いつだったか昔,本で読んでハッと思った事がふたつある.
1つは言語,もう一つは教育の話.
言語
言語とは,何で出来ているか,という話で,
「単語集」と「文法」だけあれば言語が成立するわけでは無い.
言語が成立するためには,その話者が共有する「神話・コンテンツ」が必要だ,
という主張だ.
「そうか!なるほど!」と感動した覚えがある.
1887年に創案された人工言語エスペラントが普及しないのは,そこだ.
エスペラント語でしか仕入れることのできない神話・コンテンツが存在しないからだ.
幕末期,若き日の福沢諭吉(1935.1-1901.2)が「これからは英語だ」と英語を勉強しようとしていた時,
周囲の仲間は「英語で読める重要なものはオランダ語翻訳版で読める」と反対していた.
蘭学はオランダ語を通じて西洋の学術文化を研究する分野で,江戸末期では大きな勢力となっていた.
福沢諭吉はオランダを通さず直接イギリス・アメリカの文化を英語で輸入する道を開いた.
当時オランダは衰退期で,まさにオランダ語を介しては間に合わない重要は情報が英語文献にあったのだ.
漢学から蘭学へ,蘭学から英語学(洋学)へ
というわけである.
英語学習が日本人に重要視されたのは,その文法・語彙からなる言語としての優秀性ではなく,
そのコンテンツにあった.
ただ今後はAI自動翻訳でいかなる言語からいかなる言語へも正確に翻訳する.
英語学習の意味が変わっていくだろう.
現在学校教員が言うような意味での英語力はグローバル社会で必要なくなっていくのではないだろうか.
江戸時代にもオランダ語や英語の通詞はいた.しかし彼らは行政の補助としては活躍しても,
明治維新期で学者としては活躍していない.
bookをブークと発音していた福沢諭吉が影響力を持った.
今思えば福沢諭吉が海外へ行ったのは生涯で2度だけで,20代後半に米国(1860.1.19品川港-5.5横浜港)と欧州(1862.1.19横浜港-1863.1.30横浜港)行っただけだ.船上泊を除けば,滞在期間は短い.
米国に数か月,英国に2か月間滞在しただけだ.
録音機の発明は1877年で普及していない.福沢諭吉より英語力高い高校生は帰国子女でなくても沢山いるだろう.
しかし,外国文化を取捨選択し吸収し発信する力は別なのだ.
単語を多く覚えているとか,文法を正確に使いこなせるという技術は無いよりあったほうがよいかもしれないが,
コストのわりには本質的でないかもしれない.
次回は教育について書く.
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