まあ私は相手が馬鹿だと思ったら相手にしないので
わたしが絡む人はだいたいマトモなのだけど、
それでも傾向として塾関係者は苦手なんだな。
ベテラン言語聴覚士と似た匂いがする。
中世の人と話してるみたいなんだよね。
サイエンスの話ができない。
現代の理系の人は、
人格と議論を切り離して真実を客観的に追求する。自分が議論に負けたらむしろ儲け物。あたらしい知見をアップデートできたわけだから。議論に勝っても自分の知見は広がらない。
だからむしろ科学的議論って、自分が負けたくてやってるようなもの。
負けた時の方が勝った時より清々しい。
昔、福沢諭吉が回蘭丸でアメリカ行って一番驚いたことは、知識そのものではない。議会で正反対の意見をぶつけ合っていた同士が、昼飯一緒に食べて談笑してることに驚いた。
理系の講義では学生が教員の間違えを指摘するなんて日常だ。それで教員のメンツは潰れないし、学生の指摘が間違っていても侮辱にもならない、アーソーデスカで終わり。そうやって議論が進み、共通理解が進むわけだ。
文系では、学生があってたら教員のメンツ丸潰れ、間違っていたらその学生はケチ付けたことで教員や周囲から非難の嵐。
それって中世の時代。ルソーの時代以前か。
学会発表では発表者と聴衆は対等な関係だ。そこに上下はない。
塾批判になっちゃうけど、言語聴覚士(ST)もそうだけど、その世界は基本ランダムネス。再現性があり確立した方法論はない。医師や薬学とは違う。医学会や薬事法に対応するものが塾やSTには無い。
それぞれ塾経営者やST個人が独自の経験から自分の方法論を編み出す。中世のまじないの世界。その方法論は同業者間で議論して高めあうことはない。江戸時代に藩ごとに別れ、武術家や技能者は一子相伝とか秘伝の巻物に隠す。
しかしなんてことはない、秘伝の巻物に大した事が書いてあるわけではない。入門者から金を取るための方便に過ぎない。入門者には素振りとかありきたりのことをさせて、充分金を取ったところで、免許皆伝として秘伝を全て授けたことにした。
塾関係者同士も秘伝の術を自分個人で持っていて、あるいは持ってるふりをして、塾関係者同士で高めあうことはない。ど素人の受験生や保護者相手に、さも自分は知ったかのつもりで説得する機会だけある。
知識マウントで素人をケムにまいて反論させず、自分の営業活動するのに有利なほうに誘導するだけ。
たくさん塾ユーチューバーいるけど、あまり質のよいのは無い。
でもこれって株投資ユーチューバーと全く同じ傾向。
自分と対等か自分より優秀な人に議論を吹っかけて自分を磨くということはない。
基本的に自分より知らない素人にふっかけるだけ。
教えてあげる、というスタンス。
(過去記事1)の塾の求人広告みれば分かるけど、塾講師になるのは簡単。資格もいらない。入社して数年で室長になれる。
サピックスだと以下の感じ。
- 670万円/30代・入社5年目・課長・経験者(月給47万円+賞与)
キャリアプラン
- 教師職(3年)⇒主任(4年目~)⇒教室長(6年目~)
- 総合職校舎勤務(2年)⇒教師職へ職種転換(3年目~)
入社六年目で教室長ね。
塾でもSTでも株投資でもそうだけど、
エビデンスもない事で素人を食い物にして騙してビジネスにするのが許せないんだよね。
頭の良い奴が頭の弱い奴をくいものにする弱肉強食、
でもそれって頭が良いっていうのかな?あるいは倫理的感覚が鈍感な人か。
識字率が低い時代に教育は力を持っていたと思う。
今でも大学院レベルの誤植の多い最新論文群を整理して本に体系的にまとめることは大きな意義がある。
しかし、小中レベルでそれが必要か?
必要ないんだよね、だから、競争試験が終わった途端、教育はビジネスとして成り立たなくなる。
.(過去記事1)