タイトルほど大げさな内容ではありません。
日々の日記です。

というわけで・・・・


しばらくは、本当に暑かったです。
僕の住む町でも、観測温度が37度を超えた日がありました。
こんなことは、今までにありません。
9日以上連続の猛暑日も初めてのことだと報道されていました。
実生活では、多分40度くらいあったと思います。
チリチリと焼けるような暑さとはこのことですね。

しかしながら、去年、一昨年とあれほど電力不足を騒がれていたのに、
この異常な暑さの中、電力不足を報道するニュースを見たことがありません。
バンバン、冷房を効かせないと生活できないような日々なのに・・・
まっ、電気は足りていることが実体験として解ったということでしょうかね。。。


そんなこの週でしたが、太陽はギンギンに元気だったようです。
先日、In Deepに
『太陽表面に「全面の爆発の光の輪」を作った CME に突っ込んでいった彗星』 という記事がエントリーされていました。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

画像は、In Deepさんより拝借しました。
太陽の周りをリングのようにCME(コロナガス)が噴き囲んだという話です。

太陽学者の予想に反する、このごろの太陽活動。
磁極の変化があったりと、もはや未知の時代に入っているのだと思います。
実際、誰も何が起こってきているのかわからないのだと思います。


なんか、今週は頭痛のする日もあったりと、なんとなくキツイなと思っていて太陽の画像を見てみると、

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

太陽の模様て綺麗ですね。
でも、今回のは、特に綺麗に見えました。
そして、なんだか龍が太陽に巻きついているように見えたのです。

真ん中から下、左から右にかけて長い胴体が巻きつき
その上に頭を立てて、顔をこちらに向けている絵に見えました。
これが8月19日のSOHOの太陽画像です。


前になぜだか忘れましたが、
玉を抱く龍のイメージを集めたことがあって、

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )


特に意味は無いですが記録しておこうと思います。


こう暑いとなかなかPCの前に座る気もなく、
短歌もすっかり停滞しております。

来月から、また散策を始めますので、
そうしたら、また更新できるかもしれません。


今月は、地元の興味深いニュースが報道されています。


守山の国史跡 伊勢遺跡 範囲拡大へ 滋賀

2013.8.7 03:02 産経ニュース


弥生時代後期(1~2世紀後半)のものとしては全国最大規模の集落遺跡とされる国史跡「伊勢遺跡」(守山市)の範囲が拡大することになった。

伊勢遺跡は、縄文時代から中世に至る大規模な複合遺跡で、もっとも栄えたのが弥生後期とみられる。遺跡の中心部に、床面積185平方メートルの大型竪穴建物の跡をはじめ、大型の建物跡が多数見つかっている。弥生時代から古墳時代に移行する時期に発展したとみられることから、「邪馬台国・近江説」が浮上するなど注目を集めた。国の成立や強力な王権の形成過程を知るうえで重要な遺跡とされ、昨年1月、国史跡に指定された。

(以上、記事より一部抜粋)



伊勢遺跡の近くに大宝神社というのがあって、先月たまたま車で走っていると目につき気になっていたのです。
僕は、邪馬台国というより、近江タタミヒコ王国があったのでは・・・なんて妄想しています。
近々参拝してきます。




謎呼ぶ短剣、柄の先に二つの輪 滋賀の上御殿遺跡で出土
朝日新聞デジタル 8月9日(金)5時37分配信

滋賀県高島市の上御殿(かみごてん)遺跡で、弥生中期から古墳前期(紀元前350年~紀元300年)とみられる、国内初の双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣の鋳型が見つかった。県文化財保護協会が8日発表した。

柄の先に二つの輪が付き、剣身が直線状のデザインは朝鮮半島でも出土例がない一方、春秋戦国時代(紀元前8~同3世紀)の中国北方騎馬民族が使った「オルドス式短剣」と類似している。伝達ルートなど当時の青銅器文化に一石を投じる発見だ。

田木治太郎(おだぎはるたろう)・天理大准教授(考古学)は「中国北方の短剣をベースに国内で作られた可能性が考えやすいが、伝達ルートは不明。背景を語る資料がないか、東アジア規模で注目する必要がある」と話す。

(以上、記事より一部抜粋)




高島市は、僕の棚田のあるところです。
また、昨日会社で、内モンゴルのオルドス市へ品物を送って欲しいと頼まれたところでした。
オルドス市ではちょっと前から工事が始まっており、この発送は初めてで送れるかどうかの確認からだったので、この偶然に少し驚いていました。

ちょっと、今の動きとリンクする部分もありますので注目です。