イスラエルとパレスチナ

 

僕がイスラエルとパレスチナを訪れたのは

2012年11月だった。

 

それは平和を祈る旅だった。

トルコのイスタンブール、チェコのプラハ、ポーランドのイェレニアグラと

旅をし、イスラエルに入った。

 

その旅の思い出を題材にした映像をYouTubeで公開していますので

興味のある方はご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=Fg73gx0Ng5Q

 

イスタンブール、プラハ、イェレニアグラ・・・

素晴らしい思い出がいっぱいだけど、

今日は現在、紛争が勃発しているイスラエルとパレスチナで

過ごした数日間のことを振り返ってみたい。

 

ユダヤ人とアラブ人が住むイスラエルの公用語は

ヘブライ語とアラビア語です。

 

N氏の平和講演に随行しての旅だったので、

お会いする人はスピリチュアルな方が多かった。

 

イスラエルではユダヤ人のHさんのガイドで

様々なスピリチュアルグループと交流し、ワークショップにも参加した。

個性的なサウンドを奏でるミュージシャンとの出会いもあった。

何やら怪しい唸り声を上げるミュージシャン!?シャーマン!?もいたな。

 

エルサレムではユダヤ教の嘆きの壁、キリスト教の聖墳墓教会で祈りを捧げ、

イスラム教の岩のモスクが見渡せる高台で祈りを捧げた。

    

                      
 

僕たちの祈り、それは宗教も宗派も人種も民族も超えて

ただ平和と調和を祈ることです。

ただ人類と地球の平和と幸せを祈る、それだけです。

 

Hさんはご主人を第一次中東戦争で亡くされたが、その悲しみを超えて

ユダヤ人とアラブ人の友好の為に自らを捧げて働かれていた。

僕がHさんの立場だったら果たして同じ事ができるだろうか。

 

僕たちが高台で岩のモスクに向かって祈りを捧げていた時、

五、六メートル離れた場所に

一人の男性と10数名の高校生くらいの少年少女がいた。

教師と生徒だったのだろうか。

 

Hさんが仰るにはその一人の男性は少年少女たちに向かって

アラブ人に対する偏見を得々と説いていたそうだ。

 

それを聞いていたHさんはその男性の偏見を正そうと静かに話しかけた。

勿論、その話の内容はわかるはずも無かったが、後でHさんからお聞きした。

 

その男性は最後には泣き出し、自分の偏見と非を詫びた。

その想いは僕にも伝わってきた。

 

Hさんの勇気ある行動がその男性を変えた。

少年少女たちの意識にも少なからず影響を与えたのではないだろうか。

 

 

Hさんは彼女のユダヤ人の友人たちも紹介してくれ、

お宅へも訪問し、有意義な時を過ごした。

彼らは既成の宗教を超えて宇宙の真理を探究している方たちだった。

 

Hさんはエルサレムにあるアラブ人以外は訪れない

ローカルレストランへも連れて行ってくれた。

店の人たちは言葉や態度には出さないが、

Hさんに対するある距離感と冷めた空気のようなものを僕は感じた。

 

エルサレム市街にはあちこちで銃を構えた兵士が立っていた。

まだ二十歳行くかいかないかと思しき女性の兵士も何人か見かけた。

 

続く。

 

 

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