人間の本能を利用しよう
前回のブログ【執着はやめられない?】では、カルマのせいで執着がなかなかやめられない、というお話をしました。
ただ執着はカルマだけでなく、人間や動物の本能のせいでもあります。
動物が自分の命や生活、食料、住処、家族なんかにまったく執着しなければ、まともに生きていけませんからね。
でも
『それなら、もう解脱なんてムリじゃないか』
とあきらめるのは早計です。
本能としてどうしても克服しがたい強烈な執着があるのなら、その執着を利用すればいいのです。
そこがアタマのある人間ならではの利点なんですよね。
せっかく高度に発達して大脳をもった人間に生まれてきて、天界をも超えて極楽往生するチャンスを得たわけですから、チャンスをものにすべくアタマを使いましょう。
どうすればいいかはカンタンです。
執着を神や仏にむけるか、あるいは天国、極楽にはいることにむけるか、どちらかをすればいいのです。
これなら執着心が強ければ強いほど、解脱するのに有利になりますよね。
しかもそれがうまくいけば、この世のどんなものを手にいれても、どんな体験をしても得られないほどの喜びと幸福感を得ることもでき、この世の人生も苦しみ、悲しみ、恐怖、不安などとは無縁になるのです。
もう、やらない手はないですよね。
ただし、この方法にももちろん問題はあります。
それは、ただしく神仏に執着しなければ、まったくの逆効果になってしまうということです。
集金目的のインチキ宗教に引っかかって家族崩壊とか、ニセ教祖を神だと信じきって人生を台なしにしてしまう、といった例は数えきれませんよね。
つまり最低限、真理を見極めるだけのアタマは必要ということですね。
まあ、自然の掟からすれば、どのような人生を歩むのかは100%自己責任ですからしかたないかもしれません。
でも、そんな失敗例をみて
『やっぱり宗教はこわい。神や仏なんていないんだ』
と、真理から離れた自分本位の生き方をするのもやはり自己責任になります。
というのも、両極端な両者ですが、皮肉なことにどちらにしても六道の下位世界をグルグルとまわるのことになるんですよね。
このように、悲しいかな、人間はせっかく考えるアタマをもちながらも、なかなか真理に気づいて解脱することができないようになっているんですね。
でも、ただただ神仏に心を向けるという、ごくごくカンタンなことが、なぜ人間はできないのか不思議に思いませんか?
それは
【この世は悪魔(悪霊、邪霊)が支配しているから】
なんですね。
というわけで、これについてはまた今度お話しします。
とりあえず、執着はただしい神仏にむけましょうね。