と、書き出しておきながら…
ふと思う
あ~そういや
もう一年も走ってないな…
走ることから一年も自分遠ざかってる
と、言うことは…
それだけ筋力も落ちているんだな
そんなことを思うのはハズバンドからの何気ない
『やさぐれ🦁はいつから走るんだ?』
うん、どうだろ?
そうだね…
返せない返事
うん…
ホントはきっとキモチだけは走りたいと心のどこかで思ってる
五月開催の地元のマラソン大会も頭のどこかにチラついていたりして
この間ハズバンドに連絡が来たマラソン仲間はエントリーしたとの情報
そっか〇〇さん参加するんだ…p(´∇`)q ファイトォ~♪
周りで聞かれる参加者の声
うん、そっか!ガンバって٩(°̀ᗝ°́)و
というキモチは正直なもの
各自の責任の元決断し、決行することだから反対も否定もない
コロナ流行以前の何も気にせず過ごせる日常であれば、というのは自分の中の言い訳なのか?
このような世の中の状況でなければ参加していたのか?と聞かれればそれもわからない
いや、きっと参加していただろうな
周りも賑やかで楽しく楽しみにしていただろうな
それをきっかけにまたチョビチョビ練習して
結果うんぬんではなく
それなりの自分を取り戻していけたのではないかな、とね
思ったりするこの頃
いや、焦ってはいけない
別に焦ることではない
自分の中のタイミングで動けばいい
コロナに負けないということは何かに焦って無理して何かをすることではないはず
と、思いつつ…
思いつつ井筒にかけし麿が丈⬅何じゃそりゃ
人生の期限を考えたりするこの頃
死ぬことが頭に浮かぶ
⬆物騒な表現だな!いやそうではなく
死って必ずやってくるもので命は期限のあるもの
50になり思うのです
あと20年くらいと自分の寿命を想定すると
20年って短いな…と
その中で何を選択し、どう行動していくか?
その選択の自由は自分の中に持たされているのに
コロナ禍で何も特別なことができずに過ぎていくような焦燥感
夏休みがあと二週間、いやあと三日しかない学生時代のそれとは訳が違う
宿題やってもやらなくても
赤点とっても追試して補習授業受けて
課題を提出して卒業できる学生という守られた時代ってホント
守られているのだ
そんなどうでもいいことが頭に浮かんだりしながら
自分の足元の不安定さにただ焦りを感じる
ああじゃなきゃ!
こうじゃなきゃ!
が頭を占める
ああでも
こうでもない自分が落ちこぼれな気がしてしまう
⬆きっと職場でのパワハラ上司からの圧力による後遺の考え過ぎ症候群
やさぐれ🦁ね、
フレンチブルドッグがすきです
ネコもシュッとしたスタイルの凛々しいタイプではなくブサカワが好み
そしてハシビロコウには特に魅力を感じております
そんな自分に目を向ける
ひとの好みはホントそれぞれ
何がよくて何がダメとかない
好きなものはすきでよくて
それを否定されるものでもない
そして自分も誰かの好みに共感することがあり
誰かのすきが自分の好きではないという感情であったとしてもそれもそれで構わないのだと思う
⬆だからと言って誰かのすきを否定はしないのは当たり前として
好きでもすきじゃなくてもいいのであるよ
卵かけご飯がすきでも
生卵が苦手でも
別にそんなの問題ではないのよ
だだ、同じものがすき同士でそこに感動できたら
それは幸せなことで
好きなことが違っても相手のすきを尊重できて同じように喜べて
その中で共通するすきに一緒に目を向けて分かち合えたら…
すごく
すごく
サイコーな時間を過ごせるんだな、と
誰かと一緒に過ごせる時間
誰かと一緒に過ごさなければならない時間
命は期間限定だから
振り返れば何もかも一瞬の出来事
そんなことを教えてくれた
気が
する
日常って大切なもの
特別じゃなく
日常って普通なのにふとしたことで普通じゃなくなる
ちょっとずつ変化して
いつの間にか普通だったことが手元からなくなってしまうこともね、あるんだなって…
そんなことを後からしみじみ思った映画でした
えっ?(⊙ꇴ⊙)
話があっちこっちでよくわからん!ですと
じゃあ観ちゃいますか?
その映画
とは気軽に足を運べない状況ですね今
もうしばらく対策と予防とが必要な時間が続きそうです
コロナのバカ野郎とマスクをしつつ心で叫ぶ
