今年5月の公演をもって閉館する大阪松竹座が銘打つ、"大阪松竹座さよなら公演"の一つ。
OSK日本歌劇団OGの歴代トップスター&多くのスターが出演するOG公演。
これまで3年連続で公演してきた。
大阪松竹座が完全閉館となれば、ここでの公演は最後となるだろう。
そもそもOSK日本歌劇団は松竹が出発点であったし、その創生期、第1回公演の『アルルの女』は、大阪松竹座で上演された。
よく聞くように、大阪松竹座は、OSKにとって故郷(ふるさと)なのだ。
その出発点である、故郷とも呼べる劇場がなくなってしまう。
寂しいことだ。
そして、現在OSKは、自前の劇場を持っていない。
同じ規模の公演は、関西では京都四條南座で行うことができると考えられるが、さあ、これからどうしようか…というのが、現在地。
(※)4月4日の時点で、何らかの形で大阪松竹座を存続させるとの報道が出ているようだが、詳細はまだわからない。
OSKといっても、宝塚は聞いたことがあっても、OSKのことをよく知らない人はまだまだ多いだろう。
宝塚と同じく、女性だけが出演するミュージカル・レビュー劇団で、歴史は宝塚と共に100年を越えている。
とはいえ、近年、OSKを知らない人でも間接的にOSKに触れる機会が二つあった。
一つが、NHKの朝ドラ『ブギウギ』、もう一つが、『マツケンサンバII』だ。
『ブギウギ』は観ていた人も多かったかもしれないが、OSK日本歌劇団は、その創生期(大正後期~昭和初期)、「松竹楽劇部」という名前でスタートしており、そこに所属した当時のスター、笠置シヅ子(戦後の”ブギの女王”)をモデルとするのが主人公のスズ子であった。
また、おそらく、知らない人はもういないのではないかと言えそうなヒット曲、『マツケンサンバII』の作詞家、吉峯暁子氏は、1980年代(それ以前?)からOSK日本歌劇団の作・演出家として活躍してきた方だ。
今回の公演、第1部が1時間、30分の休憩を挟んで、第2部が1時間30分と、なかなかのボリュームだ。
幕開きのプロローグ、「大阪松竹座の誕生とOSK」という、大阪松竹座とOSK日本歌劇団の関係が、スクリーンに映し出された旧松竹座の劇場内の写真や、OSKの初演『アルルの女』の公演写真、同名の曲(ビゼー作曲)のBGMと共に、友麻亜里さんと折原有佐さんの語りで紹介される。
第1部「Shining Road」
ここでは、どの作品で使われたものか正確にわからないものもあるのだが、近鉄時代の名曲が舞台で繰り広げられた。
まず、「アイ・ガット・レビュー」、新旧元トップスターの東雲あきらさん、桜花昇ぼるさん、高世麻央さんの共演が観られるという、本来交わることのない元トップスターたちによる奇跡のようなシーン。
その次は、有名な、「愛の旅立ち」。
洋あおいさんと千爽貴世さんのデュエットダンスで、大咲せり花さんの歌。
大咲さんの歌、上手かった。
その次が、美影ひとみさんボーカルの「Touch My Heart」。
美影さんといえば、もうこの曲!といっても過言ではないかもしれない。
生で聴けて嬉しかった。
この曲は退団後も歌われているようだが、自分が初めて聴いたのは、記憶が正しければ、確か、『ブルースに抱かれて眠れ』の千秋楽のサヨナラ?ショー。
その時から美影さんが歌うこの曲のファンといってもいい。
で、その次だが、なんと、那月峻さん(近鉄時代の最後のトップスター)がプログラムに載っていない「ラ・ロマネスク」で花道のセリから登場。
”え?那月さんだよね?”と言わんばかりに客席がざわつく…。
那月さん、メガネをかけて美しい白と紫系のフロックコートを着て、まるで麗しい貴公子、あるいは執事のよう。
そして、歌が凄まじく上手い…。
プログラムをよく見ずに観たので、この曲のことも、那月さんが出演するかどうかも何も考えておらず、最初、ただ美しいからざわついているのかと思っていた。
皆、出演することを知らなかったのだ。
前回拝見できなかっただけに、嬉しい登場だった。
『ラ・ロマネスク』、当時はゴシックテイストの暗い感じの演目だな~と思っていたけれど、いま改めてこの場所で、この雰囲気の中で聴くと、艶のある名曲だ。
「REVOLUTION TIME」は昨年も観たと思う、おなじみ的に底抜けな感じに明るい、カントリー調の曲で、客席も手拍子で盛り上がる。
湖上芽映さんが歌う「小夜曲」は『上海夜想曲』のものだと思うが、煌みちるさんとの当時のワンシーンがスクリーンに映し出されており、このことに気付いたファンにはしんみりとしたシーンとなっただろう。
