今回の旅の最大の目的は、鳴門の渦でした。

沖縄の久高島と北海道の御神行を終えた同行者が、最後の〆として鳴門に連れて行って欲しいと言われたのが、今年の夏でして、当時、僕には有給休暇が残っておらず、10月まで待ってということで、今回のスケジュールとなりました。

同行者は、いわゆるソース(根源)を神格化した主祭神と地球神霊ともいうべき国常立尊を祀る富士山を拠点とする神道系のグループを手伝っているライトワーカーです。

僕は、積極的には関わっていませんが、必要な時に同行者のお手伝いをしています。

今回も、運転手兼旅のガイドとしてスケジュールを作成しました。ついでに、僕の巡禮を加味したのが、今回の旅です。

渦の盛んな時間帯があって、それに合わすと最終日になったのですが、昨夜は満月であり、タイミング的にも良かったのです。

 

さて、観潮船の搭乗まで、少し時間があったので、国常立尊を祀る大元神社に参詣してきました。

今回の旅では、殆どピンポイントでナビが設定できる住所じゃなくて、だいたいのアクセスで神社を探すことになりました。

しかし、今回はピンポイントで設定したにもかかわらず、神社が存在していなくて、少し探しました。

そんな時に1匹の猫が現れて、こっちだと言っているようでしたが、そこに道はありませんでした。

仕方ないので、近くに車を停めて、同行者が探しに行くと、少し離れた場所に神社は鎮座していました。

同行者に「猫も間違っていたな。」と言うと、「猫は、こっちが近道といつも自分が通っている道を教えただけで、車が通れないことを考えていなかっただけだ。」と返されました。

猫の頭では、そこまで思慮を求めるのが無理な話ということでしょうか・・・

さて、目当ての大元神社は、意外と広い場所にありました。

やはり、石段が凄い。

しかし、かなり足も回復していたので、最後だと思って頑張って登りました。

 

大元神社といえば、宇佐八幡宮の奥宮が有名ですが、そこの御祭神は、比賣大神で女神ですが、僕は過去に、姫神ではなくて秘神なのではないか・・・と考えたことがあります。

全国の大元神社には、国常立尊を主祭する神社も多く、大元神社の御祭神といえば、国常立尊と考えたほうが適切なような気がします。

 

大本教の語られた艮の金神(うしとらのこんじん)は、国常立尊だと言われているので、大元の神とは、国常立尊だと考えたほうが良いのかもしれません。

今回、後で述べますが、「富士と鳴門の仕組み」を調べていて、ある方が丑年と寅年にかけてがスピリチュアルなエネルギーが強いというような事を言っていました。

今年は、丑年ですから、ちょうど来年にかけて世が動くなら、合致しているのかもしれません。

 

また、先ほどの富士山のグループも、国常立尊を重要視しており、神道では、独神とされている国常立尊ですが、実は、夫婦神として説かれています。そして、その女神の復活を求めておられます。

つまり、女神のエネルギーの復活は、COBRAだけでなく、様々なライトワーカーのグループが認識している事実です。

ただ、やはりまだ不足しているので、様々な方々が作業をしているのだと思います。

 

大元神社の石段の下に小さなお社が祀られていました。

祭神は、わかりませんが、典型的な弁天さんのお祀り様式ですね。

回りの水と祠は、陰と陽の和合を表しています。

 

 

大元神社の参詣を終え、港へ向かいました。

1時間程、余裕があったので、車を駐車場に止めで、車中より海を眺めていました。

海に浮かぶ雲が銀河連合の宇宙船のように思えて、きっと宇宙では、こんな光景が見られるのだろうなと思っていました。

 

 

船が戻ってきました。

これに乗り込みます。

僕たちの前の時間と後の時間に乗船したお客さんには、修学旅行のような団体さんがいて、ちょうど僕たちの乗船時間だけが、少ない乗客数で絶妙なタイミングでした。

船上でのワークがあったので、これは助かりました。

今回、僕の怪我以外は、全て順調で、最も効果的な導きがあったように思います。

富士山のグループは、この旅の保護のために作業をしてくれていたそうですが、僕には、保護が必要ないだろうとノーマークだったそうです。

同行者も今までの経験から、僕は大丈夫だと油断したそうで、僕自身は、危険予知をしていたのですが、それでも相手があったことで、避けきれませんでした。

ただ、旅の間、日に日に怪我が回復したことは、やはり助けが働いたように感じました。

 

 

 

 

 

渦のエネルギーは凄いですね。

もう一隻、小型の観潮船があるのですが、その船はくるくると渦に合わせて回転していました。

 

 

そもそも、なぜ鳴門の渦だったのか?

