こんにちは!のりこです。


今回は、鬼滅の刃の
原作ストーリーが一部
ネタバレする記事になりますので
ご了承ください✨




最近、鬼滅の刃を
初めてテレビアニメで見て
(那田蜘蛛山編ですいのしし)


いままで漫画もアニメも
見たことがなかったけど
一度見たらぜったいハマる予感が
していたら、、

的中でしたチュー(笑)


鬼滅の刃を見て
鬼=エゴの暴走
を表している
と、わたしは思いました。


ほとんどの鬼はラスボスの鬼によって
もともと人間だった者が
鬼にさせられる、という設定。


鬼になってしまった途端に
人間だったときの記憶や
周りの人からもらった愛情、思い出など
すべて忘れてしまいます。


いろんな代償と引き換えに
永遠の命を得るので
炭治郎たちの日輪刀で倒されるか
太陽の光を浴びるか
どちらかでしか
死ぬことはできません。


鬼は、基本的に
ラスボスの鬼に
恐怖や依存で支配されています。


炭治郎によって倒されて
初めて鬼は

人間だったときに犯した罪や
自分の葛藤、苦しみなどから
逃げて負けた過去を
思い出して

愛されていた過去を
思い出して

涙を流しながら
さらさらと形が無くなり、消えていく。
成仏していく。


リアルに、、これ、
エゴのお話ではないか⁉️
と、思いました。


作品の表現はちょっとこわくて
いろいろ思うこともあるのですが、
今回は、込められたメッセージ性を
考えてみました。


このことを書こうと思ったのは
以前えりりんさんとのお電話で
鬼滅の刃について
話が出たとき。


えりりんさんは、

「鬼滅の刃って、あれでしょ⁉️
エゴが大爆発、みたいやつでしょ⁉️
わたしには何もかすらなくて
ノイズ(=エゴ)でしかないから
何も共感するものがない、、」

と、おっしゃってました(笑)


えりりんさんの近しい方たちで
同じようにエゴのない仲間や
その方のお子さんも
鬼滅の刃に興味を持つ方は
いらっしゃらないんだそうです。


エゴのない世界から来た人には
鬼滅の刃に描かれるものは
日常にないものなので
かするものがない、というのは
すごく納得しました。


でも、鬼滅の刃が社会現象になっているのは
そういう流れ(メッセージ)があって
作者さんはなにか役割があって
描かれたのではないだろうか。


そう話されたえりりんさんの
鬼滅の刃に対する見解は、


「わたしはちゃんと見たことないんだけど、
前にテレビでやってたのを
ちらって見たとき思ったのは

古い意識とかエゴみたいな
次の時代に持っていけないものを
切り捨てて、覚醒させる

みたいな感じじゃない⁉️ちがう⁉️」


見ていないのに
めっちゃ合ってます!(笑)
と、相変わらず驚愕しました✨(笑)



わたしの見解は
鬼滅の刃のテーマである
「鬼退治」は
「鬼と対峙する」ことじゃないかと
感じました。


つまり自分の中にある
鬼=エゴと向き合い
対峙して
新しい世界に向けて進化する
目覚めるというメッセージが
込められているように感じたのです。


今、公開している鬼滅の刃の映画
無限列車編も
“夢から目覚める”ことが
大きなテーマになっているし


漫画で数あるストーリーの中から
無限列車編が選ばれて映画化されたことも
このメッセージを
後押ししてるように感じます。


鬼たちの言動を見ると
エゴを暴走させた
「人間」そのもの。


エゴ優位で生きるとは
鬼として生きることと同じ
他の人の幸せを奪っている。
(鬼になると人をたべる=人の幸せを奪う)


それがビジュアル的に
分かりやすく
描かれていると感じました。
こわいけど、、


ここまで衝撃的に描かれないと
わたしたちは
まだ気づかないものを持っている 
と、いうことなのかもしれない。


人気絶頂の漫画としては珍しく
むやみに連載が引き伸ばされずに
最終話を迎えて完結されたのは


「こういう世界(鬼)は早く終わらせて
平和で幸せな次世代に向かう」


というメッセージが
込められているんじゃないかなぁ。
なんて、思ったり。


えりりんさんとのお話で
出てきたことは


鬼滅の刃の作者さんである
吾峠呼世晴さんのように
漫画に込めて
キャラクターに託して
大衆的に伝えようとする人


えりりんさんのように
個人のサロンで
特定の人たちに覚醒を促す人


表現することや
アプローチの仕方は違っても
いろんな人たちが
同じようなメッセージを伝えていること。


いま、ものすごい過渡期の中に
同時多発的に集中して


エゴに対するメッセージ
伝えようとしている人が
たくさんいるんじゃないか。


鬼滅の刃は日本の大正時代に
ストーリーが設定されているので
特に「日本」に対する
メッセージが
込められているのかもしれない。


とのことでした。


年配の方でも
時代背景の描写が懐かしくて
鬼滅にハマった方がいらっしゃるという
ニュースを見ました。


昔から脈々と繋がってきた
日本の集合意識にある重いエゴに
斬り込む。
そんな印象も、あります。


鬼滅の刃の鬼って
他人事のように思えなくて
共感する人が多いことが
ここまでの社会現象になっている
ひとつの要因かもしれません。


わたしたちが
鬼に共感しているものは
自分の中にあって
自分で対峙する必要があるものを
見つめて、気づいて、改めていく。


鬼滅、とは
鬼をただ排除することではなくて
己の中の鬼を断つこと
なのではないか。


そのためには自分の中で
愛を育てることや強くすることが
必要不可欠になる。


優しいだけでは、
鬼(エゴ)に負けてしまう。
大切なもの(愛)を守れない。


そんなことを
えりりんさんの話から感じて
どろどろ~バイキンくんっと
なりかけていたところ(笑)

お話しの最後に
えりりんさんが、一言うさぎクッキー


「っていうかさ、何あの、主人公のダサい法被❗(笑)
黒とみどりのやつ、全然可愛くないねっ❗
チェック柄とかにしたら可愛いのに✨
あ、でもそしたら、趣旨変わっちゃうか✨
なにじろうだっけ? たんじろうっていうの??」


って、言ってました(笑)


あの炭治郎にも
変わらず無敵の
えりじろうさんでした✨(笑)


そして
炭治郎がやっていることって
えりりんさんが終了された
しゃべサロと同じなのでは、、⁉️
という話になり、


えりりん=リアル炭治郎⁉️


それはまた、次回に続きます✨(笑)