なぜスピリチュアリズム(神霊学)なのか
イエスの福音についてお話し
する前に、その真偽を判断する
根拠となるスピリチュアリズム
(神霊学)とこの世の真理に
ついて、数回にわたって解説
しておきたいと思います。
日本ではスピリチュアルとか、
心霊といったほうが一般の方
にはなじみがあるようですが、
どれも定義はあいまいで
個人個人のイメージで言葉が
つかわれているようです。
また
『スピリチュアルで思いの
ままに生きよう』
とか
『守護天使があなたの
自己実現を応援してくれる』
みたいな耳ざわりのいいこと
を言えば、もっと多くの人の
興味をひいて、商売にはなる
のかもしれません。
でも、わたしは商売人ではなく、
真理の研究家であり、実践者
です。
そして、真理にしたがえば、
必要なものはすべてあたえられる
という事実を発見し、自分自身の
人生でそれを体現できているので
わざわざ真実以外のことを喧伝して
多くの人を呼びよせたり、金儲け
をしたりする必要はないのです。
また、今世で救われるか救われ
ないかは、それぞれの人の運命
として、すでにきまっています。
これをお釈迦様は
『縁なき衆生は度し難し』
イエス様は
『金持ち(欲深い人)が
神の国にはいるのは、
らくだが針の穴をとおる
より難しい』
とおっしゃられています。
真理実践者の2大巨頭を
もってしても不可能なことが
わたしの手に負えるはずも
ありません。
というわけで、このブログ
も、今世で救われる運命を
もった人だけに向けたもの
となっています。
なので、
ただしい真理を追究し、
だれでもそれを実践すれば
完全な喜び、幸せ、安らぎ
という成果を得ることが
できるように論理的に
体系づけられた学問
という意味で、あえて
わたしは、なじみの薄い
『スピリチュアリズム』
や『神霊学』という言葉を
つかっています。
もちろん学問というからには
たんなる妄想と誤解されがちな
個人の霊的知覚だけに頼った
探究や決めつけではありません。
各種の宗教やヨーガ、気功、
老荘思想など数千年の歴史ある
書物や経典を研究し、また
科学で解明されている部分は
その事実とも照合して、
それらすべてに矛盾のない
共通項を真理としてまとめ、
体系づけています。
ですから、一般の方よりも
より科学的、論理的な考察を
おこなっているので、
どなたでも安心して実践して
いただけることと思います。
今回は、そんな神霊学、
スピリチュアリズムについて、
すこしお話ししていきたい
と思います。
スピリチュアルが日常にはいってきた
十年ほど前でしょうか、
スピリチュアルブームがおこって
から、いまではブームから日常の
趣味的なものへとなってしまった
感もあります。
モノやお金が最優先される
この現代社会のシステムに、
どこか心が満たされず、
違和感をおぼえて目に見え
ないスピリチュアルな世界に
惹かれてしまう人がふえ
つづけているからでしょう。
『占いや風水で運気を良くしたい』
『前世やあの世のことを知りたい』
『守護霊や守護天使の力で豊かに
なったり、病気を治したりして
幸せな人生をつかみたい』
『霊能力やレイキを身につけたい』
テレビなどの影響もあって、
このような力をもとめて霊能者
やヒーラー、スピリチュアル・
カウンセラーといわれる人たち
のもとにかよいつめる人も
おおいようです。
たしかに、人間が自然の摂理を
無視してまで便利さをもとめたり、
あくなき物欲を満たそうとして
科学や工業を発展させてきた結果
手にいれたのは、喜びと幸せに
満ちあふれた豊かなパラダイス
ではなく、それとはほどとおい
虚無感と地球環境の壊滅的な悪化
だけでした。
そんな状況にいち早く気づいた
人たちが精神的な豊かさに目を
向けはじめたのも、当然の
なりゆきかもしれません。
しかし、モノでは満足できない
から精神で、という安易な
気持ちでスピリチュアルな世界
に興味をもつのは、じつは
とても危険なことなのです。
霊の世界は危険がいっぱい
運をよくしたいとか、人生を
変えたいといったことから
安易に心霊世界に興味をもつ
のは、霊的浄化度のひくい
低級霊や邪霊をよびよせる
きっかけになりますし、
ヘタをすると悪霊にとり
つかれてしまうことも
しばしばです。
霊能者のおおくが病気がち
だったり不遇な人生をおくっ
たりするのも、神でも高級
神霊でもない、低級霊や悪霊と
ばかり交流しているからなの
です。
また、引き寄せの法則で逆に
不幸をよび寄せてしまったり
するのも、やはりこのような
次元のひくい霊まで引き寄せ
てしまうからなのです。
生きている人間の世界でも、
欲のつよい人や人の助けを
あてにしている人、こまって
いる人などのもとに悪い奴が
寄ってきますよね。
そんな悪人の性質は死んで
霊になっても変わらないの
です。
