上の記事に書いた発達障害当事者の講演。支援は怖いという主張のほかに、友人像の話があって、共感できた。


規則探求型にとっての友人って、いつも一緒にいて仲良く、という感じではない。

例えば一年に一回会って近況を話して、ではまた、と去っていくような、そういう友人が良い、

バルザックが言っていたそうだけど、

孤独は良いが、孤独は良いねと話せる友がいるのも素晴らしい。


忖度希求型の友人感と規則探求型の友人感は異なると思う。

規則探求型に小学校に無理に入れて忖度希求型と一緒にしたら、かえって集団が嫌いになると思う。

集団に入れれば集団に慣れて集団が好きになるとか、そんな単純なことは起こらない。大抵は逆だ。


 昔小中学校時代に運動会でクラス対抗で勝った負けたやってたけど、たまたま自分の意思と関係なく組まれた一年限りのクラス同士で勝った負けた言っても、何の意味があるのか、子供心に不思議に思ってた。口には出さなかったけど。

教員らがクラスにまとまりとか作りたがるんだけど、それは教員らのエゴだよね。

教員は単なるビジネスでやってると言うより、擬似家族みたいなものを作りたいんだろうけど、そういう同調圧力がかえって虐めをうむ。

 学校のクラスなんて電車で同じ車両に乗り合わせた集団と変わらない。揉め事起こさなきゃいいだけ。


 昔、中学校で、俺たちクラスメイトは卒業しても縁は切れないと言っていたのが二人いた。別々の機会にね。似たような言葉で。どちらも私とは仲が悪かった奴。お前にそんなこと言われたくないと思っていたから、

卒業したらもう会わねえよ、せいぜい同窓会くらい。それだって出席は任意だから全員集まらんし、やったって年に一回がせいぜい、と言ってやった。

 口論になりそうだったから、いずれ分かるわ、と言ってやったら黙った。

 結局その二人はそれっきり同窓会にも来てない。私の方が同窓会行ってる。そんなもの。


 中田敦彦はYouTubeで、勉強は家でもできる。学校は友達作るところ、とか言ってたけど、私の意見は違う。友人作りに行ったら学校がキツくなる。結果的に友人できたらできたでよいが、友人を作りに行くことはない。学校は勉強しに行くところ。

家で勉強できるなら、学校に行くことはない。

 誤解されると困るから言うけど、中田敦彦は好きです。彼の話芸は凄い。ここだけ意見が違うだけのこと。

 まあ上の子らは小学校に行かせてるけどね。本人が行きたいみたいだから。



でね、小学校はいいんだけど、幼稚園を学校教育法で見ると


 学校教育法 第23条


 集団生活を通じて、喜んでこれに参加する態度を養うとともに家族や身近な人への信頼感を深め、自主、自律及び協同の精神並びに規範意識の芽生えを養うこと。


 これ見て、ああやっぱり幼稚園行ってなくて正解。集団に喜んで参加する態度なんて、今の私にも無いし、学校生活を通して、なおさら嫌になったもの。


喜んで集団生活する必要なんてないし、

集団生活することによって集団が好きになることもない。

かえって嫌いになる。

若ければ尚更。


 集団としての目的なく集団生活する意味ないし、いざ目的が与えられたら貢献するのは規則探求型の方。忖度希求型は集団内部の自分の立ち位置良くするのが上手いだけで、集団としては足を引っ張ること多い。


この喜んで集団生活をしろというのは幼稚園の話。


さて小中学校の条文はどうか。


続く。