これで東雲さんからの歴代トップが勢揃いしたといっていいだろう。
その後は、『ARABESQUE』(アラベスク)からの曲がたくさん登場。
「Mu-cha-cha」は当時、恋香うつるさんが女性ボーカルだった。
そして、ラストは、「エンドレス・ドリーム」。
近鉄時代のOSKのサヨナラ公演だ。
曲の一番のクライマックスで那月さんがトリとして歌いながら花道から登場。
涙無しには観ることのできない第1部エンディングとなった。
第2部「メモリー オブ レビュー イン 大阪松竹座」は、新OSK のメンバーによる、日舞・洋舞を合わせたショー作品。
吉津たかしさんもご健在。
特に印象に残ったのは、確か、「Godbless Road」での新生OSKでトップコンビを組んでいた?4組とソロシンガー恋羽みうさんによる場面。
見間違いでなければ、大貴誠さんー北原沙織さん、桜花昇ぼるさんー若木志帆さん、高世麻央さんー折原有佐さん、楊琳さんー舞美りらさんのコンビ。
実際のコンビだったかどうかは、ちょっと正確には記憶していないのだが、華やかな衣装、ドレスで現れ、デュエットダンスするそんな4組の姿は、空間がまるで大きなショーウインドウのようで、麗しく、圧巻だった。
第3部は、大阪松竹座への感謝の言葉とともに、新旧全員で、「虹色の彼方に」や「桜咲く国」でフィナーレ。
最後は、珍しい、スタンディングオベーションとなった。
さて、第1部の「エンドレス・ドリーム」に戻ろう。
この歌の歌詞で特に心に刺さったのは、次の二つだ。
”どこにいようと 私は 忘れない (あなたが 私にくれた 愛を)”
…そう、本拠地がなくなって…、劇団もなくなったけれど…、あれから、どこにいても忘れることはなかった。
”いつか また 新たな夢つくりたい あなたと”…。
…待てよ…、その願い、祈りは、あれからずっと生き続け、関わってきたすべての人たちの力で、現在(いま)、ここに叶っているではないか…!?
あの時は、この歌は、感謝の歌であり、同時に、悲痛な叫びであったかもしれない。
しかし、いまのOSKなら、この歌は(ほぼ、)想いが実現したことを高らかに歌う、ある意味、勝利の歌だといっても…、いいだろう。
現在(いま)ほど、この歌の歌詞が心に響いてくる時はない。
一度沈んだ者は、強い。
沈んだ者だけが、立ち上がり方を知っている。
が、同じ轍を踏まないようにもしてほしい。
そう願い、少し書きたい。
私見である旨、ご容赦願いたい。
……。
”その”時は、解散といわれても、正直ピンとこなかったというか、その、事の重大さに実感が持てなかった部分があった。
それよりも前から新規団員の募集が停止されていたりしていたので、その心づもりのようなものはあったのだが。
実は、自分自身、解散の十年ほど前からOSKの路線・テイストが変わり、おもしろいと思ったり、心に残る公演がなくなってしまっており、ずっとモヤモヤとした思いが続いていた。
だから…、しょうがないよな…と。
確かに、OSKが解散したのは、直接的には近鉄の支援を離れたことによるものだろう。
しかし、大会社の支援の元、元々安い劇場入場券の上に、遊園地の入場券とセットになった更に値引された劇場入場券その他、ツテでいただいていた入場券など、入場にほとんどお金を取っていないかのような態様には、素人目に見ても、事業として成り立っているのかちょっと疑問だった。
自分も、それに甘えていたところは大いにある。
本拠地のあやめ池…、どのくらい観客が入っていただろうか。
それでもやっていけていたのは、大会社の元にいたからだろう。
独立して、自力でビジネスをできていたとは思えなかった。
そうすると、親会社がたとえどこであったとしても、支援を打ち切られれば、自力でやっていくことは難しかったのではないか。
そして、先にも触れたが、解散の十年ほど前から路線・テイストが変わってしまい、自分には致命的につまらなくなった(団員に非は一切ない)。
その新しい路線・テイストを好む人もいらっしゃるだろう。
その時期に新たにファンになった人もいらっしゃるだろう。
しかし、自分は、それ以前のOSKが好きだった。
それは、今でも変わらない。
具体的にいうと、旧OSKは、92年頃から、新しい路線・テイストに変わった。
あやめ池では、芝居はファミリーミュージカル、ショー・レビュー演目は、”ド”が付くようなオーソドックスなレビューばかりになった。
