―――ピンポーン、ピンポーン、ピンポンピンポンピンポーン……
ある日突然、チャイムが連打される。玄関の扉が蹴飛ばされる音と叩きつけられる拳の音。
ドラマで見るような借金取りの様子と変わりない。不定期の襲来は、雨風の酷くない過ごし易い夜に行われる。
リビングで震える母を見ながら、そっと玄関に近寄りチェーンをかける。
カシャリ。
かすかな音が、さらなる騒音への呼び水となる。
扉を閉めていれば大丈夫。そう言い聞かせても、震えが止まらない母の肩をしっかりと抱き寄せる。きっと私が安心するときは、父が死んだときだろうと思う。
そう、あの扉の向こう側で扉を叩き続けているのは私の父であり、母の夫である男だった。アラサー、契約社員。独身、実家暮らし。一人娘。貯金なし、財産なし。おりしも世間は不況真っ只中の環境で、就職活動に希望の光は見えない。
重ねて父親はDVで借金を繰り返す、早期退職者だった。数年前から別居していて、既に彼の顔さえあまり覚えていない。
最近知ったことだが、生まれたときから始まっていた母に対するDVは年を追うごとに酷くなり、モラルハラスメントを加えて、さらなる暴力へと形を変えた。
毎日のようにどこに行ったか、何をしていたのか。子供の世話よりも自分の夕飯が優先されなければ気が済まない子供のような人だったという。
私が小さい頃の思い出から考えると、よく贅沢をさせてもらっていたと今では分かる。そのお金はもちろん、父の稼ぎではなかった。月3万円の生活費。家賃、光熱費がないとは言え、子供一人と夫婦二人で暮らしていくためには、あまりにも少ないことは、今の私ならば分かる。そのお金でやりくりできるはずもなく、母はよく実家の助けを借りていたらしい。
もちろん、父に稼ぎがなかったわけではない。東証一部上場企業のサラリーマン。彼の給料は、全て彼自身の浪費のために使われていた。家族に余裕を持たせること、それは彼にとって気に食わないことだったらしい。小さい頃、自宅に友人を招くときまって私の家からは早い時間に帰っていった。父がいい顔をしないことを、友人の母親達が知っていたからだ。
それでもその状況におかしいと感じることもなく、日々を過ごしていた。そして小学校高学年の時、祖父が死んだ。地元で開業医をしていた祖父は、変わった人ではあったようだが唯一の孫である私を大層可愛がってくれた人だった。
祖父の晩年は寝込むことも多く、入院の日々だった。そんな父親を心配して、実家に帰る母を父は馬鹿にしていた。当時の家は埼玉にあり、実家である大阪までは飛行機を使っても1時間かかった。伊丹空港から程近い祖父の入院先へと直行し、介護をしてくれている母の妹と交替してつかの間の助けとなる。
そんなことさえ、父には耐えられないことだった。
「またお母さんはおじいちゃんのところや。あぁやって、お父さんのお金を使ってるんや」
そう言いながら、父は私の頭を撫でていた。
「お父さん、私のお年玉溜めていた分お母さんに使ってもらったらあかん?」
不機嫌そうな顔をして、私を見るとタバコを吸いにベランダへと出て行く。
その頃には私の口座にお年玉やお誕生日のお祝いとして入れてくれていたはずのお金は入っておらず、父のおこずかいとして使い果たされた後だった。そのことを知るのはもっと後のことになる。
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