前回は、神様の正体がある種の

エネルギーである、という話を

しました。

 

『なぜそんなこと、お前が

わかるんだ』

とか

『神様がエネルギーだなんて

失礼じゃないか』

 

と思われている方も多いと

思います。

 

でも、これにはつぎのような

根拠がちゃんとあるのです。

 

  1. 各種の宗教経典に書いてある
  2. 実際にそのエネルギーを体感できる
  3. 人間の本質もエネルギーである

 

3については、本編でじっくりと

解説していくので、ここでは

1と2についてカンタンに説明

しておきましょう。

 

 

1の各種の宗教経典に書いてある

というものですが、それらが

書かれた大昔にはエネルギーと

いう言葉や概念はなかったため、

神という存在やその力、働きを

あらわすのに擬人化や比喩表現

が使われているのです。

 

だから、本来ならば書いた人の

真意をくみとるような読み方を

しなければならないのですが、

大多数の霊的知覚に乏しい人は

文字どおりに解釈するしかなく、

それがあたかも真実であるかの

ように伝承されてきたため、

神様が人間の姿をしていて、

喜怒哀楽など感情をもった

存在であるかのような誤解が

まかりとおってしまっている

のです。

 

どの教典にどんなふうに神様

のことが書かれているのかに

関しては、また、それぞれ

の宗教や経典をとりあげて、

解説していきます。

 

 

2つめの根拠ですが、神様の

エネルギーも、熱とか光、

電気など、他のエネルギーと

同様に、だれでもハッキリと

体感することができるもの

なのです。

 

これがもし、わたしだけが

『感じられる』と言いはって

いるだけだったら、たんなる

妄想だとかたずけられてしま

うでしょう。

 

でも、

【ただしく神様とコンタクト

する方法】

言いかえれば、

【神様のエネルギーを身体に

満たす方法】

を習得すれば、だれでも体感

することはできますし、

そんな面倒くさいことしたく

ないという人は、

神様のエネルギーを身体に

満たしている人から、

それを伝えてもらうことも

できます。

 

もちろん、神のエネルギーと

いうからには、

『なんとなくそんな気もする

なぁ』

といった程度のものではあり

ません。

 

よほど特異体質の人でない

かぎり、太陽の熱や光は

ハッキリと感じられるもの

ですが、それとおなじです。

 

本物の神様のエネルギーは、

その存在を疑うことができない

ぐらい、ハッキリと体感する

ことができます。

 

そしてもちろん、そのエネルギー

からは、はかり知れないほどの

さまざまな恩恵がえられること

は言うまでもありませんが、

こちらのほうは認めたくない人は

『そんなのたんなる偶然だろう』

とか、『精神的なものだろう』

と否定されるでしょうから、

あえて言わないでおきましょう。

 

 

そして、3つめの根拠ですが、

これについては以下の本文を

お読みください。

 

 

人間はただの物質なのか? 

 

 

『人間って、ただの物なんだろう

か?』

『心や意識はたんなる脳の活動で

あって、死んだらなくなって

しまうんだろうか?』

 と考えたことはありませんか。

 もし本当に人間がただの物質で

たんなるタンパク質のかたまり

だとしたら、人を傷つけようが

人のものを盗もうが、良心が

いたんだりすることはないはず

ですね。

 人の死も、ただ物質の活動が

とまるというだけなので、

悲しくもないはずですね。

しかし実際は、ほとんどの人が

『霊とか魂とか、そんなものある

はずないじゃないか』
 

と言いながら、人間はほかの動物

とちがって特別な存在なんだ

と思っているのではないでしょう

か。

だから、人を傷つけると罪悪感を

感じますし、親しい人が死ぬと

悲しむだけにとどまらず、葬儀に

参列したり、お墓参りにいったり

するのでしょう。

これこそ人間が無意識のうちに、

自分もふくめた人間の本質を

感じとっている証だといえます。

 

