- 前ページ
- 次ページ
先日、小中高が一緒だった幼馴染から、久しぶりに連絡がはいりまして、メールで少しやり取りをしました。
そして、つい一昨日、幼稚園で一緒だった幼馴染が突然訪ねてきて、母も交えてひと時の楽しい時間を過ごしました。
二人とももう何年、何十年も連絡をとりあったことはなかったのですが、それでも、つながった瞬間、そんな年月のギャップはなく、「とてもよく知っている親しい人」として私のなかでよみがえったというか、存在していたのでした。
同窓会などにごくたまに行ったときなども、どんななに久しぶりでも、
会ってない長い時間、お互い別々に、いろんな経験をしていたと思いますが、、、
会った瞬間に、そんな空白はまったく関係なく、
「とてもよく知っている人、知っているのが当然の人」のような感覚に自然になっています。
幼い時には、あなたと私という壁が希薄だったからなのか、、、、
子供のとき、素のままで生きていた、「素」のその人を知っているからなのか、、、
相手も「素」の自分を知っていると思っているからなのか、、、
「親しい」感覚がつねにあります。
これも、「絆」とよべるのかもしれません。
だとしたら、生まれた時から知っている、いや親よりも前からしっている「神様」とは、もっともっと深い絆があって、もっともっと親しく感じてもいいのに、、
なぜ遠いところにおわします、ような感覚をもつ人が少なからずいるのでしょう、、、
素の自分を一番知ってくださっている人、「素の源」から分かれた私たち、、、
それを思い出すと、もっと神様が身近になるかもしれませんね。
やっと秋らしくというか、冬らしくなって参りましたね。
しかし、お花たちは暖かい期間が長かったために、バラがずっと咲き続けており、そして菊も花開きはじめ、賑やかになってきました。
そういえば、桜が年がら年中咲いたらなんとなく変な気分になるかもしれませんが、バラの花はずっと咲いていても、不思議な感じはしますが
それほど違和感を覚えないかもなぁ
ものには「旬」と言うものがある というのも観念なのかもなぁ
桜も梅も桃もバラも牡丹も菖蒲も一緒に咲き誇っている世界はあるのかも知れませんね🙂
心の中?
天国?
最近、連続でミラクルの祈りを始め、希望されたたくさんの方々の幸せを毎日祈る機会をいただきました。
その方たちから病、貧、罪、垢、、などの不調和一切消え去り
健、康、富、浄、、などの調和した幸せな世界にいる状態になって
想像もつかないほどのミラクルがいっぱい起こるよう祈るのですが、
みんな天国にいて幸せな感覚とでもいいましょうか、そんな(それ以上の?)運気を付与するような祈りですので、当然自分自身がそんな幸せな世界に存在することになり、
ああ、本来はみんな、こんな気持ちの良い世界に住んでいるはずなのになぁと自然に感じられ、みんなその世界で楽しく豊かに幸せにすごしているような感覚が湧いてきます。
もうそれはそれは気持ちの良い世界で、祈る時間は自分にとってもとても幸せなひと時になっています。
81日間と決めて行っていますが、365日でもいいかも、、、笑
鳥たちには覚えやすい言葉のようで、
Kiss me とスイーティーもリリもすぐに言えるようになりました、それも行為とともに❣️
くちばしと口では無く、くちばしと鼻の方が使いやすいので、わたしの鼻とくちばしを接する感じですが、何かあるたびに当然のように、kiss meと言ってキスをし合います。向こうからもこちらからも🤣
ただ教えられた言葉+動作を反復しているのではなく、愛情表現だとわかっているように思います。
なぜって 目が合えば見つめ合いながら顔を近づけてくるから🤣🤣
一体キスってなんなのかなぁ?
自然な愛情表現はがそのような行動になるのかなあ…ハグとかキスとか…
そんなことふと疑問におもったりしていましたが、実際はどうでもよく、幸せっ❤️🤣
本日 母が95歳のお誕生日をむかえました。
以前は伯母(100歳で他界)の口癖だった、「私いったいいつまで生きるんやろ」
という言葉を、伯母よりは頻度はすくないですが、母も口にするようになってまいりました。
「よ~、生きさせてもろた。」は、しょっちゅう言ってますが、、、
母は、以前からもそうでしたが、最近特に
「ありがとう」の連発で
何かを手伝ってもらった時も、ありがとう
ごはんを食べても、ありがとう
めざめても、ありがとう
ねむりにつくときも、ありがとう
なにかにつけ、ありがとう と言っています。
人生 ありがとう で締めくくれるのは幸せですね。
お母ちゃんありがとう。
朝夕冷え込むようになってきましたね。
先日、夜中三時ごろ突然全身が寒くなり目が覚めました。
気候のせいではなさそうな、悪感ともいえる寒さでした。
もしや、風邪をひく前兆か、、、いや、ちょっと違う原因だな、、と気づいたものの、眠くて起きる気力がわかず、、、
とりあえず物理的に体を温めるため、敷いてある電気毛布のスイッチを入れすぐに眠りにつきました。
電気毛布を強でいれてしまったおかげでしばらくすると全身がすこし熱くなってしまい消したいとおもったのですが眠くて起きることができませんでした。
朝目が覚めて電気毛布を消そうと思いましたら、なんと電気毛布のスイッチは入っていませんでした。
それどころか、コンセントをさしてスイッチをいれたはずの、コンセントすらささっておらず、、、
毛布のスイッチを入れたのもとてもリアルでしたし、ベッドのマットレスに敷かれた電気毛布の熱が背中や足に伝わってくるのもとても熱すぎるくらいリアルに感じていたのですが、、、すべて夢だったようです。
すこ~し、ぞわっ 笑
ちょうど半眠りのようなうとうとした状態で、潜在意識は活発に働いている状態だったため、電気毛布くらい熱くなるという意識で、実際にその通りの熱を感じて温まるという状態が創り出されたようでした。
高校生の頃やっていた、自律神経訓練法を思い出しました。
あのころ、半眠りの状態で手足が温かくなる~と心のなかで思うと、手足が温かくなったのでしたが、電気毛布の「強」レベルまで温かくなるとは笑
催眠術などでは、本当に火傷のような水ぶくれをつくることもできるくらいですものね、、、
顕在意識が邪魔せずに潜在意識がはたらいているとき、体をコントロールすることなどはわりと簡単にできます。
現実化もしかり、半分ねむ~いくらいのぼーっとした状態でねがったことなどは、叶いやすくなります。
眠る前や、朝起きる直前などに、夢を思い描いて、かなえるのは楽しいですね。
ミルフィーユ美味しかったです〜
車のフロントガラスにとまっている小さな虫をみた助手席の母が、この虫は車の中にいるの?窓の外にとまっているの?
