少年と私 ①~⑥ | * 僕は駆け出し作家 *

少年と私 ①~⑥

* 1 *


好きで始めた仕事。それは今もそう思っている。でもあの頃とは違う。いつの間にか情熱ってもんがどこかいったみたいなんだ。夢と現実とのギャップに喘ぎ、可能性を閉ざしてしまって…、つまりはやりがいを感じなくなったんだ。そして長い長い五月病が続いている。そういうこと。


「私はこの会社に必要なんだろうか?」 一度そう思うと、どんどん必要性を疑ってしまう。私が辞めても会社はまた新しい人材を雇うだろう。情熱をもった若々しいエネルギッシュな子がくるかもしれない。ただ存在するだけでも空気が和む可愛い女の子がくるのかもしれない。ただ言われた通りのことを、ただただこなしているだけの私よりいい人材はいくらでもいる。

もはやこの会社にとって、私という存在はただの代用品なんだ。そう考えだすと、前任者も私への代用品だったかもしれない。突き詰めていくと、この会社に本当に必要な人なんていないかもしれない。上司からしてそう、何もしないくせに怒ってエバって、朝の挨拶もしない。挨拶はされる奴が偉いんじゃなくて、する人が偉いんだ。こんなだから会社や社員が腐るんだ。ふん。
とにかく、ほとほと私は疲れ果てていた。いや、本当はあの事件以来、ずっと疲れていた。ごまかしていただけだ。前を向いたふりして、後ろ向きに歩いていた。ごまかしは長くは続かない。


でも、ある少年との出会いが私を変えた。私の何かがはじけたんだ。これはそんなお話(どんなお話なのよってね)。
本当は、会社にとって私が必要かどうかなんて、どうでもいいこと。関係あるけど関係ない。ただの前ふり。一応、現状を語るとこから始めただけ。まぁ、聞いて。



ある日の帰り道、私は海沿いの公園を散歩した。昔はよくココを散歩したものだけど、最近は毎日が忙しくて、そんな暇はなかった(他にもある理由はあるのだけど)。たまの休みの日にわざわざ歩こうなんて、そんな余裕も全くなかった。考えもしなかった。疲れた心と身体は一日の休みじゃとれることもなく、そのツケは日々にずんずんとのしかかってくる。結局、家でゴロゴロするのが私の休みの過ごし方になるんだ(それが余計に疲れる原因なのかもしれないけど…)。
今日ここに来た理由は分からない。ただフラリと気が付けば足が向いた。そんな感じだ。


新しく改装された道に少し気持ちを高めながら歩いていくと、灯台の向こう、海へ沈む夕焼けを見た。『今日もまた無事に一日を終えたよ』。まるでそう言っているかのように、オレンジ色の澄んだ光がこの世のすべてのものを染めあげて、波は穏やかに揺れていた。

         




* 2 *


辺りを見回すと、数人のカメラマンやエセカメラマン、初々しいカップルや人目もはばからずイチャつくバカップル、犬を連れて散歩している夫婦、そしてサックスをケースに直している少年がいた。少年というには語弊があるかもしれないが、私の歳からすると、やはり青年というよりも少年なんだ。



私は思わず少年に話しかけてしまった。というのも少年を見て昔の思い出がフラッシュバックしたんだ。
かつて、私の元カレ(一応、元とつけておく)もサックスを演奏していた。ただの趣味と言っていたけど、本当のところは分からない。素人目からじゃその実力も定かではないが、誰が聞いても、『上手い』『カッコイイ』と声をあげていた。私もカレがそう言われているのを聞いて満更でもなかった。いや、かなり気分が良かった。
カレとは五年前に別れた。それは永遠のお別れ…。どこにでもあるような車の事故で、意識不明の重体となり、すぐさま病院に担ぎこまれたけど、そのまま意識を取り戻すことなく他界した。そんなどこにでもあるような結末。でもそれが大切な人の身に襲いかかるとは、想像もつかなかった。
当然のことながら、しばらくはカレの死を理解できなかった。理解した後は整理ができなかった。整理ができたと思ったら、また理解ができなくなっていた。

何でカレが死ななきゃなんないの? 世の中には死んだ方がいいような人間なんていくらだっているのに。カレをはねたドライバーとか。。。

だけど、次第にそうやって責めるのにも疲れていった(といっても、一生許すことはないが)。

何かしようと思い、カレに伝えたかったことを紙に書いてみた。何枚も何枚も書いたけど、全部くちゃくちゃに丸めて捨てるだけだった。そうして、その紙の数だけ頭と心がパンクしていった。
結局、断ち切ることも、割りきることも、乗り越えることもできていなかった。



