ぼちぼちやっております、りかです
前回貼り付けた頑張るぞ体勢(
あくまで主観)のあの可愛い生き物はインド神話に出てくるガルーダです(唐突な報告w)。
さて、石井米雄氏『道は、ひらける』、前回までのあらすじは~

~~第3章 再スタート~~
再スタート…すなわち、日本に帰ってくるわけですな。
帰国後、しばらく米雄氏は外務省アジア局に勤務していた。
そんな折、タイで出会った教授陣の縁で1965年に新設された京都大学東南アジア研究センターの先生に・・・
手にした辞令には、
「文部省に出向させる。京都大学助教授を命ず。」(本書131頁引用)
念願叶って研究者の道を歩むことになった米雄氏であったが、その道は容易いものではなかった。
当時の日本には東南アジア研究という研究領域が新しすぎたため、東南アジア研究センターは学内外からの反対運動に遭った。
「タイ語を学ぶのはスパイのためだ」と批判されながら、米雄氏はじめセンター関係者は研究成果をあげよう!とひたすらに研究を続けた。
大学を2度中退した米雄氏であったが、タイ仏教を題材に4年という時間をかけ1973年に博士論文を書き上げた。
京都大学法学部に学位請求論文として提出し、博士号を取得したのは1981年のことである。
これまでの人生を石井米雄先生は以下のように語っている。
『2度の大学中退を経て、外務省ノンキャリの道を選んだ。「石井は学問をやめた」と理解されていたようだが、学問を棄てる気はさらさらなかった。
役所づとめでは研究に割く時間は限られていたが、
「私は、研究者をめざす友人たちが1日でやれる勉強に自分は10日かけようと決心した。
10日でできなくても、倍の20日あればできるだろう。こう自分に言い聞かせた。(本書159頁引用)」』
熱意をもち、その火を絶やさずに何十年という月日をタイ研究に捧げた石井先生。
本書を読み、石井先生の長い旅路を支えたのは人との出会いに他ならないと感じました
外務省にいた石井先生と学問の世界をつないだ小林先生、タイ滞在時に出会った様々な人々・・・
1つ1つの出会いを大切にしたい、そう思えた章でした。


可愛いからガルーダ大量生産です(絶対違うw)