と、運転中の私に聞きました。
運転中なのでしっかり見ることもできず、一見フロントガラスの外にいるようにみえましたので、指先で虫のいるあたりを触ってみました、、、、ところ、
車の中におった~😅
助手席の窓の方へ飛んでった~😧
母 大騒ぎ~😣、で、慌てて窓を開けて外に逃がしたのでした🤣
私の指先👆には、その小さな虫さんのちょっと固めの背中の感触が残っていました。
触ったときにすこし動いた感覚も、、、
その余韻に、小さないのちの大切さを感じて、なんだかぶわっと私のなかから愛があふれ出したのでした。
いのちの尊さ、生きている、大きさ関係なくおなじ生命、、、、
なんか、目頭があつくなる~
指先の感覚はずっとつづき、同胞にふれた喜びのようでもあり、、生命の交流がうれしくて温かかったのでした。
ありがとう~
虫さんはいきなり背中触られてびっくりしたかもね
美味しいものが食べたいわ
と、母が言うのを、これまでほとんど聞いたことがありませんでしたが、少し前からちょくちょく聞くようになっていました。
私が作った食事や外食をしているときは、美味しいね~という言葉しか聞かないので、一体どういう美味しい物が食べたいのかしらと不思議に思っていました。
週末友人が遊びに来ていて、母のバイタルを記録する手帳に血圧を記録してくれていたとき、後ろに貼り付けてあったコンビニのレシートを見て、この手帳、前からはバイタルを書き、後ろからは家計簿になっている、、変わってますね~、、、と私にいいました。
そうなのよ、近くのコンビニで買いものしたときのレシートを貼ってくれるみたい、違う手帳用意するよういってくれれば用意するのにね~と答えました。
彼女が、ぱらぱらとレシートを見ながら、これ、コンビニ弁当やチンするおかずばっかりです!と驚いた口調で言いました。
お料理に使うための食材はほとんど毎週末買いだして冷蔵庫にいれてありますので、私の不在時はよっぽどのことがない限り買い物をしなくていいようにしているので、
牛乳などが途中で切れた時などにコンビニを利用しているのだと思っていましたので、彼女の指摘をうけて、慌ててレシートを確認しました。
えっ?
焼きそば、チャーハン、のり弁、サバの味噌煮、そうめん、、、、
なんと!こんなコンビニ弁当ばっかり食べたら体に悪いやん!!
私だったら絶対に買わない、、、、、
というものが多く並んでしました。
私が用意している食材がいつもたくさん余っているため、おかしいなとは思いつつ、いつも私が週末にせっせとそれらを使って料理をし、また買い足しておく、それがルティーンになっていました。
母もお手伝いさんも小食なのか?冷凍庫にもぎっしり食材があるし、缶詰類やパスタ類もあるのでそれらを使用しているのか?とおもっていたのですが、、、ようやく疑問が解けました。
美味しいものが食べたい、と母が口にするようになったわけがわかりました。
そういえば、、、私が週末に、カレーを大量につくりおきしてきたり、煮物を作り置きしてきたりしたときに、美味しかったよ、とわざわざメールが来ていたのでした。
母は人のことを悪く言うことがめったにないので、ヘルプサインに私が気づくのが遅すぎたなぁと反省しました。
お手伝いさんには、出来合いものには添加物等が多く入っていて体に悪いのでどうか、家にある材料で料理をしてくださいとあらためてお願いした次第でした(当たり前すぎてお願いしてなかったのでした)。
全部が全部コンビニの出来合いではないと思いますが、比較的多かったのではないかと思います。
でも、母に優しく接してくださいますし、鳥たちの面倒もよく見てくださいますので、あとは、まともなものを食べさせてくださったらまあええか、しゃーないな、って感じですね。
このような現実が現れたたのは、わたしの中で、「とにかく母が安らげるように面倒みてくれる人」(前任の方が安らげなかったので)が来てほしいと望んだ結果なのでした。
やさしく面倒見がよくてお料理が上手なしっかりした人、と初めから望んでいれば違った現実が現れていたのだと思います。
あっまた掃除をちゃんとしてくれる、、を入れ忘れる、、、、→からその通りになる
何かを望むとき、「これだけは、、、」と望むより、きちっと自分の望みを具体的に詳細までイメージして実現するように望むのは基本ですね!