* 3 *


そう、私はそんな気持ちを振りきる為に、無理矢理、好きな仕事を見つけたのかもしれない。だけど、逃避の先にある夢なんて偽物はすぐに消える。ただの日々の泡。ほの暗い水面から現われて、プクっと膨れたかと思うと、すぐにパンッとはじけて消える。


あれ以来、恋愛もしていない。どうしてもする気になれない。やっぱり好きになるのが怖い。失いたくないものは、もぅつくりたくない。また…、もしかして…、そんなことが頭をよぎる、というより駆け回る。突然トラックの前に飛び出して、『僕は死にましぇん』なんて言ってくれる人もいないんだ(そんなことされても困るけど)。
カレが残したものは色褪せない想い出と、絶望的で断続的な悲しみ。ただそれだけ。そして私はそんな障害物に阻まれて、ちっとも前に進めないままでいる。




ココには、カレに連れられて何度か訪れた。沈む夕陽とカレを眺めつつ、波とサックスの音色によいしれては、ゆっくりと流れる時間を感じていた。
今思う。変わりゆく環境の中では、時を同じように感じることができないのかもしれない。あの頃みたく、ただ身をゆだねていることができる時間は、あの瞬間に用意された特別なものなんだろう
でもそのことには、みんな過ぎてから気付く。惜しいな。分かっていればもっと大切に過ごすのに。ん? だったら今もそうなのかな? いつか気付くのかな。ほら、やっぱりその時は分からない。



* 4 *


「サックスやってるの?」
少年は私が不意に話しかけたもんだから少し驚いていた。なんだか初々しくて可愛い。って、何を新入社員をいじるお局さんみたいなこと言ってんだか…。
『え? あ、あ、はい』
「もう練習は終わり?」
『はい。今日はもう…』
少年はちょっと、いや明らかに不信感をいだいてる。―あんたは一体誰なんだ―、顔にそう書いてあった。しかし、私は構わず続ける。
「そっか、残念。聞きたかったな。私サックスの音色好きなんよ」
そう言うとようやく少年の顔が明るくなった。
『あ、音いいですよね。僕も。だから始めたんです。えっと―』少年は私にスッと手の平を向け、続けた。『―やってなさるんですか?』
私は慌てて首と手を横に振る。「いやぁ、私はやってへんけど、あの…知り合いがね(初対面で死んだカレがとは言えまい)。でも良くサックス奏者のCDを聞いてたよ。えっと―」私のカレはある海外の演奏者に影響を受けてサックスを始めた。もちろん部屋でよく一緒に聞いた。名前は、えっと確か…そう、「―マイケル・ブレッカーって人やったかな、知ってる?」
「あーー」少年は勢いよく首を縦に振った。『もちろん知ってますよ! へぇー詳しいんですね。でも・・・彼って亡くなりましたよね。ホンマ惜しい人を…』
私は一瞬、何故この少年がカレの死を知ってるの? なんて思ってしまう。バカだ。アホだ。
「そう…なん? 最近あんまり聞いてなかったから知らんかったわぁ。いつのこと?」

『最近ですよ。白血病で。その前も闘病生活でしたしね』

「そっか、そうなんや」ブレッカーの曲はあの時以来聞いていない。なぜなら・・・って言わなくても分かるか。

「君も、ブレッカーに影響受けてはじめたとか?」私は自然と死のテーマを反らす。
『僕はブレッカーちゃいますよ。彼のことはだいぶ後から知ったんです』
「じゃあ武田鉄矢とか?」
『それ真治でしょ。鉄矢て、僕は死にましぇ~んの人でしょ』彼は少しおどけて笑った。
私もアホな勘違いしたなと笑う。「あ、そっか、あはは。ごめんごめん。でも若いのによー知ってるなぁ」
『物真似とかでよく見たし、再放送もよくやってますからね。真治でも鉄也でもないですよ』
少年は何かを思い出すように空を見上げ続けた。『ここでね、この場所で聴いたんですよ』
え? 私は胸がざわついた。



* 5 *


「ここって―」私は人差し指を立て、そのまま下に指す。「―ココ?」
もしかして少年はカレの演奏を聴いたの? なら、影響を与えたのはカレってこと?
『そうっす。ココで。衝撃っていうのか、かっこええなーって思って』
私はえもいえない気持ちになって鳥肌がたった。カレ意外にココで演奏した人は見たことがない。きっとカレだ。そんな悲劇的で衝撃的で感動的な巡り合わせなんてあるの?
私のざわつきなんて知るよしもない少年は、思い出にひたるような顔を見せている。そんなドラマチックな話って…、そんな事が現実にあるの? 

少年はスッと私に顔を向け続けた。

『えっと、確か2、3年くらい前なんですけどね』
なかった…。全然違った。カレの死後のことだ。思わず少年に、鳥肌を返してよと言いたくなる。
『ここで演奏してるの見て。めっちゃかっこよくて。僕もやりたくなって、でもそんなん買う金もなくて。だから学校に内緒で必死でお金貯めて』少年はヨシヨシとケースを撫でながら言った。『最近やっと買えたんですよ』
そりゃそうだ。カレが演奏していたのは、5年以上も前の話だ。いつまでも捕らわれすぎだ。カレ以外にもここで演奏する人がいても不思議ではない。この少年がそうであるように…。ふぅ、そりゃそうだ。

私は少年に気付かれないように小さく息を吐いた。
そこで少年は何かを思いついたのか、『あ、そうや』と小さく言うと、子犬のような瞳で私を見た。私はそこに吸い込まれそうになる。「ん、ん? なになに?」
『よかったら、一曲聞いてもらえないですか? まだ下手くそやし誰かに聞かせるレベルじゃないですけど』

あ、なんだそういうことか。情けない、ちょっと動揺してしまったじゃないか(さっきとは違う意味で)。私って案外単純なのかもしれない。
「聞かせるレベルじゃない~? でも周りにいっぱい人いるやん。ほら。ホラホラ」私は両手を広げ、辺りのカップルやカメラマンを指す。
『いや、そうなんですけどね。誰かに対して演奏するとなると、また違うんですよ』
「ふふ、そうやんね」そう、かつてカレも言っていた。私はニコッと口元を緩める。「いいよ、聞かせて」
『ありがとうございます! ちょっと待って下さいね。すぐ用意するんで』
なんだか可愛いな。夢のある若い子って純粋だな。
『あー、なんかめっちゃ緊張してきました』
「あかんあかん。いつかもっと沢山の人前でやるんやろー?」
『そうっすね。そうっす、そうっす』少年は自分自身を納得させるようにブンブンと首を縦に振った。





続く…

* 6 *


少年はフッと短い息を吐く。精神を集中させ、息を吸い込む。緊張感がこちらにまで伝わる。
私は、音楽が始まる瞬間の、この空気が大好きだ。見ている人、聴いている人、そして演奏者のいる空間だけが外界から切り取られる。その小さな世界はとても居心地がいい。うーん、たとえ下手くそでも…。
私が心のどこかで期待していたからかもしれないが、とても人に聴かせるレベルではなかった。音がはずれる、詰まる、かすれて情けない音がもれる。その瞬間バカップルが手をたたいて笑う。私は自分自身も笑われてるようで少し恥ずかしくなる。散歩している夫婦は呆れたように首を横に振る。カメラマンは少年のシルエットを撮影すべく、夕日と少年の直前上を陣取る。
プッフゥと音がもれる、ギャハハとカップルが笑う、カシャカシャとシャッターがきれる。
そんな中でも、少年はたじろきもせず、恥じらいもなく、むしろ「俺を見てみろよ」という表情で演奏していた。真っ直ぐな瞳が夕焼けに照らされてキラキラと輝いていた。私は恥ずかしくなった。こんな素敵な少年と仲間だと思われることを恥じたことを、恥じた。
荒削りだが光るものがある、だなんて言えないが、少年がいつか夢見る舞台で演奏しているシーンが容易に想像できた。
聴いたことのない一つの曲が終わると、少年は空を見上げ、ふいに何かつぶやいた。読唇術など私にはないが、何か同意を求めてるようだった。―いいやろ? いいよな?
そしてお辞儀をするように深く頷いたかと思うと、こちらをチラッと見てもう一曲』と指を一本たてる。
なんだなんだ、それを言うのを迷っていたのか。そう思うとなんだか可笑しい。私は口の動きで「い・い・よ」と伝える。
少年も同じように『ど・う・も』と言い、一度だけ笑顔を見せると、スッと表情を戻した。ふぅー長い息を吐き、すーっと静かに吸い込む。
次の曲が始まる。


そう。その時、少年を見つめていた私の笑顔はふいに硬直したんだ。
あの日のことがフラッシュバックする。



続く…