癌との戦い記録! | 広島の隠れ家ハウススタジオ。撮影や結婚式の裏話、ストーマ生活!

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ストーマ

 

2月26日(月) ベッド要塞化!

2月25日(日) 術後6日目

 

 

2024年2月15日

 

2024年1月22日

 

2024年1月21日

 

2024年1月15日

 

 

2024年1月11日

2週間に一度の抗がん剤点滴!

4時間掛かる!

先日のCT検査の結果を妻と一緒に聞きました!

肝臓の転移は無くなったり小さくなったりしている!
元の大腸の方も小さくなってきていました。

このまま続ける意味はありそうです!

後は副作用とどう向き合うかですね!

なるべく頑張ろうと思います!

 

2024年1月7日

年末12月28日に抗がん剤の点滴をしました。
8回目です。
今回は足の指に酷い発疹と口内炎が副作用ですかね・・・

1月5日にCT検査をしましたので
次の11日の点滴前に主治医と治療方針を確認します。

 

12月20日

今回は口内炎はまだ酷くはなっていません。
若干舌が痺れる感覚はあります。

普通に食事は出来ています。

寒くなってきたせいか、手がヒリヒリする感覚があります。

 

12月14日
7週間の間を空けて抗がん剤の投与を再開しました。

それから2日後、今回は吐き気がおさまりません。

それほど強いものではないのですが・・・・・

 

11月9日

 10月26日の6回目の抗がん剤投与の後、副作用の口内炎や皮膚へのダメージなどが酷くなってきたのでこの日の抗癌剤投与を回避しました。

 それから3週間後の11月30日に再開を予定していましたが、口内炎はほぼ治ったものの、指の爪の周りが逆剥けやひび割れのような症状は治らず、髪の毛がすごく抜けるようになり、仕事も忙しい時期になってきたためもう一回飛ばすことにしました。

 12月14日からは再開する予定です。

 14日、28日の二回の投与を終えたのち、年明けには再度検査をして経過を見る予定です。

 

9月2日
点滴3日目、口の中の感じは変わらない。
昼12時に46時間のポンプによる点滴終了!
自分でポートから針を抜いて解放される。
自由になる!!

9月1日
点滴2日目、冷たいものを飲むと舌や喉の奥にヒリヒリ感!

そんなに酷いものでは無い。常温の飲み物は大丈夫!
8月31日 2回目の抗癌剤投与でした。
 朝一、採血からの外科と循環器内科の、問診を受けた。
癌の部位の遺伝子検査の結果、新しい薬を使えると言うことで

その薬の効果と副作用について説明を受け次回からの投与を決めました。
その後、前回と同じ内容の点滴をしました。何種類かを3時間掛けてポートから入れていきます。
そして最後に46時間掛けて入れるポンプのボトルに変えて、そのまま肩から下げて帰って来ました。
ここから明後日2日のお昼までこの状態ですが、普通に動けます。

 

癌告知から、抗癌剤治療の選択、その為の点滴用のポート手術(8月15日)
1回めの抗癌剤投与(8月16日)、経過観察のため8月22日まで入院。
 

そこに至る経緯は↓↓↓↓↓↓↓
ここからは以前にもアップしています。
 今回入院するまでの経緯報告です。

 

 コロナの流行によっていろいろなことがありました。

2020年2月にコロナが一気に流行し始め、その2月29日に次男が結婚式を予定していました。

3月2日からは全国の学校の休校も決定しており、1日からは交通機関の停止や減便など、世の中の情勢がガラッと変わる節目でした。

 次男の結婚式は列席者全員に事前に出欠確認をとって、新婦のおじいちゃんおばあちゃんと直前に発熱した友人の3人だけ欠席で無事開催できました。

夕方からの披露宴だったのでこの日は博多に泊まって、3月1日は長男家族とアンパンマンミュージアムに行く予定を立てていたのですが、コロナの影響でアンパンマンミュージアムはその日から閉館となり、新幹線も予定運休など・・・
 予定変更に伴い、新幹線も3月1日の朝の便に変更しておいて正解、さっさと広島に戻りました。
 

 そしてその週の半ば、父が入所している施設から連絡が入り、誤嚥性肺炎でJR病院に緊急入院!