脳は科学、心は真理をもとめる 

 

科学は、目にみえたり、数値で

測れたりする物理的な現象を

とらえることを得意とします。

しかし、それでも自然界のこと

で科学が解明できているのは、

ほんのごくわずかであって

1%にもはるかにおよばない

ぐらいなのです。

 
たとえば気功師がだす気の

ように、いつでもどこでも

できる再現性があって、

ほとんどの人間がハッキリと

感じることのできるほど

つよいエネルギーであるにも

かかわらず、いまだに科学では

その実態が解明できていない

のです。

ですから、そんな気よりも

はるかに微細なエネルギーで

ある魂を現代科学でとらえられ

ないのは、むりもない話だと

言えるでしょう。

多くの人が霊や魂の存在を否定

しているのは、そんなまだまだ

何千年も進化の余地のある科学

というものを万能だとかん違い

していることが一番の理由だと

思います。

しかしじっさいは、大半の人は

脳では否定していながら心の

どこかでは霊や魂を感じて

いるのではないでしょうか。

 

だから、神社やお墓にお参り

したり、大金をかけてお葬式を

あげたりという、矛盾きわまり

ない行動をとっているのでしょう。


人間がただの物質であるという

ことを本心から信じているのは、

サイコパスか科学を盲信して

いるパラノイア(偏執病)の人

たちぐらいのものではないで

しょうか。

 

心の奥を見つめれば自分の本質に気づく
 

 

ヨーガや禅など、自己の心の

奥深くを見つめるような修行

をすると、自身の霊や魂という

ものをあたりまえのように

感じとることができるように

なります。
 

さらに、よりふかく修行が

すすめば、他人の霊や魂をも

感じることもできます。

ですから、そのような修行を

つんだ人は、科学では解明

できない人間の本質も、

なんなく理解することが

できるのです。

だから人生に迷いというもの

がなく、不安や恐れを感じる

こともなく、ただただ最高の

安らぎと幸せのなかで暮らす

ことができるのです。

これが真理を悟った人なの

ですが、それはなにも特別な

人だけがそんな境地にたっする

ことができるというわけでは

ありません。

どんな人でも、おなじような

完ぺきな人生をおくることは

できます。

そのために必要なことは、

たったふたつだけです。

 

真理を知ることと

それを実践すること

です。

というわけで、まずは数ある

真理のなかから、

 

【人間とはなんなのか】

【どのような構造になっている

のか】

 

そして、

 

【なぜ人間が悪魔のような

非道な行為を平気でするのか】

 

といったことについて解説して

いきましょう。

 

人間の構造
 

 

人間というのは、一体どの

ような構造になっているので

しょうか。

カンタンに言うと、卵のような

三重構造になっています。

一番中心にある黄身にあたる

のが魂です。

そして、それをつつむように

とりまいている白身部分が幽体

(霊体、想念体ともいいます)、

一番外側にあって固くて融通が

きかず、すぐに壊れてしまう

カラにあたるのが肉体です。

この魂と幽体こそが人間の本質

であるといえるのですが、

これらはカタチある物質では

なく一種のエネルギーという

ことになります。

【神は自分に似せて人を造ら

れた】
と聖書に書いてあるため、

『だから神様は人間の姿をして

いて、喜怒哀楽などの感情も

もっているんだ』

と誤解している人はたくさん

います。

 

しかし実際は、

【神も人間もどちらも本質は

エネルギーである。だから

似ている】

というのが正解なのです。

 

 

魂をつつんでいる幽体のほうは、

そのなかに貯蔵されている想念

とともに肉体のそとにはみ出して

まわりの人の想念とふれあう

ことがあります。

これがいわゆるオーラであって、

そばにいるだけで落ち着ける

あたたかい感じの人がいたり、

ピリピリと緊張させられる人が

いたり、陰鬱な気持ちにさせ

られる人がいたりするのは、

このせいなのです。

 

