昨日の日曜日は中学校の時の


三年B組のクラス会でした。


多治見の「木曽路」とゆう、お食事処で三時間、


ま~!やかましいこと、この上なし。


男性八人、女性八人。  人間って七十歳になって


体は、耳が聞こえにくいとか 目が見えにくいとか


足が痛いから座れないとか言っても、口は


何の支障もなく 食べるは 飲むは 喋るは本当に


お見事!!楽しい一時でした。



エンゼルばぁばのブログ
                         
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なかなかお料理の写真が


今だにうまく撮れませんが


今回は器の、お話が


したくてこの写真を添付


します。


料理がもられている器を


見ていると昔の話を思いだしました。


五十年ほどまえのお話ですが、


多治見の地場産業である美濃焼は全盛期であり


それに関連した仕事の中に「陶器商」とゆう商売が


ありました。私の住んでいた町にも


何軒かの陶器商があり、ある時その組合で


親睦の温泉旅行がありました。


小学時代の私の友人のお兄さんも参加されました。


そして、泊まった旅館が大きな旅館にもかかわらず


出てきた料理がすべて、その頃、出だしたプラスチックの


器に盛られていたそうです。


洗い場や旅館側からみればなんとゆう便利なものが


出てきたと思って使っていたのでしょう。


彼女の、お兄さんは早速、旅館の上の人に会い、


プラスっチックから、陶器に替え、自分の店で、その


食器を買ってもらうように話をつけられたのでした。


その話は、町の評判になりました。


誰も妬んだりするのではなく、「よくやった!」と


讃えたのです。


だって、その少し前に


お父さんが突然亡くなられて、長男である二十代前半の

 

お兄さんは母親と二人の妹、学校へ行っている弟を


養うとゆう重責が自分一人の肩にかかってきて、


その事で、一晩で髪の毛が真っ白になってしまったのを


町の誰もが知っていましたから。


後々、跡取りとしての役目で 弟さんの新家(あらや)も


立派なものを建てられました。


本物志向になった現代では、プラスチックの器を


使っている料理屋さんは、ないでしょう。


又、和食は特に器もめでるとゆう 食するとは


別の楽しみもありますよね。


良い器に盛られていると同じ料理でも何だか


美味しく感じますから。


お料理が 出てきた時、フッと


そんな昔の話が、思い出されました。


そして、よいクラス会でした。


(又、参加しよーーっと!)