その週末、父は 94歳で永眠しました。コロナの規制がまだ厳格でなかったため、面会や看取りも出来ました。

もう1ヶ月後だったら難しかったでしょうね。
 お葬式も家族葬で、次男の結婚式から1週間後の家族再会となり、無事に父を送ることができました。

火葬場までも行けましたし・・・もう少し後だと最後も看取れず、遺骨を受け取るだけになっていたのかと思うと、言い方は悪いですがいい時に最後を迎えてくれたと思います。
 

この頃より少し前(2019年春にベトナムから帰った頃から)、たまに血便が出るのを確認していましたが、

コロナの影響と、そこそこ多忙な仕事もあり、検査などに行くことが出来ませんでした。
 

 コロナによってアミューズの撮影の仕事は皆無となりました。営業自粛の手当や家賃の補助・無金利融資など使えるものは全て使ってなんとか乗り越えて来ました。
 国の小規模事業者持続化補助金も、コロナ対策枠を含め150万円(183万円の支出に対して)出ましたから、採択を受け、父から相続したマンションのリビングダイニングを非接触型の商品撮影専用のスタジオに改装しました。

 またその後広島市のチャレンジ応援金も採択を受けた100万円(133万円の支出に対して)を使って、そのマンションの他の部屋3室を改装し、ハウススタジオに移行できるようにしました。

 コロナ禍の間、当社を支えてくれたのは個人でお受けしている中小企業庁の派遣事業とそこから派生するB to Bでの補助金事業などでした。広島市のチャレンジ応援金も事業者さんの申請のお手伝いからホームページなどの販促物の作成などをさせていただき、なんとか事業を続けることが出来ていました。
 こんなバタバタの中、自身の身体の事など(自覚がほとんどないので)考える余裕もなかったのが現実でした。


 令和4年夏、当時事務所シェアしていた会社も業績不振続きで、当社1社ではスタジオ維持が難しいので、新たなシェア相手が見つからなければ南竹屋町のスタジオを閉めようと考えていました。その時「大ちゃんの釣りに行こう」という番組を制作していた(株)だいすけプロダクションとのシェアの話がまとまり、スタジオ継続を決めました。
 そうやってなんとかスタジオ維持の目処が立って来たので、今年3月末にやっと広島市健康づくりセンターで検診を受けました。血圧は高い、血糖値も少し高い、一番問題なのは便潜血による大腸のポリープ、なるべく早く大腸内視鏡検査を受けた方がいいと言われました。

 

 ところがこの結果が出る前の4月9日!(株)だいすけプロダクションの社長  岡田大輔さんが自宅で急逝されました。いつもスタジオに出てこられて番組制作をされていた方2名は社員ではなく外注スタッフ。個人や会社にはかなりの負債があり、警察が見つけてくれた唯一の相続人の息子さんもその事実を確認して、相続放棄の手続きを取られました。会社も社長一人の会社で社員や役員なども居らず、誰も何も手をつけられない状況になっていました。そのため5月以降の家賃も貰える目途はなく、3月末に入金予定で遅れていた12万円ほどの制作費の請求分(売掛金)も貰えなくなってしまいました。

 外注スタッフお二人だけでは番組の継続は出来ず、打ち切り。 銀行を含め色々借金などもあったようですが、破産管財人も立たず、皆さん債権放棄のような状態だったんですかね? 現物を持ち帰った方もおられましたけどね・・・というわけで、5月一杯で事務所を空けてもらうことにしましたが、アミューズも7月末で退去することにして、退去3ヶ月前通告なので4月末には大家さんに申し出ました。

 もともとは駐車場でスケルトンで借りたので、店舗にするための造作やトイレ、キッチン、エアコンなどの設備品はそのまま置いて出て良いことになっていましたから、現状復帰よりはだいぶん楽な条件ではありました。

 7月一杯で牛田のハウススタジオに移転することとし、機材の移設や片付けに掛かりました。ただスタジオ機材の全ては移設できず、また12年間で溜まったいろいろなものがあり、撤去や処分も大変な労力が掛かりました。

 そして8月以降の借り手が決まれば、残していけるものなどの相談も出来るのですが、普通はそう簡単に条件の合う借主が見つかるものでもありませんよね。ところが大家さんの知り合いからのご紹介でビデオ関連の制作会社さんが借りてくれることになりました。

 そしてスタジオ部分は牛田に持って帰れなかった背景や昇降装置、ストロボ一式、背景合成装置、プロジェクター設備などを購入していただいて、尚且つ貸しスタジオとしてそのまま置いていただけることとなりました。今後当社もスタジオをレンタルで借りることが出来るということなんです。

 冷蔵庫や食器棚などほとんどの備品もそのまま使っていただけるということで、処分するものがかなり少なくて済みました。処分品も知り合いの方がほとんど引き取ってくださったりして何とか目処が立ちました。


 7月末の明け渡し完了の目処が立って、やっと大腸内視鏡検査を7月中旬に牛田のクリニックで受けました。

検査時点ではS状結腸に環状の腫瘍がある、通り道がかなり狭く、それ以上奥には内視鏡が入らない、その手前にポリープが2つ、それは切除して主要の組織と共に病理検査に出すことになりました。

 それから1週間後、検査の結果が出ました。腫瘍は悪性(所謂がん)でした。ポリープ2つは問題なし。

家はがん家系なのである程度予想はしていました。

クリニックで大きな病院を紹介してもらうこととなり、母や父もご縁のあったJR広島病院を紹介してもらいました。
 

 スタジオの引っ越しも無事終了して、8月1日にJR病院を受診しました。
担当医の判断で早く処置した方が良いということでその日に血液・尿・心電図・エコー・CTと可能な検査を全て行いました。
 最終的な大腸内視鏡検査をもう一度ということで8日に検査をしました。大腸内視鏡より細いものを使い、奥まで検査しました。この検査は最高に痛くて辛かったです。癌の組織もいくつか取って病理検査に!

 

 そして翌9日、妻同伴で結果と今後の治療方針を聴きに行きました。S状結腸の癌は環状だけど便の通り道は開いているので緊急の手術の必要性は低い、ただしCT検査の結果、大腸癌からの転移の多い肺と肝臓について、肺には転移は認められないが肝臓には何箇所か転移が認められるというもの。

S状結腸の癌も手術の緊急性はないということで化学療法(抗がん剤)での治療を選択することになりました。


 抗がん剤を投与するために胸の皮下にポートと言われるものを埋め込み、そこから管を伸ばして心臓からの太い血管に針でつなげる手術を15日にしました。

 

そして16日から化学療法(抗がん剤)のスタートです。何種類かの薬を点滴した後、最後の薬は46時間掛けて体に入れていくのです。それで、ポートを作ってそこに針を刺して薬ボトルをポシェットのように掛ければ、2日間そのまま普通に生活出来ます。2週間に1回通院して点滴を受けてポシェットを下げて帰宅出来、仕事も可能です。
 
3日目(46時間後)に自分で針を抜いて処置をすれば、次の投与までは自由に生活出来ます。ただし個人差はあれど、いろいろな副作用も考えられるため、初回の今回は針を抜いた後も、薬の影響が出易い1週間は入院経過観察ということでした。

 

 薬の投与から薬ボトルを下げて46時間、心配されていた大きな副作用もなく、針の外し方を教えてもらいながら自分で外して点滴から解放されました。投与から1週間の経過観察期間を病院で大人しく(?大人気なく)生活しています。8月22日に退院しました。

 退院後は2週間に1度点滴という生活が始まりますが、基本的に仕事は今まで通り出来ますので、よろしくお願いいたします。

 

 生涯現役、力の続く限り頑張っていきますので応援よろしくお願いいたします
現在は普通に仕事もしています!

2回目の点滴は8月31日の予定です。

 

 

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