立ち尽くしていた僕は、目の前を通る女性を見つけ、呼びとめた。何か言おうと考えてた訳ではない。ただ咄嗟に身体が反応した。僕はよっぽど焦っていたんだろう。自分の行動に気付かされた。
『あの、すいません』
「・・・・」女性は僕を無視する。そこに違和感があった。例えナンパだろうと、どれだけ怪しい人だろうと、一度くらいこちらを見るだろう。でもその女性は一度もこちらを見ないどころか、眉をピクリとも動かさず、何度呼びかけてもただ前を見て、何事もなかったかのように歩き去ったんだ。
何かの罰ゲームか? なんて考えるが、それも違うことに気付いていた。なんせ、最後の記憶は車に跳ねられた部分だったからだ。その後がない。それが拭いされない。
現実感はないものも、夢とも思えないこの世界では、罰ゲームよりも僕が死んだという考えの方がむしろ現実味があった。


そう、あれは信号のない所だった。確か道路を挟んで向こう側。とある雑貨屋のショーウィンドウに、彼女の探していた鞄を発見したんだ。たかがそんなことで舞い上がり、僕は確認もせず道路にとびだした。あまり車の通らない道だったとはいえ、なんて間抜けな話だろう。ボールを追いかけるガキんちょじゃあるまいし。
車のブレーキの音がして咄嗟に右を向くと、ほんの数メートル先、猛然と向かってくるトラックが見えた。『あっ、やばいかも!』と思ったその瞬間から、すべてがスローモーションになる。僕はトラックを避けようとするけど、水の中に沈んでいるかのように身体が重たく、思うように動かない。運転席を見上げるとドライバーの驚きひきつる顔がはっきりと見えた。『こりゃアカン』と思った矢先、
キキキキ…ドーン―

とブレーキのけたたましい音に負けないくらいの衝突音が響く。途端、時間は元の早さを取り戻す。スローモーションで溜めた分だけ、衝撃も倍増されたような気がした。僕の身体はフワリと空中に放り出され、そのままガードレールに頭からぶつかった。バッティングセンターで聞こえる、カーンとかキーンといった具合の心地よい快音が頭に響いた(他の人にはどう聞こえたか分からないが)。
そして風呂につかるような温かさが訪れたかと思うと、すかさず震えるような寒さがやってきた。高熱で寝込んでいく様を驚異的な早さで体験しているようだった。
薄れる意識の中、家族や彼女のことが頭を横切り、最後には『俺が武田鉄矢やったらトラックは寸でのとこで止まったんかな?』なんてくだらないことを考えていた。あぁ、ほんとくだらない。だけど、それが生きている内の最期の記憶なんだ。


そして、気が付けば豊風が前にいた。


そういやその時に、何かブツブツ言っていたな。
確か…そう。『五年後や』…とか。
ん? 五年後? なんのこっちゃ。


* 4 *


夜が明け再び街に光が差す。夕焼け・街灯・朝焼けが同じように僕を照らすけど、やっぱり影は落ちなかった。
一晩、その場を全く動かないでいた僕だが、ようやく思い立ち、とりあえず事故現場に行ってみることにした。

眠いという感覚はなかった。怖いという感情もなかった。ただなんとなく歩きたいと思い、どうせなら自分が死んだ場所にでも行こうと思ったんだ。


とぼとぼ歩き続けると、丁度事故の現場へ続く道にある公園にさしかかった。そんなに広くはないが中央が丘のようになっていて、子供の頃はそこから見える景色を少し誇らしげに眺めていたのを思い出す。

僕はそこへ向かう木で作られた階段にさしかかる。見上げると、丘の先には昨日と変わらず青く澄みわたる空が見えた。足が止まる。そこに果てしなく広がる空はただただ広く、死んでしまったことさえなんだかちっぽけに思えた。あぁ、こんな風にぼんやりと空を見上げたのはいつ以来だろうか。たまにはいいもんだなと思う。今更かもしれないけど。
そろそろ行こうかなと、足を踏み出そうとした時、ふいに何かが横切るのが見えた。ん、なんだあれは? 僕は目を凝らす。鳥? 飛行機? いや、人間だ。女の人だ。しかも、服を着ていない。なんとまぁ、裸の女性が空を飛んでいるではないか。あの色合い…、うん。確かに裸だ。いや、肌色の服を着ているだけかな? ていうかそれ以前に空飛んでるし。どうなってんの?
女性はこちらには気付かず、フワリフワリ空の海を漂い、そのまま太陽の光と重なり、消えていった。僕はそれを唖然と見ていた。顔は確認できないが、スラッとした若い女性だ。しかも裸…。ラッキーっていやいやいやいや、なんだそりゃ。どんだけ冷静な感想言ってんだ。空を飛んでいるんだぞ。もうなんか色々無茶苦茶だな。はは、もう笑うしかない。フフフ。僕は何だかとてつもなくおかしくって、どうせ誰にも聞こえないのをいいことに大声をあげて笑う。フハハハハヒフハハハアハハ―。
とその時、「どや、すごいやろ」突然後ろから男の声がする。僕は慌てて振り返る。豊風だ。
あ、そうだった。こいつには聞こえるんだ。
「アンラッキーってやつやな。あの女、はよー向こう側いきたいやろうな。あっ、でも羞恥心ないからそんなん思わんか」豊風は嘲笑うかのように裸の女性の行く先を眺めると、スッと僕に目を向け、「どや、理解したか?」と言った。
理解って何をだ? 『裸を?』
「アホか! このド変態! 死や。お前が死んだっちゅーことや」

