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新生児仮死で生まれた娘が2歳になりました②


前回の続きです



娘が我が家に来たのは
生まれてから3週間後



それから毎日、娘が寝てる時は
常に呼吸を確認していました
寝不足もいいところだけど
最初の頃は本当に30分ペースで確認してた
少しでも陥没呼吸にならないか不安で不安で🥺
正直2歳になった今も、2時間に1回は必ず見てる。眠いけどもう習慣になってるし
沢山娘の寝顔を見れるからしばらく続けそう☺️



娘の発達ですが
1ヶ月検診〜3・4ヶ月検診は
特に異常なく、首座りも4ヶ月でできてたけど
寝返りは6ヶ月すぎてやり始めて
9ヶ月位まで片側からしか寝返りできてなかった。
ずり這いも前には進まずに、その場で回転する
ピポットターンを9ヶ月すぎても永遠にやってた。
9ヶ月中盤に、突然寝返りを両側からできるようになり、前に進むずり這い→ハイハイができるようになった。
10ヶ月検診の2日前に、つかまり立ちに成功したけど、10ヶ月検診の発達フォローで
つかまり立ちの状況や、娘の泣き叫ぶ様子を見て
「発達ゆっくりだね」と先生に指摘を受けます。



そこから本格的に
発達ゆっくりなら
何をサポートしたら良いのか
日々調べながら試して
試行錯誤が始まったと思う。



親子教室に行っても
娘だけ泣き叫んで座ることもできずに
結局早めに帰って、娘と一緒に私も泣きながら
帰ったことも何度かある。
10ヶ月〜1歳2ヶ月で歩き始める前までが
1番思い悩みました。
コロナ禍で人と接する時間が少ない分
2〜3日に1回は、同年代の子と一緒に遊ぶ機会を
作ろうと色んなキッズスペースを調べて
同月齢の子と比べても比較的ゆっくりな
娘の何か刺激になれば良いなと
あの頃本当頑張ってたな、、
でもその頑張りで
周りの子から沢山刺激を受けたから
今の娘の成長に繋がっていると思う。



1歳2ヶ月で歩き始めてからは
急に言葉が出始めたり
出先が器用になってきて
1歳5ヶ月で保育園に入園した時には
意味のある発語は10語程度、スプーン食べはできて、キッズスペースに通っていた分
沢山お友達がいる環境にある程度慣れていたから、自分で保育園生活に慣れていく下地を作ってあげることができていた。



1歳クラスに4月入園時に、1歳5ヶ月だから
月齢的にはクラスの中間
だけど、1歳クラスの子はほとんどみんな
うちの娘より何でもできる子が多くて
何かサポートを、、とまた悩む日々が始まるかと思いきや、逆に周りの子みんな凄いから
娘は吸収して自然にできるようになるだろう
大丈夫🙆‍♀️と何故か思えて。
保育園に入園してからは、発達のことで
娘に知育や試行錯誤をほぼせずに
今に至ります。
それが正解だったようで
娘はこの8ヶ月間でぐんぐん成長して
できることが日々増えていってる☺️



我が子の場合は
保育園生活に困らない程度まで
下地を作って(1人歩き、スプーン食べ、ワンワン、ニャンニャン等良く聞く単語をいくつか教える、どうぞちょうだい、大人数の活動に慣れさせておく等)
下地ができてから保育園入園して
入園後は環境に任せたのが
合っていたのかな、と思います。



下地なしで入園していたら
仕事をしながらできないことを
フォローしていくのが
体力的に難しかったと思うし
入園後の知育を思い悩んでいたら
仕事に集中しにくいので
精神的に余裕がない生活になりそう。



2歳になってようやく振り返れたけど
実際1歳前後の渦中や
入園したての1歳半頃は
「仮死で生まれたから脳の発達が遅れる可能性がある」という言葉もあって
娘の今後の成長に、ものすごく不安があった🥺
不安に感じながらも、できることを探して
動き回ってた1つ1つのこと全てが
今に繋がっているとやっと実感できている。



これからまだ大きな壁が
沢山あるかもしれないけど
1つずつ、娘と一緒に
私も成長していきたい。



元気に育ってくれてありがとう。
かわいい笑顔にいつも癒されてるよ☺️



新生児仮死で生まれた娘が、2歳になりました




先月、娘が2歳になった。
2歳になってようやく、母親の私に
心の余裕ができるようになった。


生まれた直後に起きていたことや
それからの成長を見守る日々を
中々まとめて文字にすることができず、、
2年経った今ならできそう。


文章にすると長くなりそうなので
結論から言うと、娘は新生児仮死で生まれて
脳への影響や発達遅延の可能性を
指摘されていましたが
2歳の現在は、大きな発達遅延は見られず
毎日とても元気に過ごしています☺️



