今日は又、誰のこと~?とおもわれる人が


多いでしょうね~。


知らないの~?とは言いません。


だって、私も今朝 初めてラジオで知りましたから


大正8年生まれの俳人です。兜太とかいて「とうた」と


読むらしいです(私の聞き間違いでなければ)


1919年生まれだから 生まれたときから一句一句と


なっていたと言われました。ヽ(゚◇゚ )ノ


欧米では今、俳句人口が200万人をこえる勢いで


「三行の世界で一番短い最高の詩」と讃えているそうです。


日本では俳句なんかやっていましてと謙遜して


名刺の肩書きも俳人なんて書いてる人はいないそうです。


でも、国際のグレードは高いので もっと、日本人も


誇りをもって俳句をやってくださいとゆうことでした。


若き日に海軍であの、トラック島で戦われた生き残りで、


餓死、悲惨な戦死を目の当たりにして、


高浜虚子の「花鳥諷詠」ではなく自分は、あくまで


人間を主体とした、句をつくって、今まで来ましたと


言われました。


無宗教ですが80歳から朝起きると、亡くなった妻はじめ


人の名、唱名を読み上げられることが日課に


なっているそうで、13年たったら読み上げる人の


数も100人ほどになって、忘れて書付を


見ることもあるけど、大抵はいえます。


それが、朝の頭もハッキリするし、記憶力も


鍛えられると、言われていました。 ナルホド。


本当に一時間、原稿もなく人前で話すなんて人は


スゴイの一言ですね~。


何だか、ここのところ90代でも、すごい人ばかりの


お話しを聞いていると以前は後がつまっているから


いいかげんに自分の番がきたら


御他界しないとと思っていましたが、


鈴木先生の知っている方の親さんが


99歳で田舎でコンニャクを作り続けていて、どうも、


もう自身のことが分かったのか 息子さんに、何が


あっても医者に運ばずに ここでこのままにして


おいてくれと言い何も口にせず 3、4日後に


亡くなられたとゆう話しもされました。


世の中で活躍して名の出ている人ばかりではなくても、


市井のそんな人もみえるのか、、、、。


人間って一体、今はどこまで御他界せずにいてもいいの?


と考えさせられましたよ。


終戦でトラック島を出られるときの句は


「日本の 果て炎天の 墓碑おきて」 だそうです。


なんか胸がつまります。


俳句なんてやったこともないし、先生のお顔も知りませんが、


ますますの ご活躍を願っています。



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