劇場版「名探偵コナン/から紅の恋歌」が歴代最高記録達成!(土日興行収入)ということですね。この手の(大絶賛新記録報告)はいつも多少の(時々かなりの)盛りがつきものですが、今回は盛ってあろうが無かろうが文句無しの面白さでした。


(映画「名探偵コナン/から紅の恋歌」2017公開  配給 東宝)


そもそも、この「コナン君」シリーズは、常に高水準の面白さをキープしている人気アニメシリーズです。ツッコミどころも沢山あって、もちろんそれはコナン君ファンが、テレビアニメや映画を観た後に友達同士で、または合コンの時に盛り上がるための良い意味でのツッコミネタとなってる訳で、ファンとしての「お約束ツッコミポイント」として好意的にそれぞれが解釈しているはずです。


例えば…

① コナン君、毒飲まされて小さくなっちゃってるけど…  いくらなんでも小さ過ぎないかっ? 時々大人の「膝」くらいの小ささに見えるけど、現実的にはあれじゃ子犬だよね!小学生としても小さ過ぎない?


(映画版『ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE』2013公開  配給 東宝)


② 毛利蘭のあの「トンがってる髪型は何故?」あれ実際にはカチカチムース付けないと、あの形は絶対キープできないよね。

 

(毛利蘭のトンがった髪型)


③ 眠りの小五郎の完璧な謎解き…  コナン君が小五郎声に変換して(←あの蝶ネクタイの声変わりマイク)小五郎の足元(  ←  見えないところに隠れて)で謎解きする訳ですが、現実的には周りにいる人、どう考えても小五郎は気を失ってることに気づくよね? 最後まで本当に「眠り小五郎」やってると信じ切ってるのはどう考えても無理がある。  ←だいたいあの「蝶ネクタイの変換マイク」が使えるなら、もっと事件起こる前に有効活用して未然に防げないか?  ←  でもそれ使っちゃったら事件が起こらないからお話自体が消えてしまう。

 

(「眠り小五郎」中の小五郎とコナン)


④ (見た目は)小学生探偵であるコナン君や高校生探偵である(今回の「から紅の恋歌」の実質主役の)服部平次が、警察の捜査に平気で参加して、時には警察が彼らに意見を訊いたり、かなり頼りにしている。いくら服部平次の父親が県警本部長だからといって、子供達を捜査に加えるはずはないだろう?


(こんなでっかい見出しで新聞に載る!)


⑤ そもそも、コナン君の周辺に殺人事件を含む、かなり面倒臭い事件が頻繁に起こり過ぎでないかい?  あんな(けっこうキチンと書かれた)ダイイングメッセージとか、国際犯罪組織とか、歴史的名画が盗まれるとか、そんな重大事件に遭遇(巻き込まれる)する確率は100  万人に一人の人が一生に一度出遭うかどうかでないか?   

 

(こんなメッセージ残せる余力があるなら犯人の名前書けるんじゃ…おっとそれは禁句!)


その他、コナン君が扱うスケボーの技術をみたら間違いなくオリンピックレベルだろ、とか、クライマックスに超強力なアイテムとしてよく使われるサッカーボールは役に立ち過ぎだろ!とか…



(万能すぎるスケボーとサッカーボール!)


このようなツッコミネタには真実の答えを求めてはいけません。作者さんはちゃんとツッコまれることお見通しのはず。コナン君ファンが合コンで楽しくツッコみ合いできるようにしてくれているのです。


そこで今回の劇場版「名探偵コナン/から紅の恋歌」ですが、今回も安定のハイレベルの面白さ!  今回は特に百人一首がらみの殺人ミステリーで、昨年の映画「ちはやふる」のように高校の「カルタ部(百人一首部)」の大会が舞台の一部になっています。


(映画「ちはやふる」2016公開 配給 東宝)


映画「ちはやふる」は競技カルタ部の活動や大会を描きながら、登場人物たちの人間模様(クラスメート、部活の仲間との人間関係や恋愛、そこに病気なども加わる)、もちろん、かなりディテールに富んだ大会の激しい「カルタ競技」の場面など、要するに競技カルタを通しての青春群像劇でありました。


今回の「コナン君」は、より百人一首の(和歌の)内容にも絡むミステリーとしての抜群の面白さがありました。もちろん百首の全ての内容に触れることは無理なので…今回は題名の「からくれない」を含む、歌の中に『紅葉(もみじ)  』が謳われている六首が用いられています。


その六首とは…

① 『奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき』   猿丸大夫

 


この歌は私個人的には、この百人一首の全ての歌の最も好きな歌です。作者は他の歴史的文献にもこの名前はほとんど出てこない謎の人物です。ますます(誰なんだ!こんなに素敵な歌を作る人物が「謎」では済ませたくない)探究心が湧いてきます。