近鉄劇場などの特別公演も、大作なのだが、暗い、堅い、ときにアダルティー、その他、特段印象に残らないものばかりだった。
ミュージカルというよりは、芝居・プレイ要素も強かったような気がする。
失礼を承知で、必要なことなのでもう一度言うが、自分には、この路線・テイストが、心からつまらなかった。
毎作足は運んでいたが、”またか…”という思いを繰り返していた。
80年代(もしかしたら、それ以前)~91年までのテイストが好きだった。
この時期が、自分の中では一番OSKがOSKらしくて、充実した作品が見られた時期だった。
謎のファミリーミュージカル路線。
あやめ池…。
子供がたくさん遊びに来る遊園地の中の劇場だからということで、子供をメインとすることが観客増に繋がると考えたのだろうか。
とても大人が観て耐えられるものではなかった。
一転、フィナーレのレビュー(ショー)はOSKらしさが生き残っていて、この部分しか楽しみがなかった。
子供を劇場に連れて来るのは誰なのか。
その大人を退屈させてどうする。
オマケみたいに付けたフィナーレのショーやレビューの部分だけで満足するのか。
とはいえ、ファミリーミュージカルだけではない。
ショー・レビュー単体作品も陳腐な作品が続いた。
路線を変えてから、迷走していたようにも見えた。
その10年後の解散。
親会社の支援打ち切りは決定打ではあるが、解散という結果の本質ではないはずだ。
おもしろくない作品が続けば客は来なくなる。
おもしろいとはどういうことなのか。
どんな作品でも、観終わるたびにちょっと考えている。
何をおもしろいと思うかは人それぞれだが、自分の言葉で簡単に言えば、それは、見応えがあるかどうか、ということか。
見応えがあるとはどういうことかというと、観る人の心の琴線に触れるものがあるとか、観る人の心を唸らせるものがあるということ…。
といっても、それでも抽象的だからもう少し具体的に言ってみると、たとえば、自分の知らない新たな”知”との出会いがあるとか、美しさ、可愛さ、きらびやかさ、豪華さ、スペクタクルなどの強い”美”との出会いがあるとか、勇気、情熱、正義など、心を奮い立たせてくれる、鼓舞するような何かが得られるとか、ドキドキキュンキュンするようなラブストーリーを見ることができるとか…。
それと、”歌劇”なわけだから、音楽が必須なところ、一級品、いや、最上級の音楽と魅力的な歌があること…など。
この、見応えのある作品を、(本来の少女)『歌劇』という形に乗せて舞台にしなければならない…はずではないか、と。
自分の場合、旧OSKは、あやめ池でいえば、『ブルースに抱かれて眠れ』、特別公演でいえば、『ARABESQUE』までは、見応えがあっておもしろかった。
それが、解散の10年前からみられなくなってしまった。
自分の中でモヤモヤしていたものの、その正体がこれだ。
ある作品が演じられて、出演者が頑張っている。
それだけでは、足りない。
もっとも、OSKの場合、路線の変更に関係なく、音楽が素晴らしく、特に路線変更前はメロディメーカーな名曲の宝庫といえ、いまだに口ずさめるものばかりだ。
作曲だけでなく、選曲の才も求められるところ、そのどちらも唸るものがあった。
OSKには、それとは別に、気になっていることがある。
それは、OSKには組がない=1組しかないということと、そのスター制度だ。
OSKは、宝塚とは似ているようではあるが、その中身は異なるスターシステムで運営されてきた。
いま言った、1組しかなく、トップは常に一人しかなれないということ(ダブルトップはイレギュラーなので除く)。
昨年の春のおどりの感想でも触れたが、宝塚では確立されている、”娘役トップ”という概念がなく、男役トップが一人君臨する、いわば家父長制のような序列である(あった)ということ。
名簿(OSKの「FACE」、宝塚でいうところの「宝塚おとめ」)やプログラムなどの、団員の序列の見せ方が入団順の年功序列とは異なるものであったということ。
全体的な人数の違いはあるが、1組しかないOSKでトップになるチャンスは常に1つだけだが、5組ある宝塚のように複数組あれば、そのチャンスは増える。
1組しかなければ、流動性が皆無なので、スターの渋滞が生じることとなり、チャンスが厳しくなるということは、モチベーションにも影響すると思う。
才能を持った多くのスターがトップにならずに、また、活躍しきれずに、劇団を去っていったことと思う。
そういう規模の劇団なんだと言ってしまえばそれまでだが、本当は、それは、劇団にとって大きな損失だと思う。
