最近モヤモヤしていたので、やらなくてもいい痛い手術を自傷的にやる予約していた私です。

肉体的痛みで精神的痛みを消す策!笑



んー!!!!!!

でもなんか…可愛い子不足だっただけかも笑



先月末に発生した謎の行動力で遠方の可愛い子に会う予定を入れ、可愛い子とサプライズ的に憧れの美女に会ってきたら、なんか痛い手術はやらなくてもいいかなってほどに回復した。



まあもう予約したので一応やりますけどね。



1週間くらいは包帯ぐるぐるかなあ。でも傷痕修正の手術だから一応今回で最後になる予定なのでまあ頑張るか…うん。(何年も最後の一回にいかない私)



でも、次からはモヤりだしたら飛び立とうかなと思う。

なんていうか、近年一人で抱えすぎたのかも。



年を重ねてくると皆生活も変わるし、各々忙しいし昔のように頼るとかできないなってなってたけど(まあ頼ったところで助けてはくれないパターンも多く経験し更にダメージ負ってたのでその回避もあってね…)、でも溜め込んだりして大きな問題が起きる前に友達に相談したりアウトプットすることは大切なんだなと思う。



限界で頼るのはダメだけど、なんとなくモヤったくらいのときに遊んだり語ったりして解消しちゃうのがいいのかもとこの年にして気づく。



ストレスは他人から受けるものだけど他人はどうせ変わらないし、根本的解決なんてものはできないんだから、なんとなくモヤッとするの時点で、悩みをぶん投げて好きな子達と遊んでいたらどうでもよくなるのかもしれない。



人生なんて結局どれだけ手が抜けるかとか適当に生きれるかが大事なのかとも度々思う。



でも頑張ってる子は愛しいし、頑張ってる子全員震えるほど幸せになりますように。あ!私も含めてな!!!



自分のメリットだけみて上手く世渡りして生きるのも大事だけど、それができなくてもダメとかじゃないと信じたい。

身の危険を感じても逃げないのは人間だけ。
それは人間が本能だけで生きていないから。
進化するものは苦しむ。




という説。




日々の生活の中で、「悩む人」と「悩まない人」の差は進化の差。




本能型の人間は、感情のままにしたいことをし、本能のまま生きるので、悩むことが少ない。一方で、理性型の人間は、本能を押さえつける理性があるので本能と戦わねばならない。故に悩むことが多い。



多数派が良しとされる社会においては、少数派はまるで多数派に比べ劣っているように見えるだろう。しかし、それは逆なのである。