三十六歌仙の一人とありますがその他不明。拠り所としては…「太夫」といふ肩書ですが、太夫とあるからには五位以上の官位を得ている貴族ということになります。もちろん幾多の研究により様々な説がある訳ですが、最もミステリー心をくすぐられる魅力的な説は哲学者の梅原猛の著書『水底の歌  -柿本人麻呂論』による、猿丸大夫=柿本人麻呂 同一人物説です。  これは常識的な「学界」からはある意味トンデモ説として評価されてしまったようですが、常識的な史料を証拠とした(ここら辺が無難な)定説なんかより数段面白いし、(これが事実だったらなんて素敵なんだろう!)と思い込みたい、まさに「古代史ロマン」を感じさせる説でした。


(梅原猛 著 「水底の歌-柿本人麻呂論-上  新潮文庫)


柿本人麻呂は(これも無難な定説では)「史料(正史)」に基づき、人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたと唱え、以降現在に至るまで歴史学上の通説となっていますが、実は正三位クラスの高級官僚で、ある事件に参画し国(天皇)からの誅罰の意味で「人麻呂」の称号を(人→  猿)堕とされ、「猿麻呂(丸)」と蔑称を与えられてしまった。


梅原猛の説は、もちろんこれで終わりではなく、その人麻呂の「無実の叫び」が猿丸大夫として詠った『奥山に  …』の中に隠れている! 


(★★★ここからは、『水底の歌』と、その長大な書物をモチーフとした、これまたものすごく面白いミステリー小説『猿丸幻視行』井沢元彦  のかなり重要なネタバレとなるので、ミステリー好きの方はお読みになってから改めてお読みください) 

 

(井沢元彦 著「猿丸幻視行」←江戸川乱歩賞受賞作品  講談社文庫)


和歌の中の「紅葉踏み」が暗号のキーとなっていて、(紅葉  →いろは→いろは歌)を、その暗号に現れる字数で改めて並べなおすと、柿本人麻呂が訴えたい本心が浮き出てくる  ←という、パズル型ミステリー愛好者なら大好物となるワクワクした推理が続きます。それほどこの猿丸大夫の和歌は色々な意味で謎めいた素敵な歌なのですね。


(「いろは歌」48文字を一度だけ使ってこの世の無常を詠った超絶技巧のパズル歌!)



② 「千早振る神代も聞かず龍田川 唐紅に水括るとは  」在原業平



今回のコナン君の映画の副題にもなっている「からくれない」はこの一首から採られたわけですが、作者は在原業平! そう和歌の天才集団「六歌仙」の一人。『伊勢物語』の主人公のモデルとされる「恋愛のデパート」みたいな人。伊勢物語を「事実」として考え、物語中の「昔男」が在原業平本人として考えるなら  …清和天皇でのち皇太后となった二条后(藤原高子)、惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王と  みなされる高貴な女性たちとの禁忌の恋等々…これがどんなに「あかんヤツ」なのか→  現代で言うなら、例えば大企業の御曹子またはエリート街道を歩む高級官僚が「さる高貴なご一家」の皇太子妃の〇子様と駆け落ちするようなものです。(伊勢物語では駆け落ち後、嵐の夜、女性だけ鬼に食われる←『芥川』伊勢物語  第6  段)   


(「昔男」が「女のえ得まじかりける」を背負って芥川の畔を逃げている場面)


改めてこの和歌を上から鑑賞していくと…まず和歌特有の面白い言葉の使い方である『枕詞』である「千早振る」

(授業ではこんな風に習いませんでしたか?→)枕詞というものは…言葉そのものには意味を持たず次に来る言葉を導く暗号のようなもの


確かに現代語に訳す時は、枕詞は無視して次の言葉から訳していけば良いのですが…その和歌のテクニック(修辞)は枕詞独特の情緒を添えています。


この「千早振る」も

(千→ち→  無数の→激しく縦横無尽の)

(早→俊敏に)

(振る→ふるまう、暴れる、〇〇ぶる)

= 神のように自由自在に、オールマイティな力を持つ神


暗号とはいえ…そこから「千早振る」という文字を見ただけで神のイメージが微かにでもうかんでくるところに枕詞の深遠なパワーを感じます。 


おっと…今回はコナン君の映画の感想を書くつもりが、(もともと専門でもあり大好きな分野なので)百人一首の(紅葉  の歌)こと書き始めてまだ二つしか書いていないのに、すでにこんなに長くなりました。今回は次回に続きとして同じ話題で連作とします。


私の文を楽しみに読んでくださっている方がいらっしゃったとしたら心から感謝しています。頑張ってできるだけ早く更新しますので、お楽しみにしていただけたら嬉しいです!