人間というのはこのような

構造になっていて、ふだんの

生活では肉体が前面にでて

活動しています。

 

成仏できる人はごくわずか
 

 

肉親や友人が死んだとき、「天国で見まもっていてください」といったような弔辞をよむ人がいますが、これも無意識のうちに霊や魂、あるいは、あの世の存在を感じとっているからでしょう。


 また、無神論を自認したり、

あの世の存在を否定する人が

これだけ多いにもかかわらず、

何十万、何百万円もかけて

葬式をしたり、墓を買ったり

する人がほとんどですね。

本当に人間がたんなる物質で

あって、死んだらそれで終わり

なのであったら、お葬式なんて

お金をドブにすてるようなもの

ですから必要ないはずです。

にもかかわらず大半の人が

そんな散財をしてしまうのも、

たんなるしきたりとか、

世間体を気にしたり、見栄を

はったりというだけでなく、

 

『ひょっとしてひょっとしたら

自分のせいで故人が成仏できない

んじゃないか』

『あの世でさまよってしまうん

じゃないか』

 

という、否定しても否定しきれ

ない思いが心のなかにあるから

じゃないでしょうか。

 

じつは、その直感はけっして

間違いではありません。

でも残念ながら、

立派なお葬式をあげたり、

高額なお布施をはらって

徳の高いお坊さんにお経を

あげてもらったり、

大金を払ってランク(?)

の高い戒名をつけてもらっ

たりしたからといって、

それで成仏できたり、

天国にはいれたりすること

はありません。

 
お金さえ払えば安楽や快楽、

快適が手にはいるといった

この世の常識は、しょせん

人間がつくりだした世界で

しか通用しないのです。
 

『地獄の沙汰も金次第』
というのは、たんなる迷信で

しかありません。

 
成仏するためには、

真理を知って、真理を実践

するしかないのです。

そう。

真理を知り、実践するという

ことは、この世で絶対の安らぎ

や幸せがえられるだけでなく、

あの世でも、完全な安らぎと

幸せの世界にいける(これを

極楽往生といいます)、すな

わち、成仏できるということ

なのです。

 
逆に真理とかけはなれた生活を

している人は、どんなに大金を

かけてお葬式をしてもらおうが、

偉いお坊さんにお経をあげて

もらおうが、成仏できることは

ないのです。

 

成仏とは肉体も幽体も脱ぎすてること
 

 

『成仏』、『極楽往生』

というのは仏教用語で、

『天国にいく』というのは

キリスト教など西洋の宗教の

思想です。

 

そして

『神になる(帰神する)』

というのは神道の概念です。

 

それぞれ表現はちがいますが、

人間の構造も、この世とあの世

のしくみも、世界中どこでも、

そして、いつの時代でも不変で

すから、あたりまえですが、

言葉がちがっても、どれも

おなじことをいっています。

ですから、ここでは日本人が

一番なじみのある仏教の成仏

という言葉をつかって解説

していきます。

自分の身内や知りあいが死んだ

とき、成仏してほしいとか、

天国にいってほしいとねがう

気持ちはだれしももっている

でしょう。

いや、ひょっとすると、きらって

いたり、憎んでいたりした人が

死んだときは、地獄に落ちて

苦しめばいいのにと、ねがうこと

があるかもしれませんね。

後者の場合は、望みどおりになる

ことがおおいのですが、成仏して

ほしいというねがいがかなうこと

は、ごくまれにしかありません。

 

なぜかというと、成仏するため

には、肉体だけでなく、幽体

(想念)も脱ぎすてて、魂だけ

にならなければならないから

です。

  

成仏するために必要なことは?
 

