毎週、録画してみているテレビ番組に
「封神演義」 があります。
封神演義は、少年漫画の題材にもなり人気となった中国明代に作られた物語です。
舞台は、紀元前1100年頃の古代中国、商(殷)の最後の皇帝、紂王の時代です。
暴君紂王を倒し周を建てるのが、武王です。
それを助ける主人公、太公望こと姜子牙の物語です。

そのドラマの中で僕が一番のお気に入りキャラが南極仙翁です。
眼鏡をとった横山やすしのような小さな目と赤いおちょぼ口が、なんともチャーミングなのです。

七色堂(柚子房 壽のホームペイジです。 )

左は、蓮の化身、ナタです。

南極仙翁は、南極老人星を神格化した道教の神様です。
七福神の福禄寿や寿老人のモデルとなった神様です。

南極老人星は、カノープスのことで、りゅうこつ座α星と呼ばれる星です。
これは、シリウスについで明るい星だそうです。
また、寿星とも呼ばれ、長寿を司ると考えられているそうです。
日本では、千葉県の南端、布良から見えるため布良星(めらぼし)とも呼ばれているそうです。
このカノープスは、12000年後には、南極星となるそうです。
地球の歳差運動により、2万6000年周期で南極星は入れ替わるようです。

僕は、カノープスというとエジプトのミイラ作りに使われるカノプスの壷 を思い出してしまいますが、それはまた別の話・・・


以上のように、南極仙翁は、星神とされています。
他に、道教の星神といえば、太白金星がいるようです。
この太白金星の姿も、南極仙翁と同じように老人の姿で描かれるのですが、もともとは、琵琶を持つ女性の姿だったとか。。。

西洋では、金星はビーナスに喩えられますが、そっちが本来の姿なのでしょうね。
以前、このブログでもビーナスの素顔 というテーマで、金星の地名に触れました。

日本で、琵琶を持つ女神といえば、弁天さんを思い浮かべます。
また、星神といえば、アマノカガセオ を思い出します。

カガは、カガヤキ(輝き)のカガですから、星空に輝く金星のイメージですね。
このカガセオ、日本を平定した武神、タケミカヅチとフツヌシの最強タッグをもってしても倒せなかった神です。
しかし、カガセオを倒したのは、倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはづち)という織物の神です。

武力で倒せなかったものを織物で倒した。
これは、戦争ではなく、技術提供による懐柔を意味するのかもしれません。
カガセオとは、星神信仰の民と表しているのかもしれないですね。

また、別の見方をするなら、武力ではなく呪術を使ったともとれると思います。
織物に織り込むことにより拘束し自由を奪うという呪です。
また、朝鮮語では、月をウォルと発音しますが、ウォル姫(織姫=月姫)により星神を月神への転化させたのな・・・という気がします。
よって、金星神の能力は月神へと移り、月読命という月神は、天照大御神の弟という配下に加わります。
金星神と月神が共に水の女神ぽいのはそんな理由かもしれないと思います。

日月星の三光信仰は、日月信仰に変わります。
そしてやがて、天照大御神の太陽信仰に統一されていったのかもしれません。


しかしながら、この太白というのは、東洋において大切な神として残っています。
仙台巡礼 では、太白山に登ってきました。
かの山は、金星が落ちてできた山だという伝説があります。
朝鮮においても太伯山は、聖なる山とされています。
倭人は、呉の
太伯の子孫だと自ら名乗ったと記録されていますが、九州にも太伯山と呼ばれる山が存在します。


ながながと南極仙翁から展開してしまいましたが、
何が今日の日記で言いたいかというと、
テレビで見ている番組が、巡礼に関わる内容とリンクしているということなのです。

古代朝鮮といわれる箕子朝鮮(きしちょうせん) は、箕子が朝鮮半島で起こした国ですが、
箕子は、殷王朝28代文丁の子で紂王の暴君をいさめ、殷が滅んだあとに、朝鮮半島に移ったそうです。

