中年だから春だから | 黒子日記

黒子日記

日々黒いキモチになる出来事を自分勝手に書き綴るだけの自己チュー極まりない真っ黒な空間です



┌(┌*ΦωΦ)┐≡3フーッフーッ

ふと思う



もし死ぬなら

そんなことを知らずに
明日死んでしまうならば

テキトーな軽いキモチで欲しいとねだってみたりする腕時計を
買わずに死を迎えるとしたら


あの時計買っておけばよかった!と後悔するだろうか?


死に直面する自分はその腕時計に死の重みよりも執着するほどの欲望があるだろうか?



いや、ないな

腕時計なくても後悔しない

なくても生きていける

なら、要らない!それが答え


明日しか会えないかもしれないひとに大切なキモチを伝えず死ぬとしたらどうだろう?


もし


自分が大切だと思うひとと出会い
同じ空間で同じ時間を共有できるチャンスがあるとしたら

その時間を共有したいという希望を

自分の意思を伝えずチャンスを掴めずに死ぬのと

伝えてみて相手の答えがNOなのでは全く意味が違う世界になる


伝えて叶うものだとわかっているなら簡単なことだけれど

わからないから躊躇する
でも
伝えずに過ぎて離れていってしまうのは死ぬのと同じほどの後悔が残ることだと思う


伝えてNOという返事をもらうなら
それはハッピーなENDであって

悔やむ後悔にはつながらないはず


ならば
それならば

死を基準にして行動するという選択をしてみるのはどうだろう?


曖昧に過ごせばテキトーに終わる

そこまで極端なのもどうかという疑問もあるけれど

死を意識して行動するのとしないのとでは
いろんなことが違って見えてくる


ちと、いや、かなりオーバーな捉え方かもしれないけれど

そうやって考えていけば
大切なものの基準がかわる

どんな時間を過ごしたか?
自分は自分を笑顔にさせられてきたか?




いつ来るかわからない

だから

大切にしなくちゃな



子どもの頃は時間なんて永遠だと思ってた

家に帰ればおばあちゃんがいるのが

一目置く存在の叔父の目を気にするのが

子どもの自分には当たり前だった

そこにいつも同じように存在したから



だけど
40年経ったら

当たり前じゃなくなった


祖母も叔父もいない世界になった

自分に家族が増えて
気づけば中年にたどり着いた


世界が変わっていくこと
変わってしまうのだということに
言いようのない不安やドキドキが襲ってくる






さくらって刹那
一年に一度

だけど来年また会えるとは限らない


誰も来週のさくらと約束なんて

できないんだね



きっと春だから
揺らぐ中年のオトメゴコロ

揺らいだら深呼吸して
さぁキモチにいい風吹き込んで

前に向かって行こう


待ってろよ日曜日の
さくらロード!








(๑•̀o•́๑)۶ FIGHT☆ͦ