(過去記事1)の続き.
 
学校を共同体とすることで努力することが恥ずかしいことだということになり,
学校が学問する場として最もふさわしくない場所になりうる.
そういうことを書いた.
 
で,人間の先天的能力・才能は本当に不変か?
という話に戻ろう.
小学生低学年はそう考えない.
実際に,子供の能力は伸びる.
先天的才能がどうなのかまだはっきりしないのだ.
本質的に伸びた場合は”先天的”という言葉と矛盾するようだが,
外見的にはそう認識されるだろう.
体験や経験によって神経細胞のネットワーク構築が大々的に進むわけだ.
小学校入学前くらいまでだったら言語はアクセントまで完全に習得できるらしい.
それ以降は完璧には無理だ.
 私が英語圏に行ったら,そして私が英語以外の言葉を話せないとしたら,確実に言語障碍者とみなされるだろう.ある程度コミュニケーションはできたとしても,吃音とかそれ以上のレベルで現地の話者とは明らかに異なる.
 
 
 で,私は大人になっても才能って変化すると思うんだよね.
 
才能・先天的能力が変化する,って言うと,”先天的”と矛盾するようだけど,
実際にこれはしばしば起こると思うんだ.
それはどういうことかというと,
”相対的に変化する”
という意味.
 つまり,ヒトはそれ単体では意味が無くて,環境との結合で成り立つという事.
先天的という言葉の意味からすると,
ヒトの身体的能力は変化しないわけだけど,
環境の方が変化する.
 
 社会文化・技術革新などが速いスピードで起こる.
 するとゲームチェンジが起こる.
 
 例えば,野球とか将棋とか,ああいうものはルールはまず変わらない.
ああいう世界ではなかなか難しいと思うんだ.
将棋では藤井翔太,野球では大谷翔平,彼らを10歳以上年上の人間が
今から努力して追い抜くという事はまずありえない.
 
 彼らを乗り越えるプレーヤーが現れるとすれば,おそらくそれは彼らよりももっと若い世代だろう.
 
 ところが,そういうルールが固定された世界ばかりではない.
 
 例えば科学研究の世界では新しい技術・問題が常に沸き起こってくる.古い技術に長けていても,新しい技術習得には役立たない事は多い.そして新しい技術習得,新しい問題への解決には,古い時代とは全く異なった能力が必要になってくる.
 
 受験問題だったならば,筆算を速く正確にすることは大変重要なことだ.算数障害ではまず無理だ.しかし電卓を使えるのであれば,勝負どころが変わってくる.プログラミング電卓を使えるのであれば,もっと違う.ChatGPTを使える場ではまた違う.
 格闘技でも,ボクシングとMMAと相撲と剣道でチャンピオンが同一人物になることはあり得ない.ルールが少し異なるだけでゲームの本質が大きく異なる.
 
 これから社会の変化はめざましい.
 
 どんな才能をもっている人が活躍できるかは分からない.
 だから多様な人材を社会がもっておくことがとても重要だ.

(過去記事1)