こんにちは!今日もamadeus のブログにお越し頂きありがとうございます爆笑



昨日フジコ•ヘミングさんのドキュメンタリー番組が放映されていました。


フジコ•ヘミングさんはスウェーデン人の父と日本人の母を持ち、ヨーロッパで色々なご苦労を経て日本に帰国されてから活躍なさった個性派ピアニストで、今年の4月に天国に旅立たれました。


番組内でフジコさんが仰っていたことがとても印象的だったので、思いついたことを書いてみようと思います。



以下に彼女の言葉を抜粋します。



« みんなパチパチパチって

最近の人は 拍子だけで 譜面どおりに弾くじゃない »




 « あんなんじゃ しょうがない »




« 譜面の後ろにある 霊感を感じない人はダメだ »




西洋音楽本場の地で音楽を学び、現地で様々な生徒たちと関わった経験を通じて私が気づいたことと、彼女の言葉にある種の共通点を見つけました。


„譜面の後ろにある 霊感“ という彼女の言葉を、私は自分なりに „音符の裏の音“ と呼んでいます。


楽譜を表面から見ただけではたどり着くことのできない、その向こう側にある音のことを指します。


元を辿れば音楽はヨーロッパの生活の中で自然発生的に誕生しました。僧侶が儀式の中で祈りを捧げる言葉に音が加わり、それがのちに音楽となったのです。


私がドイツ•オーストリアの留学生活中に現地の文化に触れて感じたのは „音楽はヨーロッパの人たちにとってなくてはならない存在であり、生活の一部である“ ということでした。


ヨーロッパでは、殆どの人が毎週教会のミサで聖歌を歌います。楽譜が読める人もそうでない人も、一緒に声を合わせて歌います。音楽が人々の生活と共生しているため、歌うことに抵抗感や羞恥心がありません。


音楽は西洋の人にとって日本人が当たり前に扱うお箸のような存在なのです。


一方、日本はどうでしょうか。


保育園や幼稚園で朝の歌、帰りの歌を歌うことはあるけれど、小•中•高と成長するうちにその機会はだんだんと失われ、たまに校歌を歌うも朝なので音を外すかもしれないリスクを避け適当に小声で歌う、といったところでしょうか。


音楽科があるような専門の学校は別として、日常生活の中で音楽をすることに、明らかなハードルが既に生じているのです。音楽が日々の生活と切り離された存在であることが分かります。


この別枠存在である音楽を身体に染み込むまで習得するには、相当な意気込みを持って練習しなければなりません。


頑張って練習するということは、力みが出てしまうので、奏でられる音楽自体が硬い印象になってしまいます。 



ここで、過去ドイツの音大大学院の入試で私が歌った際に試験官から言われた言葉を紹介します。


 「あなたはどうしてこの曲を選んだのですか?テクニック的なものではなく、もっとあなたの声そのものが聞きたかったよ、例えば〇〇とか。」


〇〇とは、日本では高校生が歌うような曲で、技巧的なものではありません。


私は „日本ではいつもこれくらいのレベルを求められるから…„と内心思いながらも咄嗟に「〇〇も歌えるので聴いてください!」と言いましたが、「さっきの歌でもう分かったら結構です。」と断られ、悔しい結果となったのを今も忘れません。


突然入試にまで話が飛躍してしまいましたが、ヨーロッパは、その人がどんな資質や性格を持っていてこれからどう伸びていく可能性があるのかを見るのに対し、日本は受験生に次々と難曲を与え、完成されたものを初めから求める傾向が残念ながらあるのです。


音楽を初めてまだ間もない少年少女に早くから完璧さを求め、形通りに弾けるかどうかを競うコンクールも日本で数多く見かけます。このようなやり方では表現の幅が広がらないので非常に厄介です。


稀に大人なってから基礎をやり直す方がいらっしゃいますが、このようにガチガチに固められた演奏を一度壊して再構築することは、容易ではありません。


もし、求めるものやそもそもの本質がずれてしまっているとしたら、一生懸命に取り組んだところでどんな結果が待っているでしょうか。



フジコ•ヘミングさんが仰った „霊感“ とは、人の心を動かす何かであると私は解釈しています。豊かな表現力、誰にも真似できない音など、それは人の数だけあるのかもしれません。


人の心を動かすには、まず自分自身の心が動くことが先に必要であると思います。それは気持ちの余裕があってのことで、ただ音符を必死に追いかけ周りが見えない状態であったとしたら、その境地に達することはないでしょう。


歌舞伎が海外では輸入扱い、決して欧米で根付かない所以も然りで、本物を知りたいならやはり本場の地へ行くことが一番の近道なのです。


色々な紆余曲折があり、日本に戻ってきたものの “違う、やっぱり違う!“ と思いながら本音を隠して生きることがどうしてもできず、私は日本で音楽を教えることに終止符を打ちました。


レッスンを進めるうちに生徒さんから、“音大(日本の)に行きたい“ とご相談を頂くことが多くなり、教えることへの責任を感じるようになったためです。


日本で求められる „音楽“ は、本場の西洋音楽とは別物である、ということを今、改めて感じています。


(例えば日本の音大で教わる声楽の発音、現地と全然違います😅)


これはあくまで私の個人的な意見であり、音楽と真剣に向き合いたいと思っている方を否定するものではありません。


これからは一音楽愛好家として、音楽を楽しんでいこうと思います。今思えば、予期せぬ事故で手を痛めてしまったことも ある意味必然だったのかな、と思います。



本日よりブログ名を „amadeusのブログ“ に改めました。


今後は音楽のみならず、色々なことについて心赴くままに書いてまいりたいと思います。


もし、誰かのお役に立てましたら幸いです。


最後までお読み頂きありがとうございます😊



2024年6月7日追記: 

このブログは、2021年8月から2024年3月まで、音楽教室ブログとして運営しておりました。当ブログ管理者の手の故障や上記の理由などにより、音楽教室は閉鎖いたしました。


本日以降は音楽のみならず色々なことを綴っていくフリースタイルブログとしてリニューアルいたします。


今まで読んで下さいました方々に心より御礼申し上げます🙏✨✨✨