1組しかないというのは、厳し過ぎるし、救いがないと思う。
それと合わせて、劇団自身、ポジティブに活動し、発展するためにも、せめて2組は欲しいところだ。
一人しかトップになれないがゆえに、年齢的なことなのか、トップになれないとわかったときに、才能のあるスターが劇団を去るのは辛いものだ。
団員が希望を持てなくなる、ただ辛いのが当たり前というだけの、あまりにも酷なスター制度は改める必要があると思う。
宝塚ももちろん、トップへの道は険しいが、OSKはその構造上、それ以上に険しいはずだ。
トップ娘役についても、少し前から、「娘役トップスター」という肩書のようなものができ、昨年の春のおどりでは、宝塚と見劣りしない”トップ娘役”としての起用が見られたので、OSKもこれから変わろうとしているのではないかと自分は見ているのだが、娘役を低く見ず、トップコンビ像をきちんと確立することが、スターの渋滞の原因となっている強い家父長制を改めることに繋がればいいと思う。
OSKから入ると、OSKの団員の序列の並べ方が普通で、宝塚の方に違和感を感じていたが、宝塚の序列の並べ方の方が健全なのではないかと、後に感じるようになった。
宝塚では、入団順に年功序列(その中で、成績の順があるようだ)で名簿に名前を載せていて、”抜擢”というかたちで、その年功序列を無視したかたちでスターが誕生する。
名簿自体の年功序列の順は改変しない。
以前までOSKの名簿は、大きくは年功序列っぽくはあったが、人気順なのか成績順なのか、はたまた、運営側の認める実力順なのかわからなかったが、スターといえる団員ほど名簿の上の方にいき、元の年功序列はシャッフルされ、上級生が下級生の下になっていたりと、見る方もちょっと戸惑うものであった。
その点も、モチベーションの観点から疑問に感じていた。
ただし、これは、現在改められているようだ。
他にも、OSKはいつまでも外部の演出家に頼り続けていること、自前の劇場を持つところまでいけるのかどうかなど課題はあるのだが…。
OSKは、宝塚とは一応100年来のライバル関係なわけだから、宝塚を目指してはいけないんだけれど、独自の路線を見据えつつも、宝塚をみて、OSKに足りないところに気付き、それを認め、取り入れるなり注入してもらうなりして、背中を追うという過程も必要なのではないか。
そうしつつも、OSKは、どうあるべきか、どうありたいのか、どういう道を進むのか。
そして、(終わりはないが、)行き着くところはどこなのかを考える必要があると思う。
解散から20年ちょっとが過ぎ、インターネット、SNSが個人にとって当たり前の時代となり、映像などのコンテンツにもアクセスしやすくなり、あの時に語ることができなかった想いや痛みを、皆各自が語り始めることができるようになったのはいいことだと思う。
一方で、目の肥えた観客の声がダイレクトに突き刺さることもあるだろうが。
舵取りを間違えれば、豪華客船でも沈む。
OSKは一度沈んだ。
団員は、間違いなく、一生懸命頑張っていた。
すべての責任は、経営陣にある。
団員とファンを守れるのも、経営陣である。
解散という、最悪の結末で、団員もファンも二度と悲しませないでほしいと思う。
公演の話に戻るが、今回の公演、VTRで出してほしい、出すべきだ。
衛星劇場で放送してほしい。
おもしろかった時代の作品も、その後の時代の作品も、いつか、簡単にでも感想を書いてみたいとも思う。
そういえば、一点疑問。
旧OSK解散時に、松竹はOSKを買い戻すことはできなかったのだろうか?
※4月27日追記
松竹は4月14日、大阪松竹座について、1923年の開館当初から残る正面外観を含め、建物を取り壊す方針を取締役会で決議したと報じられている。
建物本体や内部の老朽化については、ある程度やむを得ない面もあるだろう。
しかし正面外観は、大阪の劇場文化を象徴する存在として、多くの観客の記憶に刻まれているはずだ。
仮に同地に新たな建物が建設されるとしても、その在り方は慎重に検討されるべきではないか。
たとえば、大阪中央郵便局の再開発のように、外観の一部を本物として保存し、再配置する形で新建物に組み込むことはできないのだろうか。
元の位置に完全な形で残すことが難しいとしても、「実物の継承」という選択肢は十分に検討に値するはずである。
そうした配慮がなされないまま歴史的・文化的価値を持つシンボルが失われるのであれば、「新たな文化芸能の発信拠点の実現」とうたわれても、どこか空疎な響きを感じてしまう。