もう秋分だというのに、まだ春分の話を書いております。

古代出雲では、春分と秋分を一年の始まりにしていたとか。

つまり太陽暦の半年が、古代出雲の一年だったのです。

だから、古代出雲人の百歳は今でいうと五十歳ということになります。

 

前回からの続きです。

前回書きわすれましたが、鵜戸神宮は、僕的には修験の印象が強かったです。

 

さて、ウガヤフキアエズの鵜戸神宮の次は、お爺ちゃんのニニギを祀る霧島神宮を参詣しました。

 

本殿はよく旅行のパンフレットとかで目にしますね。

でも、僕の目を引いたのは、その前の二つの祠です。

櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀る門守神社。

4月には、この神社を祭る儀式があるようです。

この二柱は、アラハバキ神だとも考えられていますね。

 

この神社は、観光ポイント化していて、駐車場も広いし休憩所と売店が一緒になった場所もありました。

 

 

さて、次は、ニニギの子で、ウガヤフキアエズのお父ちゃんであるホホデミを祀る鹿児島神宮です。

鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代とも伝えらています。御祭神彦火火出見尊 (別名山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくられた。

また正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し全国正八幡の本宮でもあります。平安時代醍醐天皇の延喜式には大社に列し大隅國一之宮として朝野の崇敬篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領2500余町歩の多きに至り、江戸末期まで千石を有していた。 」

 

ここは、もともと八幡宮だったのです。

 

宮崎の生目神社もそうでしたが、八幡さんと関係が深いのは、天孫族が第二次東征の際に宇佐の豊王国と関係を持ったからかもしれませんね。

 

この神社は、広いのに静かでした。夕方というのもあるせいか、参拝客は私たちだけでした。

いろいろな神様が祀られています。

 

門神もいらっしゃいますね。

 

帰りがけに神職さんがおられて少しお話することができました。

丁寧に対応していただきました。

この神社の端に石體(せきたい/しゃくたい)神社というのがお祀りされています。

「創建は遠く神代の頃、御祭神彦火火出見命が高千穂宮を営んでいたところと伝えられる旧社殿地。
石體神社にある記念碑には平安時代期の頃、社殿に火を放たれたとの伝えがあるので、その後再興されたものと伝えられる。
石體神社は古くより安産成就の神として信仰厚く、境内に積まれた丸石をお守りとして持ち帰ると安産にご利益があると伝わっています。 」

ということですが、石の神で、安産の神といえば、正しく幸神を表しますね。

 

神社は、少し山の方に登っていかないといけないので、今回はここまでにしておきました。

ホホデミとトヨタマヒメの宮がここだったそうです。

 

さて、ここにもう一つ神社が鎮座しております。

名を卑弥呼神社。

なぜ、卑弥呼が鹿児島に?

と思って、先ほどの神職さんに聞くと、ある邪馬台国研究家が、ここが邪馬台国だと推理して自費で卑弥呼神社を祀られたという話でした。

 

この学説はともかく、出雲王家の伝承によると卑弥呼は、豊玉姫のことだとされており、ちょっと唸ってしまうところでした。

 

少し寂しげな卑弥呼神社。

 

 

ということで、今回の旅はこれで終わりです。

最後の夜は、桜島を眺める温泉で旅の疲れを癒しました。

一つ、特筆すべきことは、僕は巡礼と合わせていろいろな温泉に浸かってきましたが、この桜島の湯ほどパワーを感じる湯はありませんでした。

何の変哲もないといったら語弊がありますが、いわゆる普通の見かけの湯なのですが、少し浸かっただけで元気が復活してくるような感じがしました。

当然、源泉かけ流しなのですが、活火山のエネルギーが満ちているのかもしれません。

 

やっと記録を終えることができます。

長い間お付き合いいただいた読者様には感謝です。

ありがとうございました。

 

    おわり