ピチピチちゃぷちゃぷランらんRun♪
で、ラン休み~♪いぇーいドンドンドンパフ🎊㊗
って…
サボり魔か?(笑)
いいのです!
お疲れモードのときは休む!
休むことに罪悪感を持ってしまえばサボりという意識の元
チクチク痛むココロの片すみが
病魔に蝕まれていくのです
虫歯!?
違うがな
そう!気づいたのですよ⬅また何か( ᯣωᯣ )疑いの眼差しをビシビシ感じますが何か?(笑)
何かと申しますとですね⬅もったいぶり屋
選択の自由ということに、です㊗️🎉
へ?(´・ω・`)?ですよね
当たり前な話なのですけども
いろんな制限を作って生きてきた自分というものに縛られていたのだよ自分!
ということに気づいたのです
ややこし屋ですみません
これまでですね
やさぐれ️🦁は自分の作ったルールに縛られて生きてきたのですよ
それは誰にもある程度の範囲であることだと思いますが
あまりにも偏った
【こう在らなければならない自分】
というルールを設定しており
それを破ることを固く禁じ
破る自分はそれこそ
人でなしでろくでなしで罪人みたいな感覚?とでもいいましょうか
自分の中に敷いたレールをあたかも敷かれたレールのように思い込み
それに従わなければならない自分という設定をしていたのですね
なぜそうしたか?
周囲からの言葉と期待?
それを当たり前かのように刷り込まれてしまった幼き頃のやさぐれ️🦁
それは成長するにつれ次第に現実的になっていき
脱線する勇気を持てない自分に成長するのです
いや、脱線など当時のやさぐれ️🦁に赦された道ではなかったのですけどね…(笑)
脱線すればもう後には戻れない
金輪際敷居をまたぐな位の圧力の中
脱線して得る
その自由よりも四角い箱の中にいることの方が楽
誰かのせいにできるから
かごの鳥⬅ダチョウ並みの体格のやさぐれ️🦁はかごには入りきれないですけども(笑)
まあ、環境のせいにして
自分はそれに従うしかない運命、みたいな悲劇のヒロイン気取りというね
そんなつもりでもなかったのですけど
結局飛び出すことができずに開いたかごの入り口の前で空を眺める自分だったのだな…と
今さら気づいたのですけど
それは取り巻く周りの目もありきで
そうせざるを得ないものもあったのですけど
まぁそれも含めて全部自分の選択だったんだなとね
今さらジロー⬅小柳ルミ子さんの曲知ってますか?(笑)なわけですよ
そのとき選択することはできたはずだった
選択できる権利はあった
けれどもそちらを選ばなかったのは自分
選べなかったのも自分
けど何をどういってもそうしたのは自分
それが度を越えたら洗脳とかいうのかな…
うーん紙一重
まぁそれを何十年も環境のせいと思い込んできたのですが
それも含めて自分なのであって
そう選択したのは自分なのだと
ようやく自分の中に区切りがついたわけです
そしたら…
人生は何もかも一瞬一瞬が選択の繰り返しという言葉が思い出されて来てですね
これまでは
は?意味不と思っていたのですが
なるほどな!とね
ストンとなりました
食べるもの
着るもの
やりたいこと
は、もちろん
悩むこと
落ち込むこと
それだって自分が悩む、落ち込むという感情を選択して自分の中に起きることなんだな、とね
同じことでも悩むひともいれば
悩まないひともいて
何をどう感じるか受け止めるか選択判断するのは結局自分なのだということに
ようやく気づいた中年とちおとめ🍓
何か
ちょっとスッキリ~
やるもやらないも自分次第
過去の自分から遠い時間をかけて届いた答えは
自分の中にあるという
まるで青い鳥のお話しみたいな⬅え?ちょっと違う?
しあわせも不幸せもみんな自分が決めることで
自分の中にあるものだと
やさぐれ️🦁はそう思うことにしました
これはやさぐれ️🦁のエゴかもしれなくて
やさぐれ️🦁はそれでいいのですけど
こんな自分勝手なつぶやきをたまたま目にした方が気分を害されたらごめんなさいです
自分のしあわせは自分で決めよう
やさぐれ️🦁は自分にのみ
そう思います
(*´︶`*)ノ