インティマシー・コーディネーター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「快楽に溺れ」

 

コーディネーターを入れなかったことと同じくらい

これが大問題だと思う。

 

セクシー田中さんの作者も

こういう風に

作品で本当に言いたかったことを

塗り替えられることと戦って戦って

ボロボロになっていったのに

また平然と繰り返される。

 

 

 

なんで、死ぬほど嫌なことを強要されてる状況を

「快楽」にむりやり置き換えたかったかというと

結局、これが根源にあるような気がする

 

つまり、

原作は男性の性暴力

女性を、どれだけ無力化するか

その恐ろしさを描きたかったのに

 

男性制作陣

(監督だけじゃなくプロデューサーも含む)

それに乗っかって

性的に消費できるコンテンツにしようとした

としか思えない

 

 

 

すべて過失だが、

通底するのは

インテリジェンスの乏しさだ

 

インテリジェンスって何よ?

って思った時に思い出したのが

映画、

「はい、泳げません」の中のセリフ

 

知性とは、自分を変えようと思う意志です」

 

 

インティマシー・コーディネーターを入れて欲しい

と言われた時に、

自分を変えようとする意志を

持たなかった。

 

それがインテリジェンスの乏しさ、

だと思うんです。

 

自分をアップデートしてる人と

そうでない人との差