ですから、皮肉なことに
霊能力をもたないニセモノ
霊能者のほうが、この世で
は健康で豊かな生活をして
いたりすることが多いの
です。
もとい、スピリチュアルな
ものに救いをもとめても、
運がよければいっときの
願望実現はかなえられる
かもしれませんが、
永遠につづく喜びや幸せ
を手にいれることは
難しいのです。
しかも、いったんそんな
悪霊や低級霊にとりつかれ
てしまうと、不幸や苦労が
絶え間なくおしよせてくる
といった悲劇にみまわれて
しまうこともあります。
低級霊より神に心をむけよう
残念ながら、欲望や願望を
かなえるために利用される
スピリチュアル(心霊的)
な力や手法では、神や
それに近い高級神霊と
まじわることはできません。
物質的な豊かさをもとめた
人間が地球をボロボロに
こわしてしまったのと同様、
スピリチュアルな世界を
追求しつづけていると
精神的にも肉体的にも
ボロボロにこわれてしまい
かねません。
それほど霊というのは
強力なパワーをもっている
のです。
ですから、
かるい気持ちで幽霊や心霊
現象、スピリチュアルパワー
などに興味をもつのは、
とても危険なこと
なのです。
ただ、こう言ってしまうと
『それなら精神的豊かさ
をもとめるのはまちがい
なのか』
あるいは、
『神は人間に力をかして
くれることはないのか。
いや、そもそも神なんて
存在しないんじゃないか』
といったような疑問が
わいてくるかもしれません。
でも安心してください。
ちゃんと神様はいて、人間に
本当の喜びと幸せをあたえ
ようと、いつもそばでまち
かまえてくださっています。
日本では、キリスト教や
イスラム教、ユダヤ教など
唯一神を信仰する宗教を
信じている人はごく少数
なので、ほとんどの人が
神様を意識するのは、年に
1回の初詣のときだけに
なるようです。
そのため神や宗教に対する
リテラシーが低く、占いや
霊能力、引き寄せの法則
みたいな低級霊がかかわる
ものが、幸福をあたえて
くれるすばらしいもので
あるかのように、ありがた
がる風潮にすらなっています。
たしかに本物の絶対主である
神は、人間のしもべとなって
欲望をかなえるような願いに
応じたり、失せものを探し
たり、占いに答えたりする
ような存在ではありません。
また、罪けがれがほとんど浄化
された神に近い存在である高級
神霊も、もとは人間であっても、
もはやこの人間界のことには
まったく興味をもたなくなって
いるので、人間の家来となって
力を貸してくれたり、助けて
くれたりすることは、まず
ありません。
(ただし、あなたのことを
心配して、いつもそばにいて
こまっているときに手助け
してくれる善良な守護霊は
います)
それに対して、霊能や占いなど
おおくの人が好むスピリチュアル
なものに手をかしているのは、
この世に未練や執着をのこして
いて、いつまでもこの世と
かかわろうとしている、欲望に
まみれた未浄化の低級霊や邪霊、
悪霊たちなのです。
ですから、そんなものに
たよってしまうと一時は
力を貸してくれて満足できた
としても、最終的にはとり
つかれて不幸を引き寄せて
しまう結果になるのです。
人間界でもいちどヤクザの
力をかりると、あとはいい
ように利用されて、身を
ほろぼされてしまうと
いいますね。
肉体や物理的制約をもって
いない霊のほうが、ヤクザ
よりもはるかに強烈な取り
たてをしてくるのはいうまで
もないでしょう。
霊能者やスピリチュアリスト
といった人たちはカンタンに
交信できて当てモノや占いなど、
商売の役に立ってくれる低級
霊や死んで間もない人の霊を
利用していることがよくあり
ますが、肉体的にも精神的に
も変調をきたしている人が
おおいものです。
そして、そのような霊能者を
たよったり、霊感占いにたよっ
たりしている人たちもまた、
真の幸せからはほどとおい
人生を歩んでいる人がおおい
のです。
残念ながら、これが神や高級
神霊ではなく、心霊(未浄化の
幽霊)をあつかっている
スピリチュアリズムの限界
であり、実情なのです。
でも、ガッカリする必要は
ありません。
絶対的な幸せと永遠の安らぎ
とを求めるのであれば、
本物の神との交わりを探究
する真のスピリチュアリズム
(神霊学)を学び、実践する
という方法もあります。
『そんな得体のしれない
ものに頼るのはイヤだ』
という方は、聖書を開いて
イエスの言葉にそのまま
したがうという方法も
あります。
いずれにしても、人間として
生まれてきたということは、
今世で救われる可能性を
秘めているということなの
です。
あなたが本当に救われる
運命であるのかどうかは、
真理についてすんなりと
理解できるかどうかで
判断できるでしょう。
というわけで、これから
数回にわたって神霊学や
真理についてお話しして
いきたいと思います。