随心院の東側に醍醐天皇陵があります。
観梅には、早すぎた散策 でしたが、いつものように歴史に触れてみようと思います。

地図で、見ると天皇陵はすぐ東側のようですが、歩いてみると少し距離を感じました。
すぐ後ろに山がそびえるように見える住宅地の中に陵は公園のようにありました。







御陵の周りを回れるかと思いましたが、立ち入り禁止になっていました。
醍醐天皇は、平安時代の第60代天皇で、臣籍に生まれた唯一の天皇で、はじめ源 維城(みなもと の これざね)と言いました。
宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は父の正妃藤原温子(関白太政大臣基経の女)です。
臣籍に降下していた源定省の長男・源維城として生まれましたが、父の皇籍復帰と即位(宇多天皇)に伴い、皇族に列することになりました。

生まれた時は源氏なのですが、後に天皇になった珍しい天皇さんだそうです。
ちなみに、この醍醐天皇の第一皇子の克明親王の長男が雅楽の名手、源 博雅です。
源 博雅は、映画「陰陽師」 で安倍晴明の親友として描かれていました。
笛吹きの博雅さんは、醍醐天皇のお孫さんだったのですね。

神社を調べているとよく延喜式 という言葉を目にしますが、この延喜式の編纂を命じたのが延喜帝と呼ばれる醍醐天皇なんです。
また、醍醐天皇は空海に弘法大師の諡号を贈った天皇でもあります。
延喜21年(921)の事です。
随分、文化事業に力を注いだ天皇のようですね。

一方、醍醐天皇は、菅原道真を左遷した本人でもあります。
時の左大臣藤原時平の
讒言だったようですが、この時代藤原家の影響が強かったのですね。
道真の死から6年後の延喜9年(909年)に時平が死に、その2年後には
醍醐天皇の第二皇子で皇太子である明親王も21歳で早世する。
そのため保明親王と時平の娘、仁善子の子である慶頼王を皇太孫としたが、2年後やはり5歳で夭折しました。
これを菅原道真の祟りだとされたようです。


さて、散策は醍醐天皇陵から小野駅に戻り、今度は西側の観修寺の方へ足を向けました。
勧修寺は、真言宗山階派大本山の門跡寺院です。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。
立派で由緒あるお寺ですが、今回は入りませんでした。
今回、向ったのはその前というか隣に鎮座しています宮道神社 です。





矢印の方向へ進むとすぐに見つかりました。






御祭神は、
宮道氏の祖神、日本武尊、その子稚武王です。
寛平十年(898年)に創祀されました。


「宮道氏(みやじし)は、日本の氏族の一つ。
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷ともいう。
諸説あるが、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖とする物部守屋の後裔ともいう。山城国宇治郡を本拠とした宿禰(すくね)姓(かばね)の宮道氏が知られていた。平安時代、835年、宮道吉備麻呂、宮道吉備継らが朝臣姓を賜っている。

 宇治郡大領(郡司)という平安時代前期の官人・宮道弥益(いやます、生没年不詳)の娘(妹とも)・宮道列子(れっし、?-907)は、内大臣・藤原高藤の妻となり、藤原胤子( いんし、たねこ、? -896)を産んだ。
 胤子は、第59代・宇多天皇女御となり、第60代・醍醐天皇らを産み、宮道氏は天皇家の外祖父として栄えた。」京都寺社案内 より引用)

宮道列子と内大臣・藤原高藤が結びつき、後に醍醐天皇の母となる藤原胤子が産まれたことからか、縁結びの信仰があるようです。
後に、宮道弥益・宮道列子・藤原高藤・藤原定方・藤原胤子らが宮道神社に合祀されています。



醍醐天皇は弥益邸を菩提寺として建て替え、勧修寺と名付けました。


この宮道神社の南側、道を隔てたところに大きな鳥居があります。



八幡さんです。



江戸時代まで、観修寺の鎮守社だったそうです。
吉利倶八幡宮とも呼ばれ、醍醐天皇が母、
胤子を追悼を祈願するために寄進されたようです。

御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の一般的な八幡神です。

二の鳥居を潜るとなかなか立派な神社です。



階段を上がるとすぐに天神さんがいらっしゃいます。
道真公の怨霊も鎮めているのでしょうか・・・



境内には、面白いものが・・・



和合のシンボルですね。

豊臣秀吉も崇敬していたようです。






さらに階段を上ると、



二本の矢が印象的です。

ちょっと見難いですが、掲示されてた御由緒のよりますと・・・



仁寿の御代、八幡山の中腹に夜毎、金色に光りを放つ神木があり、
文徳天皇 が、この地を護国国家の霊場として社殿を築き八幡大神を勧請されたのが始まりとされています。

文徳天皇は、醍醐天皇の祖父である光孝天皇の腹違いの兄にあたる人です。
文徳天皇の母は、母は左大臣藤原冬嗣の娘、順子です。
文徳天皇の第一皇子に小野宮こと惟喬親王(これたかしんのう)がいます。
この小野とは、今回の散策地の小野ではなく、近江の小野で親王の隠棲の地で、小野氏の本拠地です。
惟喬親王は、木地師の祖として信仰の対象にもなっています。


話は、八幡宮に戻りますが、
本殿の少し横に金神宮があります。



今や、祠は失われこれだけが残っています。



御祭神は、金山彦神、金山姫神です。
八幡山の金色に輝く神木と深いつながりがあると考えられています。

八幡宮以前の信仰の名残かもしれませんね。
もしかすると八幡山で何か金属類が採取されていたのかもしれませんね・・・憶測ですが。。。


八幡宮のお参りを終えると駅へ向いました。
昼食を取ろうと思ったのですが、目当ての店は満杯、
そこで地下鉄で移動することにしました。


           つづく