ホリエモンの切り抜きで,
 
勉強はみんながする必要ありません
 
というショート動画をみた.
 
大学は偏差値50ないし60以上の人が行けばよい
とのこと.
 
私もそう思う.
 
日常生活で必要なのは小学校3・4年生くらいまでの知識.
それ以上の知識は無くても生きていける.
 
確かに,一緒に話をしてて,”断腸の思い”って言って,
”なにそれ?何の意味?”と聞かれて,説明しても
”初めて聞いた”
とか言われたら,あーそういう人か,その程度の情報ソースにしか触れてきていない人生なのね
とは思う.
 でも,それだけ.
 
 まあ,会話は相手に合わせるから,自分が考えている深い話とかは,そういう人には市内.
 
なんでここで,”断腸の思い”を出したかと言うと,前に記事でもとりあげた,発達障害ユーチューバーは,”だんちょうのおもい”を漢字で書けなかっただけでなく,正解を知っても,”聞いたことない”と答えたので.
 
小学校高学年以上の勉強は,
・知的探求心のある人が興味をもつこと
あるいは
・知能レベルを競う
という二つの意味しかない.
 前者なら,好きな人が興味を持った時に勉強するのが一番よい.
 後者の場合なら,もう今までの方式で競争するんじゃなくて,ChatGPTとか使ってよいと思う.
世界史とかの話をするときに,対面で会話するなら,いろんな要素を記憶していることが,会話スピードを高めるうえで大切になるけれど,チャットとか文章でやり取りする場合には,ネット環境で調べながら書けるので,受験勉強のような年号をスパッと答える能力とか必要ない.だいたいほとんどの受験生は受験が終わると忘れるし.
 
 150年前に学校を設立する時は,全国民を学校で集団教育する必要があった.時代的に.軍隊や工場での労働者を育成する目的で.識字率を上げて選挙も実現させるようにね.親も識字率低かったし.治外法権廃止・関税自主権とか条約改正のために近代化が必要だった.でも今は時代が全然違う.
 
 世界的には半日学校が多かったはずだけど,日本は週5(昔は週6)で終日学校だ.
本当は学校なんて塾みたいに週2とか週3半日でもほとんど同じ効果だと思う.
 
40人学級をやめて,週2.5回半日学校にすれば,同じ教員の数で10人学級が実現できると思う.
親が学校を託児所代わりに使いたいんだろうが,現実は託児所というより刑務所に近いので,盗難や人権侵害が起こっても学校に浄化作用はない.
 
 こんなに教える内容なんて無い.だいたい,個人個人成長期というのがあり,出来る子は教えなくても一人で自習して分かる.
出来ない子は教えても一生分からない.3年分の内容を6年間でマスターする子もいるだろうけど,それは6年間で脳が成長したという時間経過でマスターした点が大きく,おそらく小6の春からはじめても一年間でマスターできた可能性が高い.
 
 短距離走のタイムとか走り幅跳びの距離とかは,競わせないのに,勉強だけ競わせるというのは,子どもたちにとって酷だとは思う.アスリート同士が競技タイム競うのは良いけど,一般人まで強制的にまきこむことはない.
 
 不登校や人権侵害(虐め)が起こった場合は,学習なんてことを言ってる暇はなく,命や幸福を優先すべきですね.
 
 
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