時は進み、その朝鮮半島を舞台にした、百済の武王をテーマにした韓国ドラマ「薯童謡」 の再放送を見ていました。
百済の武王の兄、阿佐(アジャ)太子 は倭国に渡ったことがあり聖徳太子と親交があったそうです。
真偽は知りませんが、現在残る聖徳太子の肖像画は阿佐太子によるものだと伝えられています。

武王の妻、善花姫の姉は、新羅の善徳女王です。
ドラマ
善徳女王」 に描かれている重要キャラのキムユシン は、伽耶出身で三韓統一に最も活躍した英雄です。

キムユシンは、百済滅亡を助ける倭国が参戦した白村江の戦い で、倭国軍を撃退した将軍でもあります。
日本史に残る、天智天皇の時代の戦です。


先日、BS歴史館というNHKの番組を見ているとテーマは、邪馬台国でした。
面白いな・・・と思っていると次の放送は、
16日、織田信長、本能寺の変がテーマです。
つづく18日は、空白の5世紀。
これは、ワカタケルの時代をとりあげているようです。

ワカタケルとは、雄略天皇 のことだとされており、中国の歴史書では倭の武王と呼ばれていたそうです。
ちなみに、雄略天皇は伊勢外宮を建てた天皇で、母親は忍坂大中姫 といい継体天皇の妹です。

周の武王、
百済の武王、
倭の武王。
なんか意味あるのでしょうか・・・・

橿原散策 のおりには、5世紀のヤマトをテーマとした展示が行われており、この時代は、とても重要だと思っています。

つづいて、19日は「古事記~国家統一の物語~」と題し、白村江の戦いで大敗北を喫し、国際化の波にさらされた古代の日本。をテーマにされるようです。


僕達の巡礼は、見えない世界からのメッセージを感じることがあります。
それは、単なる思い過ごしや、妄想かもしれませんが、なぜ、今、これが・・・という疑問にいつもさらされます。
それをシンクロと呼ぶのかもしれませんが、どこかの世界からは、何かのメッセージを万人に発せられ、それを感じる人が無意識か、意識的かで何かの表現をしているのかもしれないと思います。
それを僕たちは、ナガレと読んでいますが、何を伝えるメッセージなのかは最後までわからないのかもしれません。


BS歴史館では、邪馬台国探しは、究極のルーツ探しであり、それは自分達は何者なのか?を知ることだと出演者が感想を述べていました。

経済成長だけを最上位に掲げ、世の中を導いていく政治家たち。
我々を待つ未来とはどんな世界なのでしょうか?
今、我々の歩んできた道を見返し、過去の反省と進むべき未来像を描く時代なのかもしれないと思います。

産業革命から始まったであろう現代の経済社会は行き詰っているように思います。
その経済成長は、未開の地に市場を広げることと、戦争による需要によってなりたってきたと見えます。
明治維新もその市場拡大の一端です。
しかし、限られた地球上で、開拓できる地域がなくなったらどうするのでしょうね?
敵国を戦争により倒していき、敵がいなくなったらどうするのでしょうね?
もう人々の欲望は放棄してしまうのでしょうか・・・

それとも宇宙へ飛び出し、新しい市場を開拓するのでしょうか?
もしそこに宇宙人の生活が営まれていたら、地球人の行為は、侵略と捉えられないでしょうか?
インカを支配したスペイン人のようにね。
昔、映画で見た宇宙から現れるインベーダーの姿は、未来の地球人の姿かもしれませんね。。。


未来のビジョンは、誰も見せてくれません。
政治家の誰もが景気や経済成長しか訴えません。
宗教家にも未来のビジョンを語る人を知りません。

多分、これをできるのは夢想家にしかできないのでは・・・と思います。
現実のしがらみから脱却し、純粋に理想や望みを描ける夢想家です。
その理想を実現するのが政治家の役目だと思います。

夢の見れる子ども達に、たくさんの夢想家が現れて欲しいと思います。
いつかその夢想と現実の中間点を探索しないといけない年齢がきます。
しかし、それまでは、自由な夢想を広げて欲しいと思います。
それが子供の能力なのですから。
それを奪う大人にはなりたくないですね。


もしかすると武王とは夢王なのかもしれないですね。

まだまだ、天比古のオッサンも大人ながらの夢想を持ち続けたいと思います。