昨日、夏乃とまりなの日記を見て
もっともっともっと毎日を大切に
していかなきゃと思った。

忘れかけてた。
まじで幸せボケってやつか。

最近、ちょっと遊びまくって、
釣りしたり、買い物したり、色々
ほんとーやりたいこと思いっきりやって
充実した毎日を過ごしていた、

自分は日本という経済の発展した国に生まれ育ち、
やりたいことは全部できて、
ほしいものはいつでも手に入る。
そして、それが当たり前になってしまっている。
それはある意味特権なのかもしれない。
だから幸せか?たしかに幸せだ。
でも幸せってなんなのか、そんなことを考えてみる。
ただ物質的に満たされていることなのか。

1年前フィリピンに行った時そうではないと確信した。
たしかに貧しいけど、そんなことは感じさせない、
明るくて、きらきらしてる人達の姿に胸を打たれた。

日本には、
食べきれないだけ余った食べ物
あふれるほど物があって、
お金に埋もれて、
自ら命を絶つものだって大勢いる、
戦後の跡形もないようなそんな社会だ。

でも生まれた国によっては、
今自分が思いっきり楽しんでいる
友達と騒いだり、買い物したり
おしゃれだって、恋だってできないかもしれない。
そう考えるとほんとに心がいたくなる。

今ありさは、暖かい部屋で
誰かが生きるために低い労働賃金のもと一生懸命
作ったものかもしれないパジャマを着て、pcを開く。
(まだパジャマw)

その反面、帰る家もなく、
いつもおなかが空いていて、
勉強したくても学校に通えず、
むしろ、ただ生きるために働き
もしかしたら、自分の体を売ってまで
お金を必要としている自分と同じ18歳がたくさんいる。

お金がなければ、夢も持てない。
お金とか汚い話だけど、実際お金がなければ、
できないことがこの社会の大半を占めていると思う。

生まれた国が違うだけで、未来も決められてしまう。
こんなんやっぱり矛盾だらけだと思う。

貧困=不幸せ。
こんな方程式は成立しない。
↑ほんとにそう思います。
あたえられた境遇はちがうけど、
神様だって一人余らず愛してくれているはずだ。
理不尽だけど、そうなんだ。
貧困の中生きるのに精一杯でも、
毎日を大切に思い、幸せを噛み締められる人がたくさんいる。

スリランカや、フィリピンといった
一般的に貧困層に入る国に行ったとき
実際に一人の人間として現地の人との
関わりは肌でそう感じさせた。

けど、このままの社会ではこの方程式は打破しきれないし、
漠然としすぎて問題への関心も低い。
実際、自分たちとは住む世界が違う。
そうみなされていれ、それは変わらないと社会が決めつけ、
もちろんその社会の中には、
大きな権力を持つ大人達が暮らす。

どうしたらいいのか、頭では考えてるけど、
それをどう形にしていくかはとても難しい。
自分には人を動かす権力もないし、お金もない。
今自分にできることと言ったら、
日常の糧に感謝し、毎日を大切にして
ただ祈ることだけなのかもしれない。

でもやっぱりもっともっとこういう
社会問題に目を向けるべきだと思う。
自分もわからないことだらけだし、
こんなえらそうな事をいってるけど、
本気で向き合いたいとは思う。
大人が変わらないと社会も変わらないのだろうか。

でも変えようとしている大人が身近にもいる。
その人の活動を応援すること、知ってもらう事
小さなことからできることがいっぱいあると思う。

このままだったら何も始まらん。

2009年最後に改めて気づけてよかった。
ありがとう!!!!

2010年はありさにとって
changeの時代だと思う!w

そして今日釣りは強風のため中止(笑)