『あぁ、なんやそれか。死んだんやな、俺は。なんとなく分かるよ』僕はあっさり答える。
「そういうこっちゃ。案外早かったな、上出来や」豊風はポンと僕の肩を叩く。
『で、なんで裸? しかも空飛んでたし。そういや昨日、自分も飛んでいってたし。説明してちょうだいや』
「また裸のことかいな。まぁ順番に説明したるから。ところで、お前はどこ行こうとしてたんや?」
『事故現場や。俺はトラックに跳ねられたん。そこに行ってみようかと』
「なるほどな。なるほどなるほど、分かりやすい!!」豊風はビッと僕を指差し続ける。「よっしゃ、じゃあそこ向かいながら話たるわ」
『そうしてや。じゃあとりあえずさっきの裸の―』
「またそれかい! それは後や後。はい行った行った」
豊風は僕を促した。


それにしても、何で僕はこんな冷静なんだろうか? 死んだというのに。目の前には数十年前に流行ったようなイデタチの、靴も履いてない白いソックス姿の変な奴がいるというのに。

しかも、僕はすでにこの世界を生きようとしてる。生きるという表現もおかしいんだろうけど。。。


* 5 *


「まずな、なんで裸か? ってことや」
『あれ? 裸は後回しちゃうん?』
「まぁ、それも含めて話すんやないか。あの女が裸なんと、俺が靴を履いてないのはおんなじ理由や。分かるか?」
『だからそれが分からんから聞いてるんやん』
「わーーかってるがな。まぁそう焦るなよ。そやな、とりあえずお前。空飛んでみーや」そう言って、豊風はフワッと足を浮かせる。
『出来るかいな、そんなこと』僕はかぶりを振る。
「それが出来るんや。お前はまだ―俺は死んでない―ってどっかで思ってんちゃうか? ええか、死んだらもう現実じゃなくなるんや。現実のものは触られへん。現実世界の奴には声は届かへん。鏡には自分の姿が写らへん」
『影もない』
「そういうことや。なんや分かってるやないか。だから、生きてた頃と同じ考えじゃあかん。切り換えなあきまへん。でもな、もうお前はそうなってるはずや。この今オレらのおる―間の世界―では感情ってやつが薄れるんや。さっきの女も羞恥心が薄れてるんや。だから堂々としてたやろ。他にも怒りや焦りや悲しみ、そういう余分なもんはなくなるんや。そうせなこの世界でも争いが起こってまうからな」
『そういえば、さっきからやけに冷静になる時があるわ』
「やろ。だからお前が感じるマイナスの感情は、思い出して作り出してるだけやねん。ほんまは焦ってないねん。焦らなあかん、驚かなあかんってって勝手に思ってるだけや」
『あ、でも昨日、自分怒ってなかった? 俺が話聞いてなかったからって』
「あれはノリや」豊風はフフンと鼻を鳴らす。「なんちゅうかな、この世界は暇やねん。俺は現実世界で悪さしたから、お前みたいな奴らをぎょうさん連れていかなあかんねん。だからもう15年以上はここにおるんちゃうかな。もうな、なんしか暇なんや。だから怒ってみたりして遊んでるんや。むっちゃおもろいやろ?」
僕は首をかしげる。『よ~分からんけど…』暇って感情が残っていることは分かった。



そうこう言っている内に、事故現場が見えてきた。空を飛べない僕は、小走りで近づく。そこでふと疑問が浮かぶ。
『あれ?』
「どしてん? ここやのうたか?(ここじゃなかったか)」
『いや、そうじゃなくて。現実世界のものには触れられへんって言わんかった?』
「言うたけど、それがなんや?」
僕は地面を差す。『じゃあ今、駆けてきたこの地面は、現実世界のものじゃないってこと?』
豊風は待ってましたよという顔をする。「だからそれが―まだ俺は死んでないかも―ってどっかで思っとる、いい例やな。それもお前の想像や。いや想造か。とどのつまり、お前はまだ現実世界の感覚でおる訳や。地面を歩いてるつもりや。でもそれはしゃーないかもな。生きとる時に一番経験してる感覚なんやから。それはなかなか抜けへん。自然に出来てしまう。俺かてそうやもん。でもそう思ってるから空を飛ばれへんねんっていうのはあるわな。今の世界は不自然で成り立ってるって理解せんとな。つまり、こういうこっちゃ―」

豊風はそう言うと、地面にずぶずぶと頭を埋めていった。「こんなんも出来るんやで。どや!? めっさおもろいやろ!?」
なるほどね、今度のはなかなか面白い。

僕は映画の《ゴースト》を思い出す。主役のサムも普通に地面を歩いていたか。そういやあの中で…、『じゃあ逆にもっと強い感覚をもてば、人や物に触れたりできんかな? 生きている人間に声を届けたり出来んかな?』サムはコインなどの物体に触れる能力を身に着けていたし、霊媒師役のウーピー・ゴールドバーグと話もしていた。まぁ映画の中の話だけど。
豊風は意表をつかれたのか、返答に困っていた。「いやっそれはお前、あれやろ―」首を左右にかしげる。これも困っている演技だろうか? 僕には分からないけど。
「うーん」と、しばらくうねっていた豊風が、ようやくひねりだした答えはこうだ。「―お前って…案外ロマンチックやな、ははっ」
笑って誤魔化しやがった。こいつ…、もしやただのアホ? 僕は密かにそう思う。

あれ? でもこれってマイナスの感情ではないのかな? それともこの地域ではアホは褒め言葉ってことか?

うーむ。分からん。一体、僕にはどれくらいの感情が残ってるんだろう。。