(過去記事1)に関連して。


アメリカの数学者パーシ ダイアコニス(1945.1-)。



彼は子供の頃から能力は高かったらしいが宿題をしないので成績が悪く、14才で家出してマジシャンになった。10年間プロマジシャンとしての活動をして、テキサス大学で数理物理学をやっていた同級生に会い、有名なフェラーの確率論の本を紹介されて、君には読めないだろうと言われた。大学生なら読める定番の教科書だ。読もうとしたが彼には読めない。悔しくてもう勉強して23才でニューヨークの夜間のシティーカレッジに入った。

 14才までしか学校行ってないのに特例として入れたのだ。そしてそこを1971年に卒業すると、ハーバード大学大学院に入り、あとは破竹の勢いで良い研究をした。

カードシャッフルの研究でよく知られている。


 要はこうだ。地頭良い人は少年時代に10年間勉強しないブランクがあろうが、義務教育出てなかろうが、夜間の市民大学出だろうが、いかなるルートでも頭角を表してくるということだ。


 ただ一つ付け加えるなら、夜間市民大学出ということでハーバード大学大学院入学の際には数学科には難色を示されたそうだ。統計学科の教授に気に入られて統計学専攻の大学院生となった。その時26才。ハーバード大学とスタンフォード大学の両方で数学と統計学の教授を勤めた。もしも経歴で怪しまれなかったら数学科でのスタートになっていて初期の研究内容が少し違っていた可能性はある。


 いかなるルートでも頭角を表す典型例。


 ただダイアコニスの場合は自分で好き好んで10年間プロマジシャンやっていたのであって、家庭的事情とは違うかもしれない。もっとも音楽一家で親から楽器の指導が厳しいのが嫌で家出したという説もある。


 エドワード フランケル(1968.5.2-)はユダヤ系のため1980年代ソ連で差別されモスクワ大学に入れなかった。学籍ないのに塀を飛び越えてモスクワ大でもぐりで勉強して数学者となって活躍した。

 これもいかなるルートからでも頭角を表した例。

 ただし彼の場合は、ソ連という国家によって行く手を阻まれたので、その怨念は強い。

 当時のモスクワ大学の教授らを糾弾している。


 もっとも数学者は将棋の棋士と同じで業績がある程度客観的に評価されるので、学歴は必要のない分野だ。スポーツ個人競技とか。


 ソ連がユダヤ人を1980年代に排斥していた時、ユダヤ人らは数学や物理学に流れた。ロシア文学を専攻したら、国家的圧力には屈していたろう。


 昔、日本でも田舎の有力者が有力者の息子の成績を良くするよう学校に圧力をかけた。国語の教員はすぐに屈したが、最後まで屈しなかったのは数学と物理の教員だったという。


そのエピソードは以下の本にある。

数学に魅せられた明治人の生涯



(過去記事1)