(過去記事1)の続き


人はカーストを作りたがる。

カースト上位に君臨して下位を支配したがる。

カースト下位は下位で上位にすがりたがる。


 神様に会ったことのある人はいない。死んで死後の世界を見て帰ってきたものなどいない。でも、そういった人がいたらすがりたいという願望がある。その願望に応えて、占い師や巫女や宗教家が現れる。その役割を演じることで商売になるわけだ。


 今や、迷信や占いや宗教にすがったりすると、非科学的だなどと遠ざける人の方が大多数だ。しかし、人類は長い歴史ですべての地域で、宗教にすがって生きてきた。その頃と遺伝子的には現代人は変わらない。


 現代でも、人は願望を持ち、誰かに縋りたいのだ。

 発達障害は治るのではないか、学力や知能は上がるのではないか、

 そんな手法は発見されていない。効果をエビデンスベーストで証明されていないのだ。むしろ長期的には反証されている。


 おたくの子は馬鹿です。勉強しても学力上がりません。


 そんな真実を他人に話しても嫌われるか訴えられるだけで、何の得にもならない。


 おたくの子はポテンシャルがあります。私の指導に従えば、学力が伸びる可能性が高いです。


 嘘でもこんな事を言われたら、親は嬉しい。そこに漬け込むわけだ。


 もし成績上がらなくても、


 おたくの子は馬鹿でした

なんて言わない、


 残念でした。やる気を示してくれなかったので伸びませんでした。でも今後やる気を出せばいつか成功するでしょう。


とでも伝えておけば、支払った授業料返せ、とはならない。


 やる気が出なかったのは、本人が本人の実力を知っているからだ。やっても成績は伸びないことを本人が何よりも自覚してるから勉強やらなかったケースが多いと思う。


 でも、当人の口から、


私は地頭が馬鹿なのでどうせやっても出来ないからしません


とは言わない。プライドから。


 どうせ出来ないなら、やって出来ないより、やらなかっただけ、と周囲に思わせたいし、自分も思い込みたい。




 塾でなく学校だって、長い年月かけて通った学校だ。通ってよかったと思いたいという心理が働く。無駄だったとは思いたくない。


 こうして無駄な塾ビジネス、学校ビジネスが経済的に回っていく。


 (過去記事1)でも書いたが、

文明が進むとともに、幼少期に学ばねばならないスキルは減っていく。

漢字のハネトメ書き順もアナログ式時計も読むスキルは必要なくなる。

 義務教育年数は短縮できるはずなのだ。

教員数減ると文科省の省益減って困るからしないだけだ。


 

 専門的知識とは、現象の規則性のことだ。これらは機械化できる。

人から人へ伝えることが出来るものはすべて機械へインプット出来るのだ。論文として書けるもの全て。


 だから、時代が進むごとに、専門職は人間から機械へと移っていく。煎餅を焼く専門技術が人から機械へうつした亀田製菓が成功したように。


 人は、専門性という妖術を取得してカースト上位に位置し、下位を支配したい、儲けたいという心理が働く。しかし、それは時代を逆行しているのだ。


 機械化できない専門性は妖術と同じでインチキである。


 もう、職業観、教育観を変える必要がある。


 経営や芸能で成功する理由は、専門的能力ではなく、運である。再現性はない。

 しかし、単なる運を後付けで能力と思い込みたい傾向が、人間の脳にはある。


 文明は進化し、生活レベルは向上している。もはやすべての人間が働く必要はない。しかし人は人を支配したがるしすがりたがる。専門性という言葉をでっち上げてでも。しかしそれは非科学的でありイタコと違いはない。


 もちろん教員でも保育士でも、向き不向きはある。そして向いてない人が無理して資格試験通ってキャリア積んでも、向いている人が無資格で数年経験積んだ人には勝てない。

 ここで専門性とは個人の先天的才能は含まれていない。勉強と経験によって獲得する規則性の事である。


 将棋の藤井聡太は21歳で8冠制覇した。実際にはプロ入りした14才の時点で敵なしの実力だった(デビューから29連勝)。つまりは将棋の専門性はその程度の深さという事である。殆どが先天的な才能と若さ故の体力による。


 私も保育士は、若くて美しい女性であることが多くの場合重要な要素だと思っている。アイムの佐藤氏の言葉を借りれば、美人を好きなのは成人男性だけではない。幼児だって好きなのだ。


 将棋の才能は人工知能で凌駕できるが、保育士としての先天的才能を機械で代替するのはまだ時間がかかるだろう。まあどんな美人より自分の母親の方が良いだろうが。


 どんな職業も、初めは人々のニーズがあって、それを満たすために生まれた。しかし一度職業として確立して職業人の組織ができると、供給組織の利益優先で動きだし、人々のニーズは二の次になっていく。





(過去記事1)