 

 肉体のほうは、だれでも死に

さえすれば無条件に脱ぎすてる

ことができます。

それに対して幽体は、そうカンタン

に脱ぎすてることはできません。

 なぜならば幽体には、肉体(脳)

から無限にわきあがってくる想念、

つまり欲望や喜怒哀楽といった

感情や執着、嫉妬、うらみなどが

ぜんぶためこまれているからです。

幽体を脱ぎすてるということは、

これらのベッタリと刷りこまれて

しまっている想念を、すべて

クリアにするということなのです。
 

これは、禅で何十年と修行して

たっすることのできる無の境地

ともいわれるものになるので、

ふつうの人間がちょっとやそっと

でできることではありません。
 

ほんらいならば、死ぬまでに

欲望や煩悩をすてて幽体を

クリアにすることこそが、

人間がこの世でなすべき一番

の仕事であり、それができた

人だけが、成仏できるように

なっているのです。

しかし、大半の人間はドロドロ

の想念が幽体のなかに充満した

ままで死んでしまうので、

せっかく肉体を脱ぎすてても、

成仏できず、そのまま幽体が

のこってしまうのです。

これが、いわゆる幽霊です。

 

人間は神か悪魔か? 

 

人間は、欲望や煩悩にまみれた

想念(幽体)につつまれている

とはいえ、最深部には神の分霊

(魂)をもっています。

これは、どんな極悪人でも

おなじです。 

ですから、ほんとうは人間として

この世に生をうけた瞬間から、

だれでも神になる可能性を秘めて

いるのです。


ただし魂が神だとすると、

肉体はそれに敵対する悪魔の

ような存在になります。

つまり、神と悪魔は人間の

なかに同居しているという

ことになります。


これはあなた自身がいちばん

よくわかっているはずですが、

肉体(脳)からは際限なく

自己中心的な欲望や感情が

わきだしてくるでしょう。

欲望、悪意、憎しみ、差別、

優越感、妬み、傲慢、執着など

あげればきりがありませんね。

また実行に移すかどうかは

べつとして、だれにもいえない

ような悪い思いがわきあがって

くることもあるでしょう。


このような脳からわきあがって

くる欲望、煩悩こそが人間を

悪魔のような行為にかりたてる

おおもとの原因になっているの

です。

だから、ほんらい神である

はずの人間がすむこの世界に、

戦争や殺人などの残虐行為や

差別やいじめ、暴力などの

悪が満ちあふれているのです。

また、このような欲望、煩悩

というのは、他人だけでなく、

自分自身をも傷つけてしまう

破壊エネルギーなのですが

それでも人間は、それらを

抑制することが、なかなか

できません。

 

生活習慣病をはじめとする

さまざまな病気や各種の

依存症、神経症などの大半

は、自分自身からわきだし

てくる欲望が原因なのです。

 

もちろん、そのような欲望の

暴走を押しとどめようとする

理性というものも同時に脳から

発せられはしますが、たいてい

の人間は理性よりも欲望が

圧倒的に勝ってしまうのが

実際のところです。

 


ですから、この世は悪魔に

支配されてしまっている

といっても過言ではないの

です。

 

ただし、われわれ人間には

そんな悪魔に対抗し、打ち

勝つ強大な武器があたえられ

ています。

 

それが、【真理】です。

 

 

真理を知り、実践すれば、

悪に満ちたこの世にいても

なにものをも恐れず、屈せず、

苦痛や不安とも無縁で、

楽しく、幸せで穏やかな毎日

をおくることができるのです。

 

しかも、死んでこの世を去っ

たあとには、よりすばらしい

天国とか、極楽浄土といわれ

るところにいけるのです。

 

 

ですから、おおむかしから

それに気づいた人たちは、

人間にとって最大の宝である

【真理】を命をかけても

追い求めてきたのです。

 

 

というわけで、これからも

【真理】について、どんどん

解説していきたいと思います。

 

今回は人間の構造について

お話ししましたが、

 

『それじゃ、人は死んだら

どうなるの?』

『天国とか、地獄とかって

どんなものなの?』

といった疑問がうかんで

こられた方も多いのでは

ないでしょうか。

 

というわけで、次回は

死後の世界について

お伝えしていきます。