R.Shimada氏が生活保護世帯から東大で博士号をとるまでのブログ記事

8回シリーズを全部読んだ.

面白かった.

 

・父がほとんど家にお金を入れず,母が一人で家計を担っていた.妹と二人兄弟.

・貧しくてゲーム機などは自分だけ持っていないし,旅行や習い事もほとんできなかった.

・二度母親に喉元を包丁で突き付けられて,自分か妹のどちらが死ぬか選べと言われた.一度目はまだ未就学児.

・小学校高学年ではさらに困窮し,給食だけがまともな食事.

・中学入学すると両親が離婚し,母親に引き取られて生活保護受給開始.

・中三直前で友人に地元の小さな個人塾へ誘われて入塾.その時はbe動詞も知らない程勉強していなかった.

・入塾して一か月で塾で一番の成績になり,高知県内で一番の県立高校入学.

・高価な参考書が買えず数学オリンピックにも参加できず,参加費10万円払えず修学旅行不参加.(修学旅行は東京大学見学もあったが,合格したのはShimada氏一人だけ)

・15才で数学者を目指すも,見つけた条件の良い給付型奨学金が文系の難関大学限定だったため,予備校なしで東大文三を受験し合格し入学.

・大学二年から三年への専門学部を選ぶ際に,文系から数学科へ進学した.制度上は昔からあったが実現したのは初めての学生.

・駒場へ残る三年生は寮から出ずに済むように活動して成功.

・生活のためアルバイトをしなければならず数学科授業はほとんど出られなかったが,内部進学者の半数が落ちる大学院修士課程入試に合格し,さらに奨学金にも合格.

・博士課程にすすんで給与型奨学金(採用率20%)も合格し,博士号を取得し研究科長賞受賞

・現在は世界大学ランキングで東大よりも上位の大学でポスドク.

 

 

 いろいろ考えさせられることが多かった.

 

 彼は孤独な中ほとんど自力でいままでやってきて,彼のよき理解者というものがほとんどいなかったらしいこと.大学合格後奨学金を受け取るための銀行口座が(母が携帯電話料金滞納したため)作れなかったところ,高校の校長先生に地元の銀行へ行って作ってもらえた.県で一番の県立高校校長なら校長の世界ではあがりとも言えよう.

(過去記事1)からの引用.

諏訪氏は工藤氏をエリートコースの教員だという.一部の教員は現場での平教員時代が短く,県や市の教育委員会で管理職として働き,最後は県教育委員会教育長偏差値の高い高校の校長になるのが上がりだそうだ.そして定年後は県内の中堅私立高校校長に天下る.

 県で一番の県立高校校長なら地元の銀行も一目置くだろう.

 

 もしも彼の家庭が裕福だったら彼の人生はだいぶ違っていたろう.進学するのに覚悟はいらなかったはずだ.東大落ちても浪人する手もあったし私大から数学者目指すこともありえた.数学なんて結局独学が主で学部時代どこで勉強しようが大差ないからだ.Shimada氏も結局東大の数学科の授業はアルバイトであまり出席できていない.

 

現在の地位を得るために彼は子供時代・青春時代のかなりのことを犠牲にしてきたろう.

 

妹はどうなったのか.

 

 

(過去記事1)