エンゼルばぁばのブログ


小さいころ、疎開とゆうものがあり、そのまま


疎開先の多治見の奥の田舎に住んでいました。


小学校の低学年の夏休みは、いつも


名古屋のいとこの処へ、遊びに行くのが私の


定番で、いとこ達が話している名古屋弁を


いつも羨ましくおもっていたものです。


母が「あんたも三才までは、名古屋弁丸出しだった


のに」といえば、ナンデ忘れてしまって、こんな


田舎の言葉になったんだろうと恨めしく思ったり


しました。


でも、今は名古屋弁と、年をとったせいか


多治見弁(東濃弁)も混じって話しますが、


どちらも周りには違和感なく(あたりまえか)


聞こえているでしょう。


茨城の方と話したことがありますが、それはもうー


二割方、意味がわかりません。


あちらは、名古屋弁まるだしだわと、私のことを


言ってみえましたが意味はわからないとゆう事は


ないようでしたよ。 と、ゆうことは名古屋弁は


東京言葉にちかいのかしら?


いえいえ、ぜんぜん違う、ひどい言葉を使っている


方がいましたわ。河村市長さん。


あの方は方言で名古屋の印象を、悪くしていますよ。


一橋大学の学生のころは東京弁をスラスラ話す


学生だったそうだし、議員のころも、今みたいに


ひどい言葉じゃなかったと東海ラジオの


みやちさんがラジオで言っていました。みやちさんの


名古屋弁は、すごく ホンワカ して耳触りが


イイのです。本来の名古屋弁はホンワカとしている


ものらしいのですが、いつから、あんなになったの


でしょうか。



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「マトリョーシカ第2弾完成!(*⌒∇⌒*)


ばらとレース柄はエンゼル工房の定番です。」


まだ後ろに、もう一体あります。よくよく見たら


ロシア製のマトリョウーシカでした。