 

これには、富士山の火と鳴門の渦の水の火水のバランスをとる目的があったようです。

鳴門の渦や、阿波の事は、昔から認識していたのですが、富士山との関係は知りませんでした。

少し調べてみると、どうやら日月神示に言及されているようです。

 

日月神示は、一二三(ひふみ)神示とも呼ばれ、Wikipediaによると、

「神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物。昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に八巻の神示が降りたとされる。昭和33、34年に何かが発生。非公開の神示がこの前後に降りた物なのかは不明。 」

 

ここにも国常立尊が絡んでいます。

この筆記は、漢数字や記号で示されており、何のことか分からないのですが、知識人によって解読されたそうです。

その知識は、大本教や古史古伝として伝わる、いわゆる偽書とされている超古代の知識を参考にされており、日月神示の内容は、日本の予言書だとされているそうです。

その内容を簡単にまとめると、時代の終わりに、世の中は壊滅的な状態になるけれど、自分の魂を磨いた人は、次の素晴らしい世界に移行できるという話だと僕は理解しています。

 

こういった内容は、別に珍しい話でもなく、今、まさに世紀末の様相で、世界は混乱しています。

そして、イベントが起きて、新しい銀河世界の到来というのは、語られているシナリオです。

しかし、その中で次の黄金時代を地球で迎えるには、古い時代の仕組みや概念を捨て準備できた人々だけで、それ以外の古い時代を求める人々は、他の惑星に移住することになるという話は、語られています。

つまり、闇の勢力によって作られたマトリックス世界にしがみつく人々は、この地球に残れませんよ。ということで、これが魂磨きと言っているのかもしれません。

 

 

話は、変わりますが、僕は日本のオカルトはあまり好きではありませんでした。

なぜなら、そこに何が憑いているか分からないからです。

正しい事を言っていても、それが何者なのかはわかりません。

これは、僕の私見ですが、僕の思う神とは、沈黙する神です。

ただ、存在するだけで、何も語らず、何も叶えてくれません。

あまりにも高次元の存在ゆえ、人間的な価値観とは異なるゆえに会話も成立しません。

ただ、人間が、神の意志に従うだけです。これが意乗り(いのり)です。

神の意志とは、愛が基本です。だから、祈りとは、愛に準じた行為なわけです。

 

神社に坐ます神々は、様々です。

この次元より少し高次の存在がいれば、四次元の下等な存在も神の名を語って存在すると思います。

私たちが、そんな存在を神という言葉で祀りあげるから、そういった存在は居続けることできるのだと思います。

つまり、神は人間が創造していると僕は考えています。

神祀りとは、そこにエネルギーの磁力を発生させます。

そこが、高等な次元の存在とのポータルになる場合もあれば、怪しい存在の住処になる場合もあります。

神に名前をつけてご利益を付加させているのは、人間なのだと思います。

かといって、僕は神という高等な存在を否定するものではありません。

神霊は、確かに存在します。

だから、僕が巡禮中で、手を合わせる時には、ただ意乗りをするだけです。

具体的に言うと、神の愛を体現する手段として、愛の波動の放射の手段として、感謝を述べるだけです。

高等な存在に願うことは、悪いことではありませんし、僕自身、具現化の手段として、高等な存在に願いをします。

しかし、これは僕の巡禮とは別なもので、具現化のリクエストの対象は、はっきりしています。

 

話がそれました、そんなわけで、日月神示の名前は知っていたのですが、その内容は知らないので、今回少し、富士山と鳴門の仕組みについて調べてみました。

ただ、明快な答えには辿りついていません。

以下、「志国特選ニュース」さんのサイトより引用し、参考にさせていただきます。

 

 

☆『一二三神示』(ひふみ)

「太陽は十の星を従えるぞ。
原子も同様であるぞ。
物質が変わるのであるぞ。

人民の学問や智では分からん事であるから、
早く改心第一ぞ。

二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に
レを入れる事であるぞ。

これが一厘の仕組み。

二二となるであろう。
これが富士の仕組み。

七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み。
なりなりあまるナルトの仕組み。

富士(不二)と鳴門(成答)の仕組み愈々ぞ。
これが分かったならばどんな臣民でも腰を抜かすぞ。

一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、
それでは終わりは全(まっと)う出来ん。
九分九厘でリンドマリぞ。

神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな。
卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると
申してあろうがな。

助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。
用意はよいか。
このこと大切ごと。
気付けておくぞ。

なりなりなって十とひらき、二十二となるぞ。
富士(普字)晴れるぞ。
大真理世に出るぞ。
新しき太陽が生まれるのであるぞ。」
『至恩之巻』16

 

 

十分への最後の一厘に必要なのが、富士と鳴門の仕組みということのようですが、

七は鳴門、八は、僕の経験から四国を意味します。

今回は、旅の初めに四の中には、八があると富士山のグループから伝えられています。

僕が、最初に四国を訪れた時に感じたことが、四国は四の国ではなく、八の国であり、ハタの国であるということ。

八十八ヵ所の霊場があるのも偶然ではありません。

因みに、富士の数霊は、八十八だそうです。

そして、十になるというのは、完成形。

 

富士は、火であり、上る渦。

鳴門は、水であり、下る渦。

 

この二つの△▽が合わさって六芒星が現れる。

これは、男性性と女性性の和合であり、神の象形のその中の〇に・は、両者をつなぎとめる柱。

イザナギとイザナミが回った天の御柱。ここより創造が始まりました。

 

 

陰陽和合が福をもたらすのは、幸神、塞ノ神を見てきてわかると思います。

富士山のグループは、国常立尊を塞ノ神だと説いています。

出雲の伝承では、クナト大神ですが、この位置に国常立尊を置きます。

 

実は、僕もクナト大神と国常立尊は同じ信仰が元ではないか?と考えていました。

しかし、今に残る信仰では、これは合致しません。

ただ、元出雲と言われる京都の出雲大神宮のご神体山に国常立尊を祀る理由がこれで説明できます。

おそらく、クナト大神と国常立尊は別神ですが、時代によっては、塞ノ神として同一視されたのだと思います。

KUNATO

KUNITO  KOTATI

 

そして、この塞ノ神の夫婦が和合してこそ、新しい時代の創造は完成するのかもしれません。

今は、男神だけです。これでも九分九厘が完成しますが、残りの一厘には、女神の復活が必要なのかもしれません。

日本の神々は、天照大神や素戔嗚尊やらは、イザナギの一柱だけで創造されました。

やはり、完全な神々の世界を創造するには、イザナミのヨミガエリが必要なのだと思います。

だから、現在の日本のライトワーカーは、女神のヨミガエリに力を注いでいます。

 

 

「動かん富士の仕組、開けて渦巻く鳴門ぢゃ。
新しき人民の住むところ、
霊界と現界の両面をもつ所、
この岩戸開きて二度とないコト(九十)で開く仕組」
『星座の巻』11

 

 


ア(天)は中心から外へ左回り(男神で日の精霊)イザナギ
ワ(地)は中心から外へ右回り(女神で月の精霊)イザナミ
 

 

 

「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、
それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。」
『磐戸の巻』09

 

「二二(富士)は晴れたり日本晴れ」

 

 

 

霊界と現界の両界を持つところとは、多分、五次元意識に目覚めたアセンションした世界。

富士と鳴門の仕組みとは、もしかすると男性性と女性性の完全なる和合の世界。

これに気付くと世界も変わるということでしょうか?

多分、地球のエネルギーも変わるのでしょう。

 

 


表〇12345678910
裏10987654321〇


表が10であれば裏は0。表が3であれば裏は7。
裏表祀り合い和合すれば10の器。
5だけは、裏も表も5なのですが、
真ん中に位置する5の内容は
「イザナギ3:イザナミ2=5」であり、
ダイナミックな動きを内包している。
九から十へ進む真の誠
これがいわゆるフトマニ(大宇宙の法則)であり、
二二は大宇宙のダイナミズム(活力)

 

 

 

今の僕の知識では、これくらいしか解明できません。

間違っているかもしれません。

 

帰途についた高速道路で見かけた前の車のナンバーが象徴的でした。

最初に8888

そして5555

最期の1010

 

四国で囲いが解放され、8が満たされ、あるいは、88は富士を表す。

イザナギとイザナミの5が合わさって、5+5と5+5で、

10と10に完成された。

 

なんにせよ、同行者が満足していたので、僕はそれだけで良かったのです。

船上のワークの間だけ、雲っていた空に光が射していました。

 

おわり