5月9日、京都で地ビール祭があったので行ってきました。
その前に、せっかくの京都なので待ち合わせの時間まで少しお参りをしてきました。

京阪三条駅から一つ北に位置する神宮丸太町駅で下車し、川端通りを北上しました。
やがて一つの交差点にさしかかり、そこを右折。



荒神橋東詰と表示されています。

ここに橋がかかっており、こうじんばしと書いているのでしょうか?
読めません。。。



鴨川を西に渡ります。



少し歩くと、また交差点



荒神口とあります。
最近、荒神様を追っていました。
京都の地図を見ていると荒神という地名があったので、荒神様が祀られているのだろうと行ってみることにしたのです。

荒神口から荒神様まではすぐでした。



日本最初清三宝大荒神と掲げられていました。
ここが日本最初の荒神様なのでしょうか・・・




僕は、京都の荒神様て今まで知らなかったのですが、何やら凄そうな雰囲気です。




常施無畏寺(じょうせむいじ)と号し、天台宗の寺。通称は清荒神と呼ばれています。護浄院とも言うようですね。

本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子、開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に 勧請し、初めて清荒神といわれた。

その後、慶長五年(1600年)現在の地に移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体をあわせ祀って長日の御祈願を行い、元禄十年護 浄院の院号を賜り今日に至る。



光仁天皇は、第49代天皇(在位:宝亀元年10月1日(770年10月23日) - 天応元年4月3日(781年4月30日))。
天智天皇の第7皇子・施基親王(志貴皇子)の第6子で白壁王と称した。
皇后は、井上内親王。

井上内親王といえば第45代聖武天皇の第1皇女。
伊勢斎王であり、最後は、呪詛の疑いをかけられ幽閉されたという方で、幽閉先で他戸親王と同日に薨去し、その不自然な死ゆえ暗殺説もあるという方です。
また、井上内親王は天武系の血筋の最後の方で、彼女の死とその子の他戸親王の死によって天武天皇の血は潰えたわけです。
その変わりに、光仁天皇と百済系の高野新笠と間の子、桓武天皇が光仁天皇の後を継いでいくわけです。

この時代、平城京から長岡京へ、そして平安京へと移っていく時代で、光仁天皇といえば、愛宕山に和気清麻呂を遣わして白雲寺を建立させています。
役小角と泰澄開基と伝わる愛宕山ですが、これが中興とされています。

愛宕山白雲寺のご本尊は、勝軍地蔵と呼ばれる甲冑をまとい騎乗した変わったお地蔵様です。
その姿と名から戦の神として信仰されていますが、賽神信仰と習合しています。
この「勝軍地蔵」の「勝軍」と云う語は「塞の神」の「塞神(さくじん)」が転訛したものであると柳田国男氏は言及しているようです。


愛宕権現も荒神様も火伏の神ですから、共通する神かもしれません。
いえ、僕には、元は同じ神、幸神の転化なのだと考えています。


で、光仁天皇の皇子が開成親王ですが、彼は僧になったようで、摂津国勝尾寺の開基と伝えられています。
勝尾寺は、箕面にあります。
箕面といえば、役小角と縁が深い場所で、役小角終焉の地でもあります。
役小角は開成が生まれる前に没しています。
三宝荒神を最初に感得したのは、役小角だとされていますので、開成は箕面でこの三宝荒神を感得し、清荒神のご本尊を創られたのだと考えられます。


ここにも愛宕山も開祖として役小角の存在があることから、荒神様と愛宕権現との共通性が見られるのではないでしょうか。


さて、門を潜るといきなり、左手に目に入ったのは、
幸神信仰の女夫(めおと)神です。



これほど露骨に幸神が表れているのに驚きました。



やはり荒神様の元は幸神なのですね。


本殿にお参りします。
お寺に本殿ておかしいですが、鳥居が建てられているのです。



荒神様は、私たちの衣食住すべてを火難、盗難やもろもろの悪魔から
護ってくれるそうです。
そして経文には人間が生まれる時、大切な胞衣となって守ってくださるとあるようです。





本殿以外にもいくつか祀られています。



大聖歓喜天。
日本三大聖天の一つが箕面に祀られていますが、歓喜天の元がインドのガネーシャで、出雲族の伝承によると幸神三神の子神であるサルタヒコ大神の元は同じくガネーシャだということです。




准胝観世音
これは仏の母だということですから、母神を意味していますね。






弁天様
水の女神ですが、清荒神がここに祀られる前は、醒ヶ井高辻に箕面から勧請され祀られていました。
醒ヶ井は、洛中三名水の一つですから、水の女神に相応しかったのかもしれません。
弁天様は、川神瀬織津姫の別称として祀られることがあります。
滋賀の荒神山では、祓戸神が祀られ天智天皇時代の祓処でもありました。
荒神様と祓戸神とは深い結びつきがあると思われます。
なお、アラハバキ神は弁天様に、クナト神は地蔵様に変えられたという話がありますので、幸神三神にも関わりがあると言えそうです。

そして、その地蔵様も祀られていました。






地蔵様がクナト神が変えられた姿ならば、この清荒神には、父母子の幸神三神が祀られているわけです。

というわけで、この清荒神は、幸神三神が揃い、冒頭に紹介した女夫神まで祀られていました。

そういえば、ここより北へ1km位でしょうかほぼ真っ直ぐ上がったところに、出雲路幸神社(いずもじさいのかみのやしろ)が鎮座しております。
これは、御所の鬼門守護となっているようですが、塞ノ神としての信仰が残っています。
これになぜか出雲の名が付いていることも意味があるように思います。



さて、神社はこれくらいにして移動します。
少し歩いて地下鉄に乗り込み、二条駅まで移動しました。
ここで、友人と待ち合わせです。
ここからすぐの、千本三条の商店街が地ビール祭の会場です。






800mほどに渡るアーケード商店街の軒には、各地の地ビールのブースの他に商店街の露店が並んでいます。
コロッケや串焼きや、焼そばや、寿司などなど、様々なアテが用意されていました。

しかし、すごい人です。


並ばないとゲットできません。
しかし、夕方から四条河原町で一杯やる予約を入れている僕たちにはあまり時間がありませんでした。

とにかく、並ばないといけないということで、40分ほと並び最初の一杯をゲットしました。
後は、空いているブースを狙ってビールをゲットしました。
目当てのビールとか、アテを買い込んで、ゆっくり味見する余裕がありませんでした。





でも、ビールはどれも美味しいかったです。
この日飲んだのは、静岡県のアオイブリューイングのバイツエンとスタウト。
それから、明石ビールのピルスナーを飲みました。
アオイブリューイングはまだ生まれたてで、初めての参加だそうですが、すごい列でした。

もう少し戦略を練って参加しないとバタバタしてしまいますね



ちょうど良い時間になったので、河原町へ移動しますが、その前にここまできたのだから、神泉苑に寄りました。



ここには、珍しい可動式の祠があるのですよね。



そういえば、これは歳徳神(としとくかみ)いわゆる年神様を祀っているのですが、歳徳神は、幸神の別称だと言われています。
思いがけず、幸神様と出会いました。
たぶん、歳徳は、サイトクだったんでしょうね。

つつじが綺麗でした。



夜は、なかなか予約のとれない京野菜の創作料理屋さんで飲み会です。
運良く2時間だけでしたが席が確保でしました。
二次会は、ハイボール専門店。
遠方の友ばかりなので、9時でお開き。
その後、僕は一人で三条のバーへ向かいました。