もし、産後に同じような状況で
悩んでいる人がいたら
少しでも何か情報になるように
生まれた頃のことから書き残します。






*********************

34w5dの、2020年10月28日夜中に前期破水して
10月29日の午前中に生まれた娘。


生まれて産声をあげたけど
すぐに泣かなくなって
新生児科の先生が沢山集まっていた。
体感は5〜10分位泣いてなかった


怖くて助けて欲しくて
必死に何してるか見てたけど
産後の私の処置が進んでいたから
何も聞けずに娘がいる所を見てた。
処置が終わって
助産師さんが連れてきてくれた娘は
赤くて小さくて、その時は息はしていたと思う。
そのまますぐに娘はNICUに連れて行かれた。


産後2時間は分娩室のベッド横たわっていて
側に来てくれた旦那さんに
娘が泣いてない時間があった、、
もしかしたら娘に何かあったかもしれない
と話した記憶がある。



2時間後にNICUに行くと
酸素マスクをして、色んな機器がついた娘が
保育器に入っている。
生きてた、、良かった🥺🥺
でも色んな機器が付いてるのは何?
が初めて娘と対面した感想だった。



看護師さんと医師の方から説明を受ける。
娘は生まれてすぐ、10分位呼吸が苦しかった
処置をして、今は自発呼吸ができているが
呼吸が整うまではNICU、GCUで娘は過ごす


ただ、と医師が間を置く


娘さんは息が苦しかった時間がある。
現時点では特に大きな異常はないが
脳に酸素が届きにくかった時間があるのは事実なので、後遺症や発達遅延の可能性はある。
特に34週の早産児だから発達はゆっくりめなのは
覚悟してください。と言われた


これを言われた当初の私は
ただ早く産んでしまって、呼吸が苦しい思いをさせてしまったことが申し訳なかったけど
この「発達はゆっくり」は
その後何度も釘を刺すように指摘を受けます。


自分の病室に戻り、娘の治療計画表を見ると
娘の病名は「新生児仮死、呼吸窮迫症候群」と書いてあった。


仮死、、そんな
娘、、本当に苦しい思いさせてごめんと
この時産後初めて涙が止まらなかった


産後の夜、寝るべきなのに
携帯でずっと調べていて
病気のことや同じ状況のお子さんのブログを見ていた。悲しくてしょうがなかった


私は事情があって、完ミルク育児に決めていたので、産後母乳をすぐに止めた。
だから搾乳はないし、娘はNICUにいるから
側に誰もいない、、みんなは赤ちゃんが側にいるのになんで、、私も娘と時間制限なくずっと一緒にいたい。と思いながらも
看護師さんや助産師の前では気丈にしていた。
夜中1人で調べてまた不安になって眠れない日々だったな。


1日3回の面会をしながら
6日間入院していて
娘の状況は、酸素チューブが外れたと思いきや
次の日はつけていたり、酸素濃度が上がったり
黄疸が出たりと一進一退だった
SPO2が下がってアラームが鳴る時が
1番不安だったな😭
それでも抱っこできる日は
面会時間ずっと抱っこしたり
ミルクを注射器で注入したり
保育器の中でオムツ変えさせてもらったり
(本当難しかったけど、当時頑張って覚えようとしてたな。今思えば、上手くできなくても
あんなに気に病まなくて良かった。産後メンタルは辛いですね)


生まれて6日後、私は退院。
だけど娘は状況が安定せず
娘を置いて退院になる。
退院すると、娘との母子同室ができる日まで
娘とは基本的に面会できない。
いつ頃退院予定か?と聞くと
今の感じだと出産予定日頃になるかもと言われたのを覚えている。


完全に会えなくなってからは
自分の半分がいなくなった感覚で
何もやる気が出ない
無気力で1日を過ごした


それじゃだめだ。
娘が退院してからの生活基盤を整えようと
奮起できるまで数日かかったと思う。


幸い、娘の状況は安定しだして
2週間程で娘も無事に退院が決まり
母子同室を経て退院することになった。
母子同室の日に2人になったとき
「もう離れないでいいんやね、ずっと一緒にいようね🥺会いたかったよ娘」って
何度も何度も娘に言ったなあ☺️
この先例えどんな病気や、発達遅延があっても
一緒に頑張って生きていくと
改めて誓った母子同室だった。


長くなるので
退院後の日々は次の記事にします。


嬉しく思う瞬間






旦那さんのお母さん、義理の母は
よく私に、「いつも急かさずに息子を見守っていてくれてありがとう」と言ってくれるけど



「息子が仕事終わったら、すぐ家に帰りたいって言う理由が分かった☺️」と
今日の会食の時に言って下さって
娘のことを本当に大事に可愛がってる旦那さんを見て、そしてその環境を作ろうとしてる私に
感謝して下さっているのが伝わってくる瞬間があって



私こそ、至らない嫁なのに
いつも温かく見守ってもらえて
今の幸せがあると思っている。




とても幸せな光景に
思わず撮った写真☺️
私も娘と初めてリンクコーデできて
とても楽しい1日でした☺️