2012年8月26日
マヌエラとポリンとプリに旅行にいって、なんでか分からないけど流れで火葬場にいった。
何も構えてなかった。そこがどういう場所なのか、どういう意味があるのかも考えてもなかった。
いった瞬間なにかが壊れた。
まっすぐ短い細い階段をのぼると、左には牛が歩いてる。
すぐ奥には灰色の煙がのぼっている。
細い道を数歩あるくと、死体が焼かれていた。
見てもなにも感じなかった。ぴんとこなかった。
でも時間が経つにつれて、とりあえずよく分からないということに気付いた。
足が普通に燃えてるよ。頭も顔もまっくろになっているよ。
え?
人生たくさんたくさんつらいことも悲しいことも嬉しいこともたくさんたくさんのことを何十年って乗り越えてきたけど、こんな終わりってあっけないの?自分ってこんなに一瞬でいなくなるの?
おぎゃぁってうまれて80年いきて、1時間で自分はいなくなるの?
いろんなことが頭によぎった。
この人たちはどこにいくの?
回りにはたくさんの人がいる。1メートル先で人が燃やされているのに、ふつうに話している。笑っている。むしろ階段には散歩にしにきたようなおじさんがたくさん座っている。だれも泣いていない。どうして?
気が付いたら自分は泣いてた。
ショックすぎた。大きなショック。人生でこんなにショックな経験はしたことない。
マニエラ “Now, you realize …..“death” exsist.” (「”死”というものが存在するってことに気付いたでしょ」)
たしかに。「死」をまじかに見ただけじゃなくて ”感じた”。
”death”があることを知った時、大人になれるのよ、 とマヌエラが言ってた。
“but... I don't feel bad, because they don't have to suffer anymore. They are free.”
「でもいやな感じはしない。だって彼らはもう苦しむこともないんだから。彼らは自由になったのよ」
「死」に対する考え方なのかな。
日本人は「死」を怖いものとする。終わりとする。なくなるとする。
でも、「死」はthe end of our lives じゃなくて the part of our lives。
病気になっても薬をのんで必死に生きようとする。別にとらえると、死から逃げている。
そんな会話をしていると、たしかに悲しみにあふれているのではなくインドのこの場所は「始まり」な気がしてきた。日本みたいに苦しみや悲しみなのではなく、さっぱりしている。
むしろ火葬場は平和だった。
全てのものには始まりがあって、必ず終わりがある。
この旅も、出会いも、人生も。
むしろ「おわり」=「し」がないほうが「苦」だ。おわりがあるから必死になれる。
一生懸命になれるんだと思った。
なんか色々考えすぎてつかれたな。
でもやっぱり今を楽しまなくちゃ。
大切な人を大切にしなくちゃ。
時間は進んでいくんだ。
今が楽しくてしあわせて感じれる心があって、明日に希望がもてる世界にしたい。







