昨日、今日と二日連続で暑い中、実家の草取りを
やって、も~~足が限界~~!(x_x;)
疲れは足からとゆう、この頃の私目が金山駅から
バスに乗ろうとしていましたら、
車椅子の人が乗られました。
20歳そこそこの若者で以外に しゃれた服装なんです。
付き添いも今どきの格好をした若者でした。
運転手さんが、バスの椅子をたたんで後続のバスの
運転手さんも手伝って慣れた手つきで
車椅子をベルトで固定してあげていました。
こんな、光景は珍しくありません。
名古屋の市バスはどれも車椅子を固定できるように
なっています。
足がァ、、、、なんて言っていても歩けるもの
アリガタイと思わなくてわね~とボンヤリ
見ていましたが、こんな風に乗客も運転手さんも
自然体にふるまっているのは、この名古屋では
いつから?と思いましたら、
あ~、あの8年前の「愛・地球博」
(2005・3・25~9・25)の時に車椅子優先だったわねと
思い出しました。
あれから、名古屋市民は
車椅子の人に親切になったのではないでしょうか。
あの時は、どのパビリオンも長蛇の列で、並んで待つのも
皆、慣れたわね~とゆうほどの人丸けでしたが、
車椅子と、その付き添いの人だけは特別の入り口から
入れて、しかも早く入れました。
そのことを知った、知人の娘さんが同居していた
お父さん(当時70歳くらい)に「一緒に行こう、
お父さんは車椅子に乗ってね。」と、さして
足が悪くもない近所くらいなら歩いている父親を
引っ張り出して出かけ、実行されたのです。
思惑通り、いくつかのパビリオンを見ることが
できましたが、律儀なお父さんはトイレ以外は
一度も車椅子から降りることはせず、「車椅子の者が
ビールを飲んでは申し訳ない」と言って折角
各国のビールを飲むレストランが多くあったのに
飲まず、娘さんは初めての車椅子を押すのに
疲れ果て、ま~とんでもないエセ車椅子の
見物人がいたとゆう地球博でした。
あれから、もう8年たちました。時の立つのは
本当に早いものです。
あの時、写真をたくさん撮りましたが、
今は探すのも大変なので「永久保存版」の
写真集から掲載しました。アシカラズ、、、。
あの車椅子の若者は、「桜山」で降りて何処へ
行ったのでしょう、、、。