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初めての出会い

 

彼が降りたところにはちょうどバス停があった。

 

「多分、バスの来た逆方向に行けば大丈夫だよね・・・?」

 

と、マールはひとり心の中でつぶやく。

それに、ここまでバスは一回しか角を曲がらなかったはずだから

帰れる自信もある。

 

バタ。

 

扉が閉まった音がかろうじて聞こえた。

 

外はまだ雨が激しく続いていて、

空は相変わらず真夜中のように真っ暗だ。

 

バスの戸の閉まる音を聞くや否や

自分で帰ると決めていたはずなのに

マールはついつい、後ろを振り返ってしまった。

 

はじめ、入り口を見つめたが

運転手とは目を合わせたくなく

すぐにバスの側面の方へと、視線をずらした。

 

バスの側面に書かれたロゴは

よだれのようにとけていて

何が書かれているのかよく読めない。

 

『ライフ・コット?』

 

聞きなれない言葉だ。

マールの学校の名前でもない。

スクールバスの会社の名前ではないのだろうか?

 

そんな疑問が脳裏を走る間に

バスの運転手はここに長く、いたくないのか

逃げるようにそそくさと、走り去って行った。

 

排ガスの臭いと濡れた路面が

混じりなんとも言えない空気が心を蝕む。

 

「みんな置いていくんだな・・・。」

 

そんなバスの姿が同級生とかぶり

ため息が大粒の涙のように零れ落ちた。

本心が素直に言えないマールの性格は本当に厄介だ。

 

「・・・あっ!」

 

実は、今、マールは気がついたことがある。

 

「お代を払ってない・・・。」

 

多分、あれはスクールバスだから大丈夫だろうと、

軽い気持ちで納得し

とりあえず、帰路に着くことにした。

 

街はレンガの建物が多く並んだ古い街で、

さっきのバスはその街のわき道へと入って数分走ってきた。

 

細い道だ。

車一台分走れる位の路地。

 

路地の脇を硬く覆っている

レンガをつたって滴り落ちる雨は

どことなく赤い色をしているように見え

その、真下にたまった水溜りには触れたいと思う人はいないだろう。

 

空を見上げても屋根が空を覆い天が狭く

よくバスでこんな道に入って来れたものだと

マールは少しだけ感心した。

 

レンガの建物のそばにある

街頭もどこか懐かしく

街頭の足元には泥臭いゴミ箱が置かれていた。

 

「バスはこの通りに入る以外の角を曲がらなかったはずだ。」

 

あやふやな記憶をたどり、

バスがどういう手順でここまでやってきたかを考え直す。

何度考えても同じ答え。

 

まっすぐにバスの来た道と逆に戻れば

学校に着き、歩いて数十分で家に帰れるはず。

そう思ったマールは

バスの行った反対方向に向かって行こうと決めた。

知らない道を歩くという不安を抱えながら。

 

マールがバスから降りた場所にはちょうどバス停があり

目印にするにはもってこいの場所だった。

 

「ここを目印にしよう」

 

停留所名前を調べてみると

バス停の名前には通りの名が使われていた。

 

ここの通りの名前は

『ムビウス通り』

 

ちょうど今朝マールたちが会話していた噂の通りだ。

3番と4番通りの間の小道が

人食いの老人の住まう屋敷へと続いているというあの噂の通りだ。

 

バスはマールの知らぬ間に

噂のムビウス通りにやってきていたみたいだ。

だけど、マールは3番通りと4番通りの間以前に、

ムビウス通りのことをよく知らない。

 

「ここがそう?確か・・・ヤバイのは3番と4番の間だから気にしなくても大丈夫だよね?」

 

ガラスの破片程度の不安を抱えながらも噂は噂。

マールは、気にしないで進みだした。

 

 

クスクスクス・・・。

 

しばらく歩いていると

背中の方から声に

ならないようなかすんだ高い音が聞こえてくる。

なんだか誰かに見られている気がしてマールは振り返った。

 

 

「・・・誰もいない。誰もいないよね?」 

 

不安に駆られた

人間が1人になると

ぶつぶつと独り言が多くなりがちだ。

 

彼の視界には

古めかしいレンガの建物で覆われた路地が映るだけ。

足元には大きな水溜りが見える。

いつの間にやら雨は小雨に変わっていた。

 

「・・・行こう。」

 

再度、歩き始めたマール。

すると、

 

クスクスクス。

クスクスクス。

 

やっぱり何か聞こえる。

幻聴ではない。何かの声はマールの心揺さぶった。

 

「あの子で大丈夫なの?」

「さぁ、彼が選んで連れてきたのだから大丈夫じゃない?」

 

クスクスクス。

 

そんな風に聞こえる。

マールは手に持った傘を握り締めながら

耳を澄ませた。

 

クスクスクス。

 

気のせいなんかじゃない。被害妄想でもない。

誰かがマールのことを話している。

 

この誰もいない路地で。

 

「誰?そこに誰かいるの?」

 

かなり大きな声で遠くの壁に向かって問いかけるマール。

だが、返事はない。

 

マールは足を速めた。

足を早く動かすが背中はひんやりしていて気持ちが悪い。

 

だがおかしい。

歩いても歩いても、走っても走っても

バスが入ってきた道にたどり着かない。 

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。」

 

それどころか壁がマールを引き止めるように

ドンドン前の道が狭くなっている。

明らかに道幅は人1人分の細さになろうとしていた。

 

「ここは通りだったはずなのに?どうして壁に囲まれているんだ?」

 

首を振り、路地の左右上下を眺めた。

 

『・・・ん?』

 

マールの目の前にある壁には

頭よりも少し高い場所に

ボードのようなものが貼ってあり一直線に並んでいた。

 

「何か書いてあるぞ?え・・・っと・・・・?」

 

 『ムビウス3.14159265358979323846264338・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 通り入り口                       』               

 

「これってもしかして・・・?看板?」
 

看板マールがさっきやってきた方向に続いている。

入り口のない噂の通りはここから始まっていた。

 

「どうしよう・・・早く宿題しないといけないのに・・・」

 

マールは看板を見ながら

この期に及んでまだ、宿題をしようという意志が内在している。

社会に縛られた少年は不測の事態にも対する対応が鈍い。

 

いや、どうやってこの場を抜け出すことを考えるよりも

現実逃避したほうが楽なのかもしれない。

 

しばらくそこに立ち止まって見渡すものの

出口はない。変な声も聞こえなくなっていた。

 

今は湿ったレンガの建物の

雨樋から水が流れる音しか聞こえない。

 

「早く帰りたい・・・。でも・・・。」

 

少しだけ、ニコスの噂話が頭をよぎる。

 

「誰も行った事のない不思議な通り・・・か。」

 

マールは月曜日に

この道を探検したことを

みんなに明るく話している様子を想像した。

 

「ニコスのように話題があったら、僕は独りで帰らないでいいかもしれないな」

 

もしかして、

ちゃんとした友達ができるかもしれない。

大きく息を吸い、手に力が入った。

 

「よし!」

 

何が良しなのかわからない。

だけど、気合を込めたマールは

恐怖と、希望にも似た感情を手